ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

日本の伝統文化の情報を国内外に配信していくための団体です。 その活動を通じ世界の人々と繋がっていく為の広報サービスです。

白隠慧鶴の「隻手音声」で本来の自己を究明 【禅問答シリーズ2】

2022-04-29 14:22:01 | 禅問答シリーズ

昨日、図書館で日本画の美術全集をめくっていると白隠慧鶴(はくいんえかく/1686~1769)の「達磨像」が目に入った。独特のタッチの絵を描く画僧であり禅師である。禅の代表的な公案(禅問答)を創始した人で、臨済宗の中興の祖といわれている。

 

 

その白隠禅師が創始した公案の一則である「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」を以前も紹介したが、印象深い禅問答なので今回も解る範囲内ではあるが紐解いてみる。

日常で使う禅問答は会話がかみ合わない様子のことをいうが、本来の禅問答は禅宗の僧による言葉や動作のやり取りのこという。修行者が疑問を投げかけ、それに対して指導者が答える一連を問答のことをいう。

 

禅問答は、もともと中国の禅僧「雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)」によってまとめられた『雪竇頌古(せっちょうじゅこ)』と呼ばれる初の公案集。これに、同じく中国の禅僧「圜悟克勤(えんごこくごん)」によって手が加えられた『碧巌録(へきがんろく)』として現在でも有名な公案集となっている。

まず碧巌録という難しい字に興味を持った。かなり前だが、京都・相国寺に参拝した折に山内にある大通院(相国寺塔頭)の扁額(写真)に「碧巌録提唱」と篆書体のような文字で書かれていた。それが相国寺の修行の専門道場だった。それを見たことで碧巌録への関心がさらに強くなった。

 

 

さて、私の印象に強く残っている問答の一つに「隻手音声(せきしゅのおんじょう)」がある。「隻手(せきしゅ/片手)になんの声やある。隻手の声を拈提(ねんてい)せよ」という白隠禅師が創始した問答。

(「両手を打ち合わせると音がするが、片手にはどんな音がするか。それを報告しなさい」という意味)

 

3年前に佐川美術館(滋賀)で「白隠と仙厓展」を鑑賞したとき、白隠と仙厓のユーモラスで軽妙、かつ大胆な書画に改めて驚かされた。画自体はもちろんだが、禅の意味を画と賛で重層的に表現する禅画には禅問答が示されていて、どこかにヒントが隠されているものの答えは見えない。それは、見た人に考えさせ、みずからの答えを導き出させるためのものある。
白隠の禅画に表されているのは、人としての本質を問うものばかりで、探れば探るほど奥深い。浅見識ではあるが、白隠慧鶴の禅僧としての神髄の一旦を楽しむことができた。

 


その禅問答を一画で紹介すると、江戸時代に画かれた「隻手布袋図」(写真)は「隻手音声」の禅問答そのものである。「両手を叩けば音がするが、隻手ではどんな音がするか聞いて来い」という、白隠の代表的な公案画。その心は、常識や当然にこだわり、それが正しいと凝り固まっていてはいけないという、まさに禅問答の典型のようなものである。

禅問答集を参照しながら、上記の禅問答を少し解説すると、我々は「物」をみるのは「眼」で、「音」を聞くのは「耳」で、と思い込んでいる。この思い込みが「妄想」だという。この常識や分別を外せば、片手でも音は聞こえるという。

 


般若心経にあるように、不生不滅。不垢不浄。不増不滅。無限耳鼻舌身意。の意味のとおり一切の対立観念の無い完全無分別の世界、ということになる。

自己と対象が一体とならなければ妙音は出ない。「片手の音」とは、まだ自己と対象が一体になってない状態で自己を見失ったままの状態。思慮分別を捨て、“本来の自己”を究明することから禅の修業が始まる。

 

 

リポート&写真/ 渡邉雄二  写真資料/ 日本画大全集・白隠と仙厓展チラシより

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

輝く菩薩に囲まれると、大日如来の美しさが際立つ

2022-04-27 11:25:50 | 仏画曼荼羅アート教室

昨日に続き、仏画曼陀羅アート神戸教室の皆さんの「紙上懸曼陀羅」の菩薩4体を披ろうさせていただく。

 

一人の方は、心経に包まれて像画が美しく浮きあがって見える。心経は4枚とも色を変え、また像画は色鉛筆でそれぞれに色を変え細密に描いている。心経と像画の色バランスがとれ一体化している。美しさが際立っている作品となった。

菩薩は色鉛筆で細密に、般若心経は色ペンで

 

もう一人の方のは、像画のアウトラインと衣を赤系色の顔彩で描き、それぞれの像の特徴を表現している。そして、空間に般若心経を上下左右に書き分けている。それぞれに躍動感が感じられる。赤系の像画が観ようによって4本の異なる花に見えてくる。不思議な作品である。

菩薩は赤系の色に統一、心経は空間に配列

 

それぞれの独創性あふれる仏画曼陀羅に仕上がっている。中心の大日如来が、周りに位置するこのような菩薩に囲まれると曼陀羅本尊がさらに輝いて見えてくる。

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 作品/ 仏画曼陀羅アート神戸教室

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一人で「紙上懸曼陀羅」にチャレンジ。一枚一枚が異なる美しさ

2022-04-26 14:51:19 | 仏画曼荼羅アート教室

密教の教えを美しく図示した曼陀羅。その曼荼羅には胎蔵曼陀羅と金剛界曼陀羅がある。

その一つ「胎蔵曼陀羅」の中心部にあたる「中台八葉院」を仏画曼荼羅アート教室の各教室とも課題として取り組んでいる最中である。

 

ただ、本来の胎蔵曼陀羅の中台八葉院の形状と、今回の描いているものは少し異なる。ご覧のとおり一枚の紙上に大日如来を中心に8体の像画(坐像)を描くのではなく、それぞれの像画(4菩薩立像)を一枚ずつ別々に描き、そしてそれぞれに般若心経を添えたもの。最終に大日如来を中心にセットで曼荼羅となるように構成。ただし、胎蔵曼陀羅は如来像画を含む8体だが、今回は菩薩像画のみとした。

 

胎蔵曼陀羅の中心部分「中台八葉院」

 

先日紹介した泉佐野教室の皆さんは、それぞれの像画を担当し5体を合わせ「紙上懸(かけ)曼陀羅」とし会館のケースに展示されている。現在は、一人一人が5体すべてにチャレンジしている。

 

泉佐野教室の皆さんが分担して描いた「紙上懸曼陀羅」

 

そして、先週末の神戸教室では、一人で5体仕上げ持参されていたので披ろうする。他の方たちも一人で4菩薩立像を描かれていた。それは次回にまとめて紹介する。

今回の紹介の曼荼羅は5体に添えられている心経の色や書体が異なる。オリジナリティあふれる不思議な「紙上懸(かけ)曼陀羅」が誕生した。像画の上に心経が浮いて見えてくる。

 

神戸教室の方の「紙上懸曼陀羅」

 

中心の大日如来+墨で明朝書体心経

 

弥勒菩薩+朱で丸ゴシック書体心経

 

普賢菩薩+黄色でカナ文字心経

 

観世音菩薩+緑色で篆書体心経

 

文殊菩薩+紫色で明朝書体心経

 

リポート&写真/ 渡邉雄二 制作/ 神戸教室・泉佐野教室の皆さん

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2nd STREET」初買い、安さ自慢をしたくなる

2022-04-25 14:47:26 | 雑感

 

うどん県として有名な香川県高松市で古書店「ブックマーケット」からスタートし、現在では全国で500店舗(一部海外店舗含)以上を展開する「株式会社セカンドストリート」。店名は「2nd STREET」。(創業から現在に至るまで企業M&Aなど紆余曲折の中、現在は株式会社GEOが運営)

90年代の頃からリサイクル商品需要が拡大し、いろんな分野でリサイクルショップが増えた。この「2nd STREET」もその一つ。私の世代では “中古品” という名称で馴染んでいるが、言葉も時代とともに “リサイクル” という呼称になり、現在では “リユース” という言葉で事業名や業種名に使われている。

 

昨日、初めて西宮の鳴尾店に行き初買い。ズボンとシャツを買った。

先日TVのバラエティ番組を見ていて、紹介されていたお店の店主が衣料品「2 nd  STREET」のこだわり話をしていた。その話と映像に感化され遅ればせながら調べてみると私の住居地の近くにも店舗があることを知った。

 

早速、雨にも関わらず店に行ってみた。いろんなものがあるわあるわ! で、その中から手当たりしだい好みのものを探しまくった。ユニークでこだわり商品をわんさかピックアップし、購入したのがこの2点(写真)。店舗カードも作ってもらい、常連さんへの名乗りを上げた。

 

この2点で、さて、いくらでしょう?

これからは関西人特有の “やすさ自慢”なるがお許しを。とくに安価なものを手に入れたら自慢したくなるのが関西人である (そうでない方の方が多いかもしれないが・・)。

2点で1,500円也、どうだ !

 

リポート&写真/ 渡邉雄二

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓮の華が咲くことを願い続ける蓮の葉でありたい 【禅語1-泥裏洗土塊】

2022-04-24 13:11:01 | 禅問答

 

 

だいぶ前になるが、佐川美術館で「白隠と仙厓展」を観たときに、告知ポスターや展覧会テーマの切り口などが大変ユニークで、仏教への興味をそそるものだったのでわざわざ観に行ったのを覚えている。

その時に、白隠禅師が考案した問答、隻手音声(せきしゅおんじょう)に触れ、「禅問答」という公案(禅の道で悟らせる問題)に、禅宗で悟道させる問い掛けが分かりやすく示されていたのを読んだ。それ以来、機会に触れるごとに読むのを楽しみにしている。

 

今回、「禅語」をキーワードにネット検索していると、私でも理解できる分かりやすく禅問答が解説されているのが見つかり、それを定期的に転用し紹介したいと思っている。

転用させていただくのは、岐阜市にある臨済宗妙心寺派寺院「大智寺」のご住職が以前ホームページに掲載していた(いまは更新されていない)禅問答。事前の許諾を得ているので、機会があるごとに一つひとつ紹介させていただく。

 

 

【きょうの禅語-1】

【 泥裏洗土塊 】 でいりにどかいをあらう

 

板取にあるスイレンの咲く池は、とても透明度が高く、美しい池なのだとか。

かつて誰にも知られていなかった場所がモネの池という名前をいただいてから、とても輝かしい場所に見えてくるのは不思議なものである。

 

大智寺のお隣、獅子庵の池にも、睡蓮はたくさん咲いている。

びっしりと葉に覆われている上に、その透明度はかなり低い。

「これは蓮ですか?」「いいえ、睡蓮です。」

こんなやりとりがちょくちょくあるのは、この池があまりにも泥で汚れているからだろうか。

 

さて、今月の禅語は、「泥裏に土塊を洗う」である。

泥の中で土の塊を洗ったところで、べたべたどろどろ。

決して綺麗になるはずもなく、そのけがれ、その醜さは極まりない。

しかも限りなく無駄骨であるという意味になる。

 

学び、鍛え、努力をしても、それは限りなく無駄骨なのだろうか。

坐禅をし、読経をし、修行を積んだとして、凡夫である私たちは、汚れたままで仏になれないのだろうか?

 

こんな問答がある。

「蓮華がまだ咲いていない時は何と呼べばいい?」 → 「蓮の華だ」

「では、咲いたら何と呼ぶ?」          → 「蓮の葉だ」

私たちは、本来仏である。

学び鍛え努力をすれば、花開く素質がある。

この問答のように、咲いてなくても、蓮華は蓮華。

すばらしい存在であると、自覚してほしい。

だが、ひとたび咲いたとしても、咲くことを願い続ける蓮の葉であり続けなければならない。

 

できることが増えて、自分は前より優れた人になったと思っても、そこに安穏とせず、常に泥中にいるかのごとく、ドロドロともがき、一つ、もう一つと咲かせよと説いているのである。

 

進んでいるのかいないのか分からないようなわずかな変化で、まるで無駄骨を続けているように感じたとしても、その先にしか蓮華は咲かないのである。

 

【大智寺-今月の禅問答より】

 

 

尾道・文化紀行 https://asulight0911.com/hiroshima_onomichi/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする