かれこれ30年前になるだろうか。大阪最古の橋である本町橋のたもとに仕事場があったことから大阪商工会議所主導の地域おこし「東横堀川水辺再生協議会(e-よこ会)」に関わったことがある。
その昔、東横堀川は治水事業の河川流路として東横堀川から道頓堀川を経て大阪湾に流れる河川として機能していた。
そのお蔭で、天満の八軒屋浜や北浜などが江戸時代の大阪への物流の中心地になっていた。
北浜といえば、江戸から昭和にかけて日本でも有数の “商人の町” として賑わいを見せていた。その北浜に、東横堀川に架かる橋がある。「高麗橋」である。江戸時代では大阪城から町中を通るメインストリートの名物橋として名を馳せていた。
e-よこ会に参加するようになって、東横堀川、本町橋、北浜、そして高麗橋など大阪ヒストリーには欠かせない貴重な遺産などに関心を寄せるようになった。それまでは京都、奈良、神戸に囲まれた、ただの仕事ステージにしか思っていなかった。
e-よこ友達からよく「東海道五十三次」は、江戸日本橋から京都三条大橋までを言うが、本来は「五十七次」なんだよ、って。省かれたのか、もともと大阪までの街道は対象外だったのか定かではないが、歴史通の大阪人にしてみれば納得がいかない。
先日、NHKの番組「ブラタモリ」でタモリさんが本来は五十七次らしいよ、と喋りながら京都三条大橋から最終地点大阪の「高麗橋」までの間の四つの宿場町を紹介していた。三条大橋の次が、伏見宿、そして淀宿、続いて枚方宿、守口宿、そして終点の高麗橋を歩いていた。NHKが紹介するくらいだから、「東海道五十七次」が歴史に刻まれていくはずだが。さて・・・
前段が長くなったが、ブラタモリの影響かどうかわからないが、枚方信用金庫さんなどが中心となって四つの宿場町と最終地点の高麗橋の「東海道五十七次『御宿場印帳』」なるものを企画し御宿場印帳を作り話題になっている。
その御宿場印帳を、最終地点の高麗橋のふもとで結納関連用品の老舗「渋谷利兵衛商店」さんでも販売されている。「五十七次の最終地点の高麗橋はうちの庭みたいなもんです。広重さんに改めて残りを描いてもらわなあきません。お手伝いしているときっと叶いまっしゃろ!」と店主の弁。
渋谷利兵衛商店の9代目の渋谷社長さん
「御宿場印帳」チラシの表
「御宿場印帳」の表紙
伏見宿
淀宿
枚方宿
守口宿
北浜高麗橋
「御宿場印帳」の裏表紙
文/ 渡邉雄二
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