あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№154 ドーバー海峡 ロンドン サウサンプトン ハンブルグ ブルージュ ハーグ ロッテルダム モンサンミシェル

2023-12-04 14:40:57 | 日記
コロナの嵐に追われるようにして、ヨーロッパから帰って来てからもう3年になる。その間、京都や東京へはいったが、パスポートがどこにあるかさえ考えなかった。やっとどこかへ出かえようと思って、ただ散歩するかと思ってパリを調べたが、ホテルが急に高くなっていた。オリンピックのせいだ。
モロッコへ行こうと旅行会社にお金を振り込んだら、ひどい地震が来た。観光には関係ないと会社の人は言うが、苦しんで悲しんでいる人を見ながら観光はどうもできないので、キャンセルしてお金を戻してもらった。ヨーロッパでは東の方は行けないし、他に行きたい国もないし、結局目についたドーバ―海峡海峡クルージングだった。
ロンドン市内を回ってから港のサウサンプトンに行き、タイタニックが出港した港、からドーバー海峡を一日かけて運行し、ハンブルグに着く。海峡から昇る朝日も沈む夕日もビールを飲みながら堪能する。最大6000人が乗船できる大型客船、日本人はツアーの30名ほど、東洋人は全部で100名もいないだろう。西洋人はでっぷり太ったのばかり。船はこの航海をぐるぐる回るので、人によってそれぞれが勝手に乗って降りる。グループもあれば個人もあるようだ。客室はホテル並みに立派。劇場,カジノ、プール,ジム、バー施設は沢山ある。レストランはいつでも開いているビュフェ方式の大きな食堂と、ディナーもできる立派なのもある。その分お金を払っているので、よほど特別に高いものを頼まない限り全部タダ。
ハンブルグはドイツ第二の都市、港町で近代的で美しいが、半日まわるだけでは特別の感慨はない。久しぶりのヨーロッパの町という印象だけ。それでも嬉しいことは嬉しいが、ここに関した好きな小説もない。
夕方方船が出て、次の町に行く。飲んで食ってばかりなので太りそうなのでジムに行ってマシンで早歩きをする。そのために運動靴を買わされた。40分早歩きをすると4か5キロ速足歩くことになる。結構きつかったが、好きになって毎日通った。膝の調子もいい。
ローデンバックの「死都、ブルージュ」は好きな作品だったので二回目となるブルージュ訪問は楽しみだった。30年程前に、ランボーとベルレーヌがイギリスへ行こうとして、目指した港のオーステンドを見ようと思って僕は目指したのだが、その前にブルージュがあるのにきずいて立ち寄って一泊したのだった。運河や白鳥のいる修道院のあるきれいな小さな町ですっかりファンになっていた。この小さな町で生まれて育って歳とって死んで行ったら幸せなのだろうか。答えは出ない。離れたところに最近は老人ホーム、年寄りの家、ができてそこでただ死んで行く。昔、猫のお土産を買った小さな店はまだあった。懐かしく2時間ほど歩いた。
またよる航行して、ロッテルダム、デンハーグに入り回り、美術館でフェルメールの青いターバンの少女、の絵を見る。美しい街、美しい美術館、。国土の30パーセントが水面下、チューリプや水車は田舎にしかない、若い人はヘーシンクは知らない、英語が普通に通じるらしいが、最近では留学生を制限しているらしい。大学なども安いので集まりすぎるらしい。実はアメリカに住んでいるわが姪の留学を考えていたが無理なようだ。何処も綺麗ですきだが、一日足らずの散歩ではどうにもならない。
また一日海を走る。飲んで食って走って海を見て、これが中心だ。船は大きいので揺れないし、快適。
また朝が来て、ル・アーブルに着く。そこから3時間のバスでモンサンミシェルへ。フランスには30回以上来たが、モンサンミシェルは初めてだ。潮が満ちた時、引いた時、夜景、上から、昇っていく小道、名物オムレツ、何枚の写真を今まで見た事か。確かにそれも美しかった、がただそれだけだと思っていた。パリから5時間もかけてくる意味があるのか、と思っていた。今回はル・アーブルから近いと思ったので来ることにした。この旅は、これが目的だったという人もいる。
風が強い。近くを飛ぶカモメがうるさい。見渡す限り砂州。確かにそびえる寺院は美しいは美しい。昔は要塞、牢獄、修道院、そのあとはほっておかれて残骸のみだったのをヴィクトルユーゴがこんな美しいものをそのままでいいのかと政府に働きかけて再生したらしい。いまは巡礼地となっている。両側のお土産屋や古い宿屋の間の坂を上るがきつい。岩だらけの修道院はゴシック建築とか何とか説明を受ける。合間に外を見ると砂州が広がっている。そしてここが高いというのが分かる。修道尼たちが勉強するところ、沈黙するところ、食堂、来貴賓たちの晩餐の部屋、どれも石造りで美しく天井が高い。友人の一人がある学会でその広間の晩餐パーティーに参加したことがあると言っていたのを思い出す、。尼僧たちが聖書を写す作業をする部屋も天井が高い、冬はそうとうに寒い、暖炉はあるが彼女たちのかじかんだ手の辛い作業。小さな病室と死者を祈る部屋。だんだん身に染みて来る。案内の女性にわざと、ここに住んでいるのか、と聞いたらいや違うが近い、と言った。25キロ先から来たと。身体に何か詰め込まれたような気のまま、外に出て砂州に造られた橋を渡って戻る。カモメがうるさい、風が強い、寒い、早く帰ろうと思って、ただ最後にもう一度と思って振り返る。すると急に僕の胸につき上がってきたのもがあった。尼僧たちの寒い生活が一気に蘇って来て、一つの言葉が湧き上がってきた。孤高のストイックな美しさ、、、。
帰路の飛行機に乗る前にロンドンにまた戻り一泊する。大英博物館、色んな宮殿,教会、庭園、ビックベン、街、それぞれの印象は深いが、2度目であることと、特別の感慨はない。きれいな大きな街だが、何か衰退の予想される雰囲気がする。ついでに、はじめて行った時、繁華街のピカデリーサーカスで地下鉄を降りて歩いていたら、最初に九州筑豊のラーメンや「山小屋」があった。更に進むと行橋の「金田や」ラーメンがあった。その反対の通りに「一風堂」があった。九州ラーメン万歳だったが、今回は別のリーゼント通りだったので他のラーメンを探した。あった、横丁、という店で、東京醤油、九州豚骨、札幌味噌、なんでもあった。喜んで食った。値段はどうでもよかったが、帰ってみたら一杯3000円弱だったが美味しかった。帰ってから4日ほど咳がとまらず熱も少しあったが、カナダから友人がきたのでちょっと飲みに出かけで飯を腹いっぱい食っていたら治った。あれはコロナだったかどうか、わからない、。
モンサンミシェル、数多い旅の中でも、一番印象深い場所の一つになった。
うるさいカモメ、強く寒い風、見渡す限りの砂州、そこにそびえる岩山の修道院、ストイックな美しさ。













コメント
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