あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№147 除夜の鐘 京都妙心寺 国宝梵鐘 徒然草 大宰府観世音寺 菅原道真 都府楼 白蓮 仙厓 

2023-01-08 15:12:05 | 日記
№146で京都妙心寺について少し触れた。京都から帰ってから寺と鐘について詳しく縛べた。
妙心寺は700年の歴史と広大な伽藍がある。禅宗の寺で配下に沢山のお寺がある。その梵鐘は698年、筑紫の糟屋政庁の多田羅で作られたと記されている。作者は「春米連広国 つきしのむらじひろくに」ということである。どういう経路で、筑紫から京都までたどり着いたか正確には分からない。
九世紀半ばに嵯峨天皇の橘皇后が筑紫に尼寺檀林寺を創建する時、「黄鐘調 おうじきちょう」という古律にかなった無常を表す音高の梵鐘があると知って探し求めた。それは鋳造されてから150年ほどあとで、その時に初めて歴史に名前が記されたということである。
それが廃寺になった後、いくつかの寺を回り、600年余りを経て筑紫から京都妙心寺についたのか。変遷する運命に翻弄され戦乱に巻き込まれ、また廃棄される危機を逃れてきた。僧侶の祈りや大衆の煩悩を抱えた歴史を内包してきた。
汗まみれの男たちに引かれる荷車の旅、炎天下の砂埃や山道、荒れ狂う嵐の海を乗り切って進むたび。鐘は流されるまま自分の運命をじっと耐えてこの最後の地にたどり着いた。
同じころ鋳造された鐘はいくつもあったろう。戦乱のなか壊されたり、海底に捨てられたり兵器に供出された多くの兄弟鐘があったろう。

「徒然草」に吉田兼好が書いている。「鐘の音の基本は,黄鐘調だ。永遠を否定する無常の音色である。祇園精舎にある無常院から聞こえる鐘の音である。西園寺に吊るす鐘を黄鐘調にするべく何度も鋳造したが結局失敗に終わり、遠くから取り寄せることになった・・・。」

ものの本によると、オーケストラの音合わせに用いられる基本の音と、この古鐘の周波数は同じ129ヘルツで理想の音を奏でるらしい。
僕は結婚して50年ほど、多々良に住んでいる。昔の多田羅は今は多々良という住宅地になり道路が整備され、鐘の鋳造工房の跡はない。まだ見つかっていないのかもしれない。
その梵鐘の音は固い石のように力強く僕の胸に差し込んでくるようだった。「残念であるが、古くなっているので直接の音ではなく、録音だったが」無常の世に、いや無常であればあるだけ己の力を信じなければならない。苛酷な時代を生き抜いてきた梵鐘の音は永遠でなくともその瞬間を貫き響いた。僕はそれを受け止め自分の力にすることができた気がした。

大宰府の観世音寺は、天智天皇が新羅を応援していた筑紫にいた母斉明天皇の薨去にあたり、その霊を弔うために創建した。その後何度かの火災や天災を受けたが再建され、1300年の歴史を持つ。廃寺の危機も逃れて今は小さくなっているが、質素な佇まいと品格のある歴史が感じられる。周りの静かな平野に、春は菜の花や桜の空に雲雀が飛び交い、夏には大楠の緑が涼しく、秋には紅葉と萩の乱れが本堂を包む。
現在の鐘楼と梵鐘は創建時のままの風格を持っている。
梵鐘は妙心寺と同じ工房で厨房された兄弟鐘をいわれている。洗練された妙心寺のそれに比べ、やや粗削りでそのためより古く、現存している日本最古の梵鐘である。
除夜の鐘と9月の決まった日にのみ、鐘がつかれる。大晦日は108人が撞けるらしい。残念ながら直接の音を聞いたことはない。
長い歴史の間、古代から現代にいたるまで多くの貴人や文人が訪れている。
大宰府政庁に左遷され蟄居していた失意の菅原道真はその漢詩「不出門」に書いている。

都府楼は微かに瓦の色を見る
観世音寺はただ鐘の音を聴く

荒れ果てし西の都にきてみれば
観世音寺の入相の鐘 仙厓和尚

観世音寺ゆうべの鐘に花散れば
身も世もあらず泣かまほしけれ  白蓮

他にも、宗祇、漱石、白秋、歌人俳人と訪れた人は多い。

運命を耐えてきた妙心寺の力強い梵鐘に比べ、観世音寺のそれはなぜか哀調を帯びている。

2022年3月まで九州博物館で二つ並べて展示されていたらしいが知らなかった。比べて音を確かめたかった。



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