あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№89 石山寺 秘仏 紫式部 琵琶湖

2016-11-03 12:54:07 | 日記
5年ほど前だったか、パリから電車で一時間ほどのシャンティィというところへ行く時に電車の中で初老の日本人の女性にあった。彼女は水彩画を描いていた。素人ながら味のある絵だった。僕はシャンティイ城に行くところだったが、彼女はどこかによってあとでその城に行くと言っていた。湖上のきれいな小さな城である。白鳥が悠々と遊び、森の先へ消えていく。ココは僕は3回目だった。じゃあ後でまたお会いできるかも、といって別れたがそのままだった。
それからは忘れていたが、数日後空港でばったり会った。飛行機も同じだった。住所を交換した。滋賀県の大津の人だった。「前に一度書いたことがある」

翌年の春、京都で彼女の絵の個展の案内が届いた。家内と出かけた。丁度桜の季節だったのでそれも兼ねた。パリの街角の油絵だった。素人とは思えない立派なものだった。その時に大津に招待された。琵琶湖ホテルの会員になってるので、半額以下で泊まれる優待券があるとのこと。数か月後に家内と出かけた。
琵琶湖は何度も訪れたがどのホテルだったか覚えていない。格式のある古い琵琶湖ホテルの記憶はない。琵琶湖遊覧船に乗ったのは覚えている。ああこれが琵琶湖かという印象だけであった。また三井寺や比叡山に登ってそこからバスで京都へ入ってきれいな紅葉を鑑賞したこともある。ただの観光気分だった。ところがあるとき、川端康成の「美しさと哀しみと」を読んで、その気分で琵琶湖を眺めてみたいという気が起った。なかなか読み応えのある作品だ。また琵琶湖の北部の寺をいくつかまわって十一面観音めぐりをしたこともあって、琵琶湖は僕には特別な意味を持つようになった。井上靖の「星と月の祭り ? 」正確には忘れたが、は十一面観音と琵琶湖を書いてある。どちらも琵琶湖で水死する若者がいる。十一面観音を訪ねたある冬の、雪に転びながらの一日はいまだに僕の心に蘇る。これ以上の美しい女性にはまだ会わないというくらいの観音様だ。また大津市には芭蕉の墓のある「義仲寺」もある。

そして何よりも、紫式部が訪れて感動したという石山寺だ。そこからの琵琶湖の十五夜の眺めから、源氏物語を書き始めたという話だ。寺の本堂には源氏の間があり紫式部の人形が座っている。浜大津の飲み屋街の思い出から、様々な琵琶湖の思い出がいつの時もふと浮かんでくる。
さて、その時も石山寺を訪れて家内に説明し、また比叡山にも昇り楽しい時間を過ごした。たしかそれは2013年のことだったろう。その時に2016年に石山寺の秘仏が開扉になると知った。33年に一度しか扉は開かない。その秘仏を生涯で3度拝む人はそういないだろう。「例外として天皇即位のときは開く」僕はその時から、指折り数えて今年の秘仏を待っていたのだ。

本尊の秘仏は「如意輪観世音菩薩」で1096年平安時代に本堂ができたころに造立されたということだが、寺は747年天平時代に開かれたらしい。大津の女性は都合がつかず、今回は会わなかった。「わが長男が年末からアメリカに家族とともに4、5年いくのでその家族と同行した。夫婦と8,7,2歳の孫。その妻は源氏物語のファンで喜んでいた。」
さてその本尊は台座からは5メートルあまり、本体は3メートル余りの大きさである。ほっそりした小さな静かな本尊が33年の闇からふと微笑みを浮かべながら出でますと思いきや、大きな本尊でまずびっくりした。そして感動した。ふっくらとした体は荘厳で閉じた目は慈愛にあふれている。前に立つだけでその懐に抱かれている気がする。何年も前、仕事をしていた時、日々が戦いで苦しみに満ちていた時この本尊に出会っていたら、僕は間違いなくその安らかさに触れて涙を抑えることはできなかったろう。この感動は残り少ないわが人生にいつも座っていてほしい。これ以上はこの如意輪観音菩薩についてはもう書けない。わが拙文で汚すような気がする。

紫式部は1016年?ころに亡くなっているのでこの菩薩は見ていない。

追 ずいぶん前に京都の国立博物館で「三井寺」の本尊を拝んだことがあった。「奇麗な少女のようなやんちゃな姿」その数年後初めて三井寺を訪れた時に坊さんに本尊はどこですかと尋ねると、60年に一度しか拝めませんと言われたことがあった。この前、博物館でみましたというと、国立などの特別な展示では拝めます、と言われた。




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№88 石山寺 秘仏 紫式部 琵琶湖

2016-11-03 12:54:07 | 日記
5年ほど前だったか、パリから電車で一時間ほどのシャンティィというところへ行く時に電車の中で初老の日本人の女性にあった。彼女は水彩画を描いていた。素人ながら味のある絵だった。僕はシャンティイ城に行くところだったが、彼女はどこかによってあとでその城に行くと言っていた。湖上のきれいな小さな城である。白鳥が悠々と遊び、森の先へ消えていく。ココは僕は3回目だった。じゃあ後でまたお会いできるかも、といって別れたがそのままだった。
それからは忘れていたが、数日後空港でばったり会った。飛行機も同じだった。住所を交換した。滋賀県の大津の人だった。「前に一度書いたことがある」

翌年の春、京都で彼女の絵の個展の案内が届いた。家内と出かけた。丁度桜の季節だったのでそれも兼ねた。パリの街角の油絵だった。素人とは思えない立派なものだった。その時に大津に招待された。琵琶湖ホテルの会員になってるので、半額以下で泊まれる優待券があるとのこと。数か月後に家内と出かけた。
琵琶湖は何度も訪れたがどのホテルだったか覚えていない。格式のある古い琵琶湖ホテルの記憶はない。琵琶湖遊覧船に乗ったのは覚えている。ああこれが琵琶湖かという印象だけであった。また三井寺や比叡山に登ってそこからバスで京都へ入ってきれいな紅葉を鑑賞したこともある。ただの観光気分だった。ところがあるとき、川端康成の「美しさと哀しみと」を読んで、その気分で琵琶湖を眺めてみたいという気が起った。なかなか読み応えのある作品だ。また琵琶湖の北部の寺をいくつかまわって十一面観音めぐりをしたこともあって、琵琶湖は僕には特別な意味を持つようになった。井上靖の「星と月の祭り ? 」正確には忘れたが、は十一面観音と琵琶湖を書いてある。どちらも琵琶湖で水死する若者がいる。十一面観音を訪ねたある冬の、雪に転びながらの一日はいまだに僕の心に蘇る。これ以上の美しい女性にはまだ会わないというくらいの観音様だ。また大津市には芭蕉の墓のある「義仲寺」もある。

そして何よりも、紫式部が訪れて感動したという石山寺だ。そこからの琵琶湖の十五夜の眺めから、源氏物語を書き始めたという話だ。寺の本堂には源氏の間があり紫式部の人形が座っている。浜大津の飲み屋街の思い出から、様々な琵琶湖の思い出がいつの時もふと浮かんでくる。
さて、その時も石山寺を訪れて家内に説明し、また比叡山にも昇り楽しい時間を過ごした。たしかそれは2013年のことだったろう。その時に2016年に石山寺の秘仏が開扉になると知った。33年に一度しか扉は開かない。その秘仏を生涯で3度拝む人はそういないだろう。「例外として天皇即位のときは開く」僕はその時から、指折り数えて今年の秘仏を待っていたのだ。

本尊の秘仏は「如意輪観世音菩薩」で1096年平安時代に本堂ができたころに造立されたということだが、寺は747年天平時代に開かれたらしい。大津の女性は都合がつかず、今回は会わなかった。「わが長男が年末からアメリカに家族とともに4、5年いくのでその家族と同行した。夫婦と8,7,2歳の孫。その妻は源氏物語のファンで喜んでいた。」
さてその本尊は台座からは5メートルあまり、本体は3メートル余りの大きさである。ほっそりした小さな静かな本尊が33年の闇からふと微笑みを浮かべながら出でますと思いきや、大きな本尊でまずびっくりした。そして感動した。ふっくらとした体は荘厳で閉じた目は慈愛にあふれている。前に立つだけでその懐に抱かれている気がする。何年も前、仕事をしていた時、日々が戦いで苦しみに満ちていた時この本尊に出会っていたら、僕は間違いなくその安らかさに触れて涙を抑えることはできなかったろう。この感動は残り少ないわが人生にいつも座っていてほしい。これ以上はこの如意輪観音菩薩についてはもう書けない。わが拙文で汚すような気がする。

紫式部は1016年?ころに亡くなっているのでこの菩薩は見ていない。

追 ずいぶん前に京都の国立博物館で「三井寺」の本尊を拝んだことがあった。「奇麗な少女のようなやんちゃな姿」その数年後初めて三井寺を訪れた時に坊さんに本尊はどこですかと尋ねると、60年に一度しか拝めませんと言われたことがあった。この前、博物館でみましたというと、国立などの特別な展示では拝めます、と言われた。




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