あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№149 ドンタク山笠放生会 葵祭 祇園祭り ねぶた だんじり マントン檸檬祭り ニース花祭り ヴェニスカーニバル 六条の御息所 野々宮神社あ

2023-04-07 13:28:55 | 日記
もうすぐ博多ではドンタク祭りが始まる。とくに祭りが好きなのではないが、一応は博多の祭りにはなんでも顔を出したものだった。櫛田神社祇園山笠、放生会、。中世から続くとか、700年の歴史があるとか、いろんないわれを聞かされたものだったが、立ち並ぶ屋台や浮かれた人間の流れや、山笠のしんがりについていった少年のころ、の思い出の一つになっている。
歳をとっても、無関心ではいられない。子供にも見せたり、よそから来た人にも一応は教える。丁度客人が来た時には、飾り山笠の見学に連れて行く。他県の祭りもたくさんあるだろうが、わざわざ見に行くことはない。ねぶた、だんじり、丸太を転がす祭り、くんち、など旅の途中で出会うといいなとは思う。
仕事で札幌へ行った時、偶然によさこい祭りに出会った。いくつもの各グループが道一杯に踊りながら行進する。グループは競争のように随分前から練習をするらしい。博多ドンタクのようなのんびりしたパレードではない。迫力はあった。「ちょっと横道にそれるが、まだバブルの頃だったろうか、かすかな記憶がある。博多はアジアに開く街、ということで東南アジアの国にドンタクへの参加の招待をおくった。いくつかやって来て喜んで祭りに参加したことがある。ところが、ある小さな国は、帰ったら福岡市から旅費や滞在費の請求が来た、といって驚いたという話があった。悲しかっただろう。それがどうなったかは知らない、今ふと思い出した。僕の思い違いか、どうか?」

旅先で出会う祭りで、印象に残っているのは京都の祇園祭だろう。祇園祭と言う名前かどうかも確かではないが。時代まつりと言ったかどうか。各時代の衣装装束を纏った行列は見ごたえがあった。随分むかしなのであまり覚えていないが、見事だったという印象だけ残ってる。汽車の時間が迫っていたので、中座したのがまた残念だった。
京都の祭りと言うと、実際には見たことはないが、加茂祭というか葵祭と言うか、源氏物語、また能の葵上が思い起こされる。六条の御息所という綺麗な教養のある女性の物語だ。彼女はかつては光源氏の恋人であったが、今は違う。源氏には妻の葵上がいる。ある加茂祭の時に、彼女の牛車と葵上の車が見学の場所取りでぶつかる。御息所は負ける。その上に下人に馬鹿にされる。御息所は悔しくて病になる。そして生霊になって、産褥の葵上を苦しめる。能ではそこで般若になった御息所は折伏されて退散し、葵上はたすかる。「ついでだが、御息所はそのご野々宮神社に籠り、源氏とへの執着を必死の思いで断つ。この神社は嵯峨野の竹林に奥にある小さな綺麗な神社」

ベニスのカーニバルは我々日本人から見て特に面白かった。ヨーロッパから集まってきた好き者が、それぞれに中世や変わった衣装でかってに街を歩く。その数は結構多い。そして写真を撮らせて喜ぶ。色鮮やかで奇妙で、男も女も、。2階の窓辺に佇み、物語のヒロインのように感傷に耽るまね、それを他人が写真にする。中世の貴族の服をきた男連れが普段の顔をしてカフェで珈琲を飲んでいる。写真を良いかと聞くと、喜んですまし顔になる。とくに人気のある人の周りは人垣ができる。いつから始まって、何の主旨かは知らない。昔からは重苦しい義務、仕事、主従関係などから解放される日らしい。
マントン、フランスかイタリアか知らない、の檸檬祭りは楽しかった。街中に100トンほどの檸檬が大きなオブジェになって飾られる。街風に檸檬の匂いが満ちる。人間だったり動物だったり、飾られた車が街を行進する。それがまた見事である。この辺りは世界で一番檸檬がとれる。祭りは長い歴史があるらしい。あとで聞くと、祭りが終わると檸檬は90パーセント回収されてまたジュース他に加工されるらしい。
ニースの花祭りはまた華やかだ。花でいっぱいに飾られた車が美女を乗せて街をまわる、音楽に合わせて踊る。花の女王が決まるのかどうかは知らない。審査員は困るだろう。韓国の女性たちがグループで道路を踊って行進している。見学者たちもみんな花を持っている。皆浮かれて、皆綺麗に見える。カフェにお婆さんが一人誰かを待っているのか、黙って座っている。あまりうれしそうな表情でもない。ニースに住んでいるのですか、と声をかける。そうよ、と言って少し頬が緩む。僕は手に持っている花を数本彼女に渡す。その時のおばあさんの嬉しそうな顔。彼女も一人で、花祭りを楽しんでいたのだ。寂しいけど、少しは楽しんで。東洋の不細工な男から花を貰ってくれてありがとう。夜になると広場がライトアップされ、見学席が作れら、大音響、。花でいっぱいの車が、美女と共に順番に行進する。その日、一段と喝采を浴びたのは、張りぼての、金正恩とトランプの姿顔だった。トランプが、ロケット小僧、と言っていたころだった。

パリでは、白夜祭に何ども出会った。10月の最初の土曜日は、地下鉄も朝まで動く、。各通りにはあ舞台ができて演奏が止まない、店も一晩中開いている。汽車の駅は解放され、朝までディスコ。公演や市役所前広場には選ばれたオブジェが飾られる。古い建物は芸術的にライトアップされる。ある時は、市役所広場に、大きな氷の柱が立った。それに色とりどりのライトが当てられ、氷が解けていくにしたがっての変化を楽しむ。「ちょっと自慢だが、仏語で俳句大賞を貰って、パリへ招待されたのは、この白夜祭がテーマだった」
あれはデモンストレーションだったのか、お祭りだったのか。ホモ連中の大行進に出ったこともある。化粧した大男や優しい男たちが、カルテェラタンを音楽に合わせて練り歩いていた。それなりに見事だった。
あれは何だったのだろう。あれも祭りだろうか。ある夕方、ノートルダムの前の広場に500人、いや千人か、若者たちが集まってパーティをしていた。全員、真っ白な服、帽子、男も女も、テーブルも、食べ物も。異様な雰囲気だが、皆楽しそう。一人に尋ねると、彼はまくしたてて説明してくれた。その時のフランス語は全く分からなかった。」














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