あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

46 京都有栖川旧邸 妙心寺 京都御所 銀閣寺 観音堂 真如堂 柳月堂 フランソア ろくでなしジャズ クラッシック喫茶店 長楽寺 観世音寺 多田羅 旅行支援、日本ペンクラブ チェコ 外人アーティスト

2022-12-02 15:40:18 | 日記
2020年の初め、コロナに追っかけられてパリから帰って来たのが最後の旅になる。それ以来、東京の日帰り一度で、何処にも行かないままで2年半、いよいよ我慢ができなくなった。
ちょうど、10月に日本ペンクラブの京都例会の案内が来た。4回のワクチンは済んでいる。久しぶりの旅になった。10月のその日から旅行支援が始まる。安いはずだが、旅行社に行ったらもう京都は予算オーバーでありませんとのこと。仕方がないので、ホテルは東京新橋の会員のビジネスホテルを確かめると京都の四条烏丸にもあったので予約した。新幹線は仕方がない。「後先になるが、ホテルは4割引きにしてくれた。安いホテルだがチェックアウトの時に現金が5千円戻ってきた」
ペンクラブ会場は古い何とか女学院なので、京都に着くとまず場所を確かめがてら散歩して、昼飯はやっぱりラーメンを探すがなかなかない。京都御所の近くなので、周りの庭を散歩した。それから前もって調べておいた、クラッシック喫茶店を目指した。最近はよくカフェでボーと時間を潰すのが好きなので、京都でもそんな時間を使いたかった。紙が一枚あると、詩のフレーズを書き込んだり、小説の構想を書く。四条河原町に昭和の初めにできたクラッシック喫茶店フランソアというのがある。地図で調べてやっと見つけたが、中は満員、観光客ばかりだろう、がっかりしてすぐに出た。ビール一本900円を払った。
それから祇園を歩き、10年ほど前によく行ったバーのあるビルに行ったが、看板はあるものの、ビルは閉まったままだ。
京都で一番好きな寺は長楽寺なので、まずそこを目指す。八坂神社の横を通って坂道を昇るとある。何度も書いたが、平清盛の娘、安徳天皇の母、壇ノ浦で身を投げたが死ねなかった、悲劇の女性建礼門院徳子30歳が剃髪した寺、あまり知られていない静かな寺。3年ぶりなのに寺は改修中につき閉まっている。そこの小さな庭は特別のものでもなく、池があるだけ。いつも観光客は来ない、静かだ。だが残念なので裏山に昇ってそこから池を眺めるだけしかなかった。紅葉はまだ早い。
円山公園で時間を過ごしてから、さあ、何処に行こうかと思うが当てもない、それが嬉しい。ぶらぶらと高瀬川の畔を歩いていると、ジャズバーがある。ろくでなし、入ることにした。カウンターがあるだけのきれいでもない飲み屋。オーナーのバーテンが一人。漬物盛り合わせで、焼酎を飲む。九州ラーメンと書いてあるので聞くとたまたま棒ラーメンがあるので書いているとのこと。地元の客と話をして、まあまあの時間を過ごす。その川の5条辺りに昔は、パリ野郎というシャンソニエがあったが今はない。
しばし鴨川べりに座って暮れていく風景を見ていた。
さて居酒屋か小料理屋で飯と思ったが、風情のある下町をあるくが、どこも満員。歩き疲れて、それも楽しいが、結局また麵を食った。それで一日目は終わり。
二日目は午前中は、テラスのあるスターバックスでボーと作品の構想を練って昼からペンクラブ。1972年だったか、世界中から物書きが京都に集まって、日本はほとんどのものかきが参加した会議のフイルムが流された。主催は会長の川端だが、その会議の前に彼は自殺している。そのことは誰も語らない、から面白くない。それから有栖川旧邸の庭でガーデンパーティ。これが目的だったが、たいした庭でもなかった。立食ながら料理はまあまあだった。
京都は、外人のアーチストを集めて招待し自由に何か月が活動をさせる企画があるらしい。その若者が数人来ていた。やっとチェコから来ている若い女性と話をすることができたが、人気者で時間が取れないのが残念だった。プラハの思い出を語ったが、ドボルジャクやスメタナの話から始まったので、貴方は音楽関係ですか、と聞かれてしまった。ミランクンデラを聞くと彼は病気でパリに住んでいると言った。彼女は渋谷を中心とした小説を書いていると言った。僕と話をする時間が無かったのは、彼女にとっては残念なことだったろう。夜は昨日満員だった居酒屋でそれなりに美味しかった。
3日目の朝ははやはりスタバで過ごし、昼飯でホテル日航で藤元先生と会った。彼は宮崎の大きな病院の理事長だったが、引退して一人で京都に住んでいる。著書も20冊に及び、特にフランス人精神学者アンリー・エーという人の訳本が多い。あとはSFや京都舞台の小説なども手掛けている。僕の尊敬する人である。4,5年ぶりだったろう、話がはずんだ。うらやましい限りだ。
別れてから、タクシーで妙心寺に行った。ここは初めてで、国宝の梵鐘がある。福岡の観世音寺の梵鐘と兄弟の鐘で、福岡の多田羅で作られたらしい。その多田羅は僕が住んでいるこの東区なのだろうが、詳しくは分かっていない。録音であったがその音を聞いた。そのために来たのだった。音の響きは、単純で力強く、すっきりしていた。しかし帰ってから時間が経って思い出すと、時間が経つごとに、その音の彼方に神秘と深淵が蘇ってくる。はじめてだったが来てよかった。
夕方は街に戻り、これも調べておいた、クラッシック喫茶柳月堂へ行った。大きな音楽室は音を立ててはいけない立派な部屋と音響設備だった。ビール代900円と別に部屋代600円だった。次からレシートを見せると200円引きらしいが、いい音楽を音を聞いて満足だった。夜は3条の大きな看板なる手打ち蕎麦を食った。なかなかのものだった。
4日目は月曜日で小雨。銀閣寺もいい小雨の中、人も少ない。
続いて、定番の観音堂。与謝野鉄幹、晶子、山川登美子のことはよほどの人でないと知らないだろう。紅葉はまだだ。小雨の中の池の鯉も風情がある。何度も来たが、今回は見返り阿弥陀の表情がいつもと違って見えた。妙に艶めかしく、俗世間の男が迫ってくるのを手で拒否しているように見えたのは、なぜか。
哲学の道を歩かず今回は真如堂を訪ねた。前の日、藤本先生が、友人のフランス人が真如堂が良かったと言ってた、という言葉を思いだしたのだ。確かにいい。人が少ない、紅葉の緑があたりを覆い、赤くなるとどんなに素晴らしいだろうと思う。また堂の周りには萩の群生。花はまだだが、これが咲き乱れるとすごいだろう。
何もない時間、ふらりと入ったカフェ、木の椅子とテーブルだけの簡素。映像でモーツアルトを流している。主人が一人。これも古い煉瓦作りのビルの中にある。なかなかいい。翌日も行ったが休み。どこかで蕎麦屋に入った。蕎麦屋は少ない。ニシンそばを食った。
京都人は観光慣れしているのか、バスを乗り間違っても、いいいよ、といって運転手はバス賃を取らない。
数年ぶりの京都はやはりよかった。
タイトルが46になっている間違い、№146が正解






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする