あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№152 人生と音楽その3 銀巴里 青い部屋 ライオン ランブル ドボルザーク スラブ舞曲10番 ベートーベン第三番 バッハマタイ受難曲

2023-07-21 14:41:38 | 日記
音楽について、僕は勝手なことばかりかているが、楽器をなにもしなかったので、音そのものの良さを知らない。絶対音感までいかなくとも、音楽人は音そのものを愛しているだろうから、音にはうるさいだろう。昔はコンサートなど行かなかったし、生で音を聴くチャンスは少なかった。ラジオやレコードがほとんどだった。音楽に酔い、物語性が好きだったのだろう。

ほぼ60年前の事。大学卒後上京し、丸の内に勤めながら、週末は小説書きの修業の日々だった。大学の同人誌九大文学の作品を褒めてくれた新潮社の編集者におだてられて、作家をちょっとは夢みた。しかしいつも没で書き直しばかり。昼間の仕事も楽しく忙しく、おろそかにできない。金曜日の夜は新宿に出かけ腹いっぱい酒を吞み酔う。土曜日と日曜日は外食堂の言葉だけでだれとも口を気かない。一日中机に向かっていた。日曜日が暮れる。外は雨が降っている。今日もいいものは書けなった。布団に入ってなけなしの金で買ったポータブルラジオをかける。そこから流れる音楽が悲しい。ドボルザークのスラブ舞曲10番。黒沼ゆりこという知らないバイオリニスト。悲しいだけではない、遠い異国への憧れ。この曲が60年も僕に付きまとう。

丸の内のサラリーマンといっても新米の給料は安い。コンサートなど行けない。音楽はラジオか音楽喫茶しかない。
いまもある新宿の「ランブル」は、当時から変わっていない。渋谷道玄坂の「ライオン」、は今でも上京するとわざわざ時間を取っていく。おお大きなスピーカーの割には音はだんだん悪くなってきている。が座って何時間でも過ごせる貴重な場所だ。バロックのいい音楽があると聞いて、高田馬場の「白鳥」という喫茶店探した。マタイ受難曲はいい音だった。ただ座り心地が悪く、あまり行かなくなった。中野に面白いところがあると聞いて、そこにも行った。「クラッシック」という名で、珈琲と紅茶と粉末ジュースしかない。板張りの倉庫のようなところだったが、音はまあまあだった。懐かしい。何年か前に行ったがなかった。
国立に「邪宗門」があったが、音楽は覚えていない。ウインナー珈琲が名物だった。「邪宗門」は荻窪にもあった。小さな板張でクラッシックをかけてくれた。年老いた女性がオーナーだった。古いスピーカーだったが音は柔らかくて良かった。ある時、ベートーベンの3番をかけてくれと頼んだら断られた。閉店時間まじかだったからだろう。それから行かなかったが、先日50年ぶりに覗いてみた。歳の頃90歳くらいのお婆さんが珈琲を二階まで運んでいた。あの頃の人だろうか、不思議な気持ちだった。
新宿や代々木のジャズ喫茶によく行った。悩みを抱えた頭にガンガン、ジャズが響いて何時間も過ごした。
いつもは行けなかったが、シャンソン「銀巴里」は好きだった。今でも歌手の名前を思い出す。福岡から来て歌っていた女性がいたので近くの花屋から花を届けさせた。戸川昌子の「青い部屋」は最初の頃一度行ったが、その著名人たちが行くようになって高いのであまり行かなくなった。

苦労と悩みの多い4年だったが、楽しいことも多かった。そしてそれぞれに音楽の思い出がついている。新宿の下町では、老人がバイオリンを弾いて回っていた。僕が、「暗い日曜日」を弾いてくれと頼むと、彼は弾いた。1930年代、ヨーロッパの絶望した若者たちがそれを聞きながら自殺したのが多くなったので禁止になった。別の店で知り合った大学中退の友人が酒を飲みながらその歌を僕に教えてくれたのだ。暗いスタンドバーで。今でも僕の得意な曲だ。

僕は24歳だった。希望と、失望と、自信なさと、意欲、と混乱した日々を送っていた。当然好きな女性はできる。結婚も考える。彼女もその気はありいい女性だった。多分そうしていても今でも後悔はないだろう。しかし僕は随分迷い、悩んだが別れることにした。まだ24歳だ、これから何があるか分からない。まだ世界へ飛び立つ夢、仕事、別の女性、チャンスもある。このまま所帯じみた男になりたくない。苦しかった。独身の先輩の家に立派なステレオがあった。いつもそこにお邪魔していた。留守中も入ることができた。何日も何日も僕はそこでベートーベンの第三番を聴いて、悩みを消そうとした。それを聴いている間は心が少し安らいだ。ヘルベルト・フォン・カラヤン。



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