あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№75 徳富蘆花 大逆事件

2015-04-14 13:32:58 | 日記
今年の4月4日は大風と雨で満開の桜は半分以上散ってしまった。とくに上野公園は週末の宴会は無残だったろう。土曜日に見に行ったが、シートはずぶ濡れ、寒そうに場所取りをしている新入社員もいたが、さびしいものだった。それでも外国人はにこやかに楽しんでいた。次に千鳥ヶ淵に行ったが、これは見事だった。初めてだった。夜はさらに素晴らしいだろう。月曜日には目黒川の桜。いい天気でだいぶ散ってはいたが、それでも見事だった。

丁度いい時期に上京した。「文学街」という同人雑誌に参加したので、年に一回の集まりに出ることにした。だが知り合いも、「文芸思潮」の五十嵐氏、「全作家」の横尾氏がいなかったので早々に退出した。上京は桜を見る目的もあったのでそれはそれでよかった。
「文学街」は30年近く続いている月刊の同人誌で、熊本の「詩と真実」が70年近く続いている月刊同人誌、どうように立派なものだ。僕は両方へ参加した。年に二回の「季刊午前」「海」年に一回の「胡壺」にも参加しているのでこれからは発表に忙しい。一応は書き溜めたのを発表するつもりだ。

もう一つの上京の目的は「徳富蘆花の家」を訪ねることだった。フランス語の先生、エレーヌ先生のご主人の高藤先生「九大名誉教授仏語」が上京の折はぜひ行ったがいいと勧めてくれていた。なにがきっかけで蘆花のはなしになったか忘れたが、高校の時はそのそばの高校に通い、昼休みなどは蘆花の家の付近の公園で煙草を吸ったりしてしていた、いいところだと。

蘆花の小説「不如帰」「灰塵」、エッセイ「自然と人生」、トルストイの影響を受けての農民生活は、あまりにも有名である。僕は中学の時に「「自然と人生」「灰塵」をよんで感動した。不如帰は長かったので後に伸ばした。
それからは長い間読んでいなかったので、しばらくは国木田独歩と混乱していた時期もあった。独歩の短い小説に、頭の少し遅れた少年が城の崖から落ちて死んだという話、鳥になったつもりだったのだろうか、の悲しい話と、西南戦争で死を無理強いされる話の「灰塵」の不条理が同じ感情で長い間僕をとらえていたからだった。

それと「自然と人生」の漢文調の美しい文体は、女性こそ出てこなかったが、そのロマンチックさが僕を大人の仲間入りをさせてくれた気がしていた。今回、訪れるにあたってもう一度「自然と人生」をめくってみた。
その中の「断崖」は、昨年家内と行った東尋坊を思い出させて面白かった。好敵手である親友と一緒に断崖絶壁をのぞきこむときの手記である。それぞれが相手を突き落そうと思っているのではないかという、ただそれだけの話だが、これだけに一人の少女を取り合ったことがあった、自分は負けたけど、と書いてある。女性が出てくるのはここだけだ。これはぱらぱらと、きままに繰って好きなところだけを読めるのでこれからも手元に置いておくつもりになった。

京王線で新宿から20分ほどの「芦花公園」。38歳の時にトルストイを訪ね、そのころはもう一流作家、その影響で39歳の時にこの世田谷の粕谷に来る。広大な土地を買って農民と作家活動の生活に入る。橡、楠木、さわら、秋楡、竹林に囲まれている。駅から公園を尋ねる道筋も桜が美しい。そしてさまざまな木々に埋め尽くされた広大な公園。そのなかに「記念館」と「蘆花恒春園」となずけられた蘆花の家がある。100年以上たった風格のある木造の平屋である。蘆花の死後に夫人が都に寄付した。そばの木立に夫婦の墓もある。なにかのインスピレーションが僕の中に沸き起こったのは確かだった。

蘆花が好きな理由がもう一つある。知らなかったことがたくさんあった。僕はこのところ、大杉栄をずっと読んでいた。伝記を3冊、手記、評論集など。かれが関東大震災で虐殺される前の、大逆事件は大きな出来事である。かれはその時には「千葉監獄」にいたので連座はかろうじて免れたが、危ないところではあった。
若い社会主義者、無政府主義者たちが20数名つかまり、女性一人を含む12名が死刑になった。
明治天皇の暗殺を企てたということだが真偽のほどはわからない。
蘆花は、トルストイの人道主義信奉者でもあり、むしろ右寄りの意見を持っていたと思うが、ジャーナリストの兄や、当時に桂首相に対して死刑の減刑を請願している。しかしそれはかなわなかった。
そのあと、東大の講堂で演説する。後々まで語られる史上に残る大演説だったと言われている。要約は次の通り。
「真に大逆の企てがあったとすれば残念である。しかし彼らを生かしておきたい。乱臣賊子の名を受けても、彼らは志士である、、、、、。諸君、謀反を恐れてはならぬ。自ら謀反人となることを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀反である、、、、、。

同時に森鴎外も「三田文学」書いている。「芸術の認める価値は因習を破るところにある、、、、。因習の目で見れば、あらゆる芸術は危険に見える、、、。」
石川啄木もかなりの関心を持って「時代閉塞の現状」を書いた。彼は翌年に死ぬ。

ついでに、前にも書いたが1911年はこんな年である。中国の辛亥革命、青木繁死去、青鞜「平塚らいちょう」発刊、伊藤伝衛門と白蓮の結婚、フランスではアポリネールがモナリザ盗難事件で刑務所へ。
























コメント
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