あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№145 ルーブル オルセー クールベ 鹿 渓流釣り ユニセフ 東公園 村野四郎 宮沢賢治

2022-11-08 11:00:41 | 日記
渓流釣りの趣味の友人から聞いたことがる。人が足を踏み入れていないような森の中、紅葉した落ち葉の堆積から鹿の角だけが突き出ているのに出会ったことがある。死んだ鹿は、何年もかかって体は溶けてしまい、角だけが残って突き出ている。美しいと言おうか、奇妙と言おうか、異様と言おうか、悲しいと言おうか。森閑とした森の奥深く、しずかに生きている鹿を想像する。美しい姿を想像する。また静かに死んで行く。
最初に鹿を知ったのは幼児の頃の動物園であったか、映画のバンビだったかは記憶にないが、鹿が僕の中の美のイメージとして定着したのは、後で述べるクールベの鹿だったか、村野四郎の詩であったか。少年の頃この詩を読んだとき多分僕は涙を流したと思う。はじめて文学、芸術を身に感じたのだ。今でも目が潤む。詩を読んで涙がでたのは、宮沢賢治の妹の死の時の詩とこの二つくらいだろう。その詩を書いてみる。

  鹿  村野四郎

鹿は 森の外れの
夕日の中に じっと立っていた
彼は知っていた
小さい額が狙われているのを
けれども 彼に
どうすることができただろう
彼は すんなり立って
村の方を見ていた
生きる時間が黄金のように光る
彼の棲家である
大きい森の夜を背景にして

先日同人誌「詩と眞實」という雑誌に詩を書いた。「密猟者」という題で、やっと見つけた鹿を密猟して殺して食う。むしろ愛しながら食う。「毒の花を見つめすぎて、美しくなったその瞳は」うっとりしながら僕に食われる。その後僕は幻想の世界にしばし漂うが、やがて日常へ戻る。老人として昼の都会をふらふら歩く。密猟者は詩人で、秘密の美の象徴である鹿を手にいれる。それをただ描きたかったが、他人は理解してくれただろうか。

鹿と言えば、何度もこの欄や他の機会にも書いたが、クールベの「追われる鹿」という絵がある。この絵と村野四郎の詩が僕の芸術の原点の一つである。「他にもありすぎるが」
1954年頃だったか、東公園の武徳殿という大きな武道の建物があった。そこでルーブル美術展が開かれた。まだ戦争が終わって10年も経っていない頃、多くの人々の悲しみや絶望が過ぎていない戦後、このルーブルの美の襲来は、戦後の虚無に陥っていた人々にどんな感動を与えただろう。
昔気になっていたので、調べたことがあったが、朝日新聞とユニセフの主催だったらしい。雨の日も傘をさして会場の周りを見学待ちの人々が並んでいた。僕はその会場にまぎれこんで、絵を見て回った。「親に感謝する」沢山の印象に残った絵のなかで、このクールベの「鹿」の絵に僕は深い感動を覚えて動けなかった。深い森の中、せせらぎを蹴って小鹿がこちらへ逃げてくる、森の奥の湖、森の空気、可憐な鹿、怖れを抱きながら逃げてくる鹿、。買ってもらった図録に載った絵を僕は何度も繰り返し見たが、それは友人に貸して戻ってこなかった。
50年経って、初めてパリを訪れた僕はルーブルへ早速行った。しかしその絵はなかった。案内所で尋ねたが、正規の名前を知らないので分からないままだった。それから数年して再びその絵に巡り合ったのはオルセー美術館だった。そちらに移っていたのだ。しかし常設ではなかった。僕は感度のあまり少年時代と同じように動けなかった。
50数年、僕が変わらずに求めてきたのは、この美だった。詩でも絵画でもそれが描く美は永遠に変わらない。

僕は20歳まで詩を書き、26歳まで小説を書いていたが、その後40年ほどは何も書けなかった。実業の世界に入って苦しい時を過ごした。そして無事引退し、パリを何度も訪れ、解放され、クールベの感動に再び出会え、昔の感情が流れ始めた。理解してくれる人は少ないだろうが、おかげで書き始め、書き続けている。今でも目をとじると鹿の絵は浮かぶ。そして少年の感動と大人の感動が重なっている。

クールベは旧来の美術から脱皮しようとしたが、印象派とは相いれない反逆者だった。パリコミューンの時、バンドーム広場の塔を破壊し、逮捕された。後にスイスに亡命して死んだ。













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