あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№122 パリ パンテオン 白夜祭 ランボー ユーゴ― デュマ ゾラ ヴェルレーヌ カミュ

2020-09-20 12:54:29 | 日記
パリ 、カルチェ・ラタンにパンテオンがある。昔はジュンヌヴィエーブ「パリの守り女神」の丘と言われた場所だが、緩やかな道なので今は丘とは思えない場所だ。パンテオンは聖廟とも万神殿とも言われ、フランス政府が認めた偉人を祀るところだ。
中のドームの下の広い空間で空気はひんやりして尊い。地下に偉人たちの棺が安置されている。ルソー、ボルテール、ヴィクトル・ユーゴー、エミール・ゾラ、アンドレ・マルロー,アレキサンドル・デュマ。キューリー、などの棺を拝むことができる。18世紀、ルイ15世が古い教会を再建した。そのドームの正面には、偉大なる人々、と掲げられている。屋上からはパリが一望できる。

これについては何度も書いたのだが、今回ある出来事があったので、もう一度、さかのぼって書いてみる。

その正面に立ち、市内を眺めると、ならだかに下る短いスフロ通りの先にリュクサンブール公園の木立が見える。その先にはエッフェル塔。夜、丁度の時間になるとそれが煌めく。「今はどうか知らない」フランス人に評判の良かったミッテラン元大統領の葬儀の儀式の列が、パンテオンの前で行われた時はその厳粛さは見事だった。「僕はそれでミッテランがパンテオンに祀られているとずっと勘違いしていた」
パンテオンの横には図書館があり、道に沿って、パリ大学法学部があり、裏には理学部、海洋学部、道を降りていくとパリ大学「ソルボンヌ大学」の本部と図書館がある。中庭にはユーゴ―、の座像の像がある。大学は昔は気楽に散歩ができたが、テロなどの影響で最近は門番がチェックして簡単に入れない。「余談だが、近くにはランボーが泊まったホテルもある」

パリは毎年10月の最初の土曜日は、白夜祭と言って一番中若者が町中で騒ぐ。地下鉄も朝まで動く。スフロ通りや町中に舞台ができ、ライブが続く。また国鉄の駅がディスコになったり、古い歴史的建物に映像が揺らめいたり、公園に巨大なバルーンが上がったりする。僕が最後に見たのは市役所前の広場に、何本も氷の柱が建てられ、それが数色の色の照明で輝らされ、氷が溶けていく光の変化を楽しむものだった。
スフロ通りを横切る裏通りは、歴史の古い町並みが残っている。このスフロ通りでは何度もデモを見た。印象に残っているのは、オカマたちの大きなデモだった。白夜祭の時はこの通りにいくつも舞台ができて、一晩中音楽が鳴り響く。
僕はそのころ、パンテオンの前のスフロ通りに面した大きな高級住宅アパルトマンの8階の屋根裏部屋に、3年ほど毎年三か月、住んだ。十年程前だ。6平米の狭い部屋で、斜めの屋根の下に敷いたマットレスがベッド。30センチ角の小さな天窓だけ。その天窓から毎朝、朝日がパンテオンの後ろから登るのを見た。夜は、遠くにライトアップされたサクレ・クール寺院が悲しげに見えた。夕日はパリの屋根を赤く染めていた。その狭い部屋で、僕は読書、音楽「ウオークマン」詩、小説書きに没頭していた。70歳近くなってからの僕の貧乏青春生活だった。いまだに懐かしく、思い出すと目尻が濡れる。
おかげで、2015年、フランス語の俳句大会で優勝して、仏政府から招待の褒美をもらった。白夜祭がテーマだった。それも遠い昔。

先週、僕のフランス語の先生、ジャンマルクからメールが来た。コロナでもう半年ほど授業休んでいて、彼にも合っていない。フランスでのいま話題の記事を送ってくれたのだった。フランス文化大臣、ロゼリンヌ・バシュロがランボーとヴェルレーヌを一緒にして、パンテオンに入れて祀ろうというのもだった。それをマクロン大統領に提案したと。これには、ランボー同好会「アソシアシオン・デザミ,ド、ランボー」や物書きたちが激怒した。またそこで初めて名前を知った、ランボーの血を引いた子孫がいたのだ。ジャックリーヌ・テシェ・ランボーさん。日本語でなんというかわからないが、彼の姪の子孫、という表現になっている。彼女も激しく反対。またいかにもランボーとヴェルレーヌがホモだというばかりのいい方にも怒っている。二人はほんの一年足らずの付き合いで、ヴェルレーヌには奥さんも子供もいてまた死ぬときは娼婦と同棲していた。ランボーもアフリカで恋人がいて子供も欲しがっていた。物書きたちが怒ったのは、彼らの文学は反逆であり権威の否定であり、それに価値があり、それが美しいのだ。パンテオンに入れるのは彼等への侮辱だ、と。結果がどうなるかは知らない。

数年前は、サルコジ元大統領がカミュをパンテオンに入れようと言ったらしい。カミュの双子の姉弟、が承諾せず実行されなかった。弟は喜んだが、姉が政治利用は嫌だと断ったらしい。
カミュは別としても、ランボーをなぜパンテオンにいれたいのか、理解に苦しむ。ただの自分のレガシーにしたいのか。文化の国、フランスとしてその大臣として恥ずかしくないのかと思う。また何代か前の文化大臣、韓国系女性、がノーベル賞をもらうことになった自国フランス人作家を知らなかったこともある。

今年のはじめ、コロナにつかまる寸前のパリを散歩してきた。危ないところだった。またいつか、カルチェ・ラタンをぶらぶらと用事もなく歩きたい。





コメント
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