あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№104 檀一雄文学顕彰会 柳川 北原白秋 立花家 お花 太宰治 ビクトルユーゴー

2018-09-24 09:43:13 | 日記
9月23日 柳川の堀のそばに建てられた檀一雄文学碑のまえで顕彰会が行われた。例年、9月23日。
気持ちのいい秋の風が吹く中、各人の挨拶があった。檀太郎、橘家当主、市長、県議、元国会議員、白秋記念館館長、など。
堀には初秋の緑が映え、水面まで垂れ下がった白萩も美しく、川下りの客も親しみを込めて手を振っていく。例年の地元の合唱団「うぶすな」の朗読と、檀一雄の作詞の唄、古賀正男の作曲の唄、圧巻は福岡の老詩人織坂幸治の作詞檀さんへの「鎮魂歌」だった。献花、献酒のあと12時からは駅前の料亭で懇親会。昔は橘家屋敷跡旅館「お花」でもあったらしい。
一年ぶりの人たちと、檀さんの若いころの話など、楽しい会話をした。僕も50年前の新宿「風紋」で一緒に飲んだ話をした。これは何度も書いているのでここには書かないが、檀太郎に「風紋」終焉宴会の話などしてやった。次は来年の5月、能古島の花逢忌だ。

柳川と言えば、北原白秋の話もしなければならない。白秋と言って嫌いな日本人はあまりいない。だが彼が若いころ、隣人の他人の妻と不倫をして、不倫罪で捕まって拘置所に2週間ほど収監されて、そのあと出てきたとき、友人たちから嫌われてそっぽを向かれていた時は、悲しかっただろう。しばらくは誰も彼の詩を認めなかった。あるとき、自分の詩を「翻訳」詩として発表した時、みんながいい詩だ、と褒めた時、これは俺のだ、と言って溜飲を下げた、話は面白い。

不倫と言えば、パリの中心にある、サンロック教会の近くにあるホテルで他人の妻と不倫をしていたビクトルユーゴーが警察に踏み込まれた話も面白い。彼は、貴族だったか、当時も国会議員だったか、その特権で逮捕収監は免れたらしいが、女性は収監された。また別の不倫旅行の最中に、愛する娘の水難事故の悲劇に出会うが、それは二日後だ。それから2年ほど彼は何も書けなかった。これらの話からもユーゴーが好きになる。

柳川は昔から一人でよく行った。駅前から川の流れを追って一時間ほど歩いてお花に行った思い出は残っている。11月2日の命日だった。学生時代だったとおもう、徹夜麻雀をしたぼんやりした頭のままだった。白秋の異国情緒わ味わった。また今はどこにあるか知らないが、あるいは夢だったかもしれないが、ふと空き地に出た。秋だったのだろう、枯草の記憶がある。その真ん中に廃墟になった教会があった。奇妙な感動を覚えた。10年ほど前だったか、想いだして「柳川」という散文詩を書いた。あまり評価は聞かなかったが、自分としては好きな詩だ。
3年ほど前はパリで毎週一時間自宅でフランス語を教えてくれたジェラールさん夫婦が福岡に来たときは川下りをした。よろこんでくれた。当然ウナギも。

橘家屋敷跡の旅館「お花」も思い出は深い。これは記憶が定かではないが、檀さんがお花に泊っていた朝、太宰の訃報が届く。友人の真鍋呉夫が届けに来た。檀さんがうつむいてじっとしている背中に、真鍋が「檀さん、大丈夫かい」と聞いた。檀さんはしばらく黙っていたが、怒ったように「大丈夫じゃない」と怒鳴り返してきた。

数年前、白秋記念詩大会の選者を引き受けた。県の詩人会に依頼があったものだ。日当2万円、昼飯はウナギ。断る理由はない。そのお金で前日からお花に泊り、散歩し、地元の料理屋でひっかけ、朝飯からビールを飲んで選考会場にいった。いい二日間だった。この県詩人会はやめたので後は知らない。

古い「雅鳥学園」という花嫁学校があった。まだ大正の頃、この田舎から東京美術学校で勉強してきた、家内のおばさん、が帰郷して創った。橘藩のかつての家老の娘たちが裁縫や料理や作法を習いに来ていたらしい。僕が知り合った頃は、もう学生はいなくて、その校舎はすたれたままだった。そこにおばさんと、当時80歳のおばあさんと、60過ぎの娘の住んでいた。奇妙な風情があった。

駅前の県道を歩道橋で渡ったところに小さな喫茶店があった。名前は忘れたが、坊ちゃんという柳川弁だったと思う。テーブルも椅子も古さと伝統を感じさせる。クラシックが流れていた様に思う。もう何年も前のなので忘れた。丁度何かのついでにわが詩集を2冊持っていたので差し上げた。それからまた数年たって
行ってみるとその本棚にわが詩集が雰囲気に見事にマッチしてそこにあった。ただ今回は行けなかった。














コメント
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