あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№126 音楽2 パリ サンロック教会 ノートルダム教会 サンジェルマンデプレ教会 聖母の宝石 ペルシャ市場にて ウインの森のものがたり 

2021-01-10 15:47:27 | 日記
音楽について 前にも書いてだぶるかもしれないが

小学校の頃、鉱石ラジオを作るのが流行った。キットを買ってきて、組み立てる、ケースはプラスチックの石鹸箱だった。一人一台のラジオなど贅沢な時代だった。何時間もかけて、やっと深夜にできあがる。恐るおそる、ダイヤルをまわすと、イヤホーンのはるかかなたの闇から美しい音楽が聞こえて来る。その最初の瞬間が、生涯の音楽好きを運命付けた。曲は「聖母の宝石」作曲者は誰か知らない。何の音楽かも知らない。ただ幼い脳髄にその静かな響きは刻み込まれ生涯残っている。最近ぼけて、幼児回帰の時を迎えるとそれが響く。闇のかなたの奥にきらめく宝石。それはクラシック番組の案内のオープン音楽だった気もする。
次は、「フォーレのレクイエム」最初の旋律は、空虚の空間を悲しみの旋律が光となって走る。この曲はまた大人になっても、恋を失うたびに心を突き抜けた。
小学校の高学年になると勝手に放送室に入って好きにさせてくれた。「今思うと、いい学校だった、ほおって好きにさせてくれたのかも、指導が面倒で」勝手に全校に音楽を流した。「ペルシャの市場にて」「美しき青きドナウ」「ウインの森の物語」
中学は柔道にあけくれた。
高校では市内のクラシック喫茶で何時間もすごした。そこで煙草も覚えた。お寺の息子の友人がいて、寺にステレオがあった。煙草もあった。そこにたむろして、ベートーベンやモーツアルトを聞いた。ランボーの詩も読んだ。
大学時代はビートルズには興味はなかった。ジャズを少し聴いた。
それからは、仕事の悩みや恋の悲しみ社会との葛藤や文学の才能のなさの苦しみ、事あるごとに音楽が一緒だった。音楽は一人で聞くもの、コンサートホールで聞くものではなかった。
指揮者の好み、音の響きに興味はなかった。音楽が引きだす物語に惹きつけられたのだろうか。「そういえば、絵画鑑賞もそのものがたりに惹きつけられる癖があるようだ。」

パリのルーブルとオペラの間にサンロック教会がある。「古い教会で、ある時、ヴィクトルユーゴ―が不倫をして警察につかまったのが、サンロック教会の近くだったと読んで嬉しかった「そのころ不倫は警察に捕まった」」
ある雨の日曜日の夕方、僕がなぜそにいたか、憶えていないのだが、あたりにのカフェは閉まっているし、テラスの椅子はかたずけられて、雨に濡れている。人気のない街のうす暗い通りを一人で惨めな気持ちで歩いていた。何の気なしにサンロック教会へ入った。夕方で祈る人も誰もいない。突然、パイプオルガンの音楽が始まった。僕の心に重い響きが押しつぶされんばかりに響く。とことんまで悲しめ、それはそう言っているように聞こえた。究極まで悲しめば、癒されるのだ、音楽は流れていた。教会は日曜日の夕方はそんなミサがあるのだろうか、しらないが。
日曜日の朝のミサではパイプオルガンを演奏する。ノートルダムの朝のパイプオルガンは迫力があった。最近、親しいクリスチャンの老婦人に、クリスチャンを馬鹿にしたわけではないが、カラカッタら、彼女は微笑んで、あなたはそれでも、バッハとかすきでしょう、といって、逆にからかわれた。教会の音楽でしょ!

一人で異国を散歩していると、気ままなので疲れると、教会へ入って信者の祈りのふりをして、頭を落として昼寝する。眼が覚めると、すっきりする。ある時パリマドレーヌ寺院で昼寝の後、目が覚めると、あたりに人が一杯。なんだなんだと思っていると、祭壇のまえに、コーラス隊が並んでモーツアルトの「レクイエム」が始まった。コンサートだったのだろうか。何かの祝祭だったのだろうか。皆真剣に感激して歌っている。僕も真剣に聴いた。終わっても聴衆は誰も帰らない。よく見ると前の方から順番に祭壇の前に立つ司祭「牧師?」の前に行き、十字を切って口を開けせんべいみたいなものを入れてもらって食べている。僕も見様見真似で十字をきり、薄いせんべいみたいなものを口に入れてもらった。十字を切ったのは生涯でそれが初めてで最後。

ある時は雨宿りのつもりで入って、コンサートに出会っこともある。多分有料だったのだろうとおもうが、最後の方だったので徴収には誰も来ない。これも儲けモンだった。曲は「トッカータとフーガ」本物である。感激この上ない。ヴェルレーヌの葬儀が行われた教会だった。
初めて見たオペラも忘れがたい。何の予備知識もなく、安いからはいった「現地ではたたかったのだろう」チェコのオペラ。バルコン席で、中年の品位いい夫婦と16,7のきれいな少女と一緒だった。いろいろ自慢話ではなく懐かしさがとめどない。

日本へ帰る日、残りの時間を精一杯パリを歩く。ある時、サンジェルマンデプレ教会の前に来た。入口に、今夜のコンサート、とある。曲は「フォーレのレクイエム」今夜発つ。残念だが仕方がない。この機会はまたあるだろうか。自分の葬儀で聴くことになるのか。






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする