あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№66 アポリネール サンテ刑務所

2014-06-24 10:18:25 | 日記
この3年間、毎週九州日仏学館で2時間フランス語をエレーヌ先生から習っている。福大教授美しい60代の女性。
ロンサールから、ヴィヨン、マラルメ、ランボー、ボードレールはもちろん、ボリズビアン、イブ、ボンヌフォアからいまはアポリネール、ユルスナールである。3か月ごとにてテーマが変わる。その時間が楽しみである。

このところはアポリネールが面白い。いままでミラボー橋、ローランサンとの恋、くらいしか知らなかった。歌を聴くとどちらというと甘い詩だ。僕がもう少しフランス語がわかればその音の響きとかの良さがわかるのだろうが。内容もありふれている。授業では「アルコール」という詩集を読んでいった。するとだんだんその良さがわかってきた。音節や韻をそろえた定型詩もあれば自由な詩もある。そいて詩の構造も巧みに自然に立体的に読まされる。平凡な詩のようだが「犬サフラン」「サロメ」「薄闇」などなど。すっかり気に入ってしまった。

それで彼の生い立ちなど調べた。没落貴族のポーランド人の母、いつの間にか消えていったイタリア貴族の父、母は一説には高級娼婦だという説もある。1880年生まれだから、ピカソと一年違い。そしてパリに出てきたのも19歳とピカソと同じころ。モンマルトルの有名な「洗濯船」、「ぼろアパート、貧しい若き芸術家たちが集まっていた」に居つく。シャガールやピカソ、アンリルソー、ブラックなどが仲間だ。美術評論などで名を挙げた。
あとの小説などは、同性愛や近親相姦、猥雑、など書き、いくつかは戦後しばらくまで発禁だった。20代の後半にマリーローランサンと知り合い恋に落ちる。が1911年、ルーブルのモナリザの盗難事件がおこり、不良芸術家たちが疑われて彼は逮捕される。そしてサンテ刑務所で一週間を過ごし釈放される。マリーローランサンは愛想を尽かして彼を振る。
その失恋の唄がミラボー橋だ。其の一節に、いつも哀しみの後には喜びが来る、とあるが、これは悦びの後に苦しみが来る、とかれは書きたかったのではないかと思う。しかし、詩の韻の関係でそうせざるを得なかったのではないかと僕は勝手に解釈している。

彼は恋多き男で、そしていつも振られている。マリの前はアニー、イギリス貴族のおとなしい女性、彼があまりしつこいのでとうとうアメリカへ逃げて行った。マリーの後は、ルイーズ「通称ルウ」。マリーに振られて彼は軍に志望する。合間に220通もの手紙をルウへ送る。エロチックな詩が多くある。相当に好きだったようだがほかの女性、マドレーヌとも付き合ったている。軍ではシャンパーニュ地方へ送られ頭に負傷する。またルーにも振られる。第一次大戦のあとスペイン風邪というのにやられ死ぬ、39歳。

その作品をたくさん読んだのではないので、全容がまだ和からないが、定型詩、象徴詩、アバンギャルド、サドを評価、恋多き男、まだまだ深い男だ。
サンジェルマン教会の横、デゥーマゴの道を挟んだところに小さな公園にアポリネールの顔の石の彫刻がある。ピカソ作ということだ。この前誰かが盗んだが、すぐ出てきたということも聞いた。

さて、そのサンテ刑務所に興味がわいた。調べていくと彼のほかに、アンリルソー1909年「手形詐欺に関して騙されて」、大杉栄1923年「メーデーでの演説と旅券違反」ジャンジュネ1942年「泥棒、など」が入居経験者だ。大杉栄の獄中記は有名だ。
どれも僕の好きなやつばかりなので興味は深まるばかりだ。刑務所の医師を7年間務めたヴェロニックという女性の記録の本も買った。「古本でしかない」その本にはヴェルレーヌもいたと書いてあるがそれは間違いと思う。サンテ刑務所はモンパルナス、天文台の近く、僕のいたところより徒歩15分くらい、住宅地にある。観光地図には載っていない。ミシェルフーコーも刑務所について考察している。これらをまとめていつか書いてみたい。これらに関する本をそろえているがかなり忙しくなりそうだ。













コメント
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