あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№150 人生と音楽 マドンナの首飾り ウイーンの森の森の物語 青きドナウ Mozartベートーベン ショパン

2023-05-12 15:03:20 | 日記
自分の人生を考えるにあたって、こんなに長い時間だったのかと思うが、また短いようでもある。すると色んな角度から人生を眺めなおすことがが多くなる。80年にわたって生きて聴いてきた音楽はその一つの重要な切り口になる。

音楽が嫌いと言うか、聴いても雑音にしか感じない人もいるが、大体において音楽は身体が自然に受け入れる。また逆に絶対音感というか音そのものの違いが分かる人もいるようだ。音そのものの美しさの違いが分かる人はうらやましい。
僕はただ、音楽に浸ってその情景を浮かべたり、時代や作曲家の人生を感じたり、ただ現実と違う空気の波に乗って何時間も漂う。聴いている場所がそれをさらに高めたり、ほかの想念にまで広がる。人生を振り返って見るに、音楽を聴いてきた変遷を記すことは僕には一度は必要なことだ。

戦時中ということもあるだろうが、胎教の音楽とか、生れてからの子守歌など母親を入れても全く記憶にない。知らないうちに、身についたのだろう、と言われても実感はない。幼稚園での歌も記憶にない。自然に身についたのかもしれないが、記憶にないのはつまらない音楽だったのか、ただ僕が忘れているだけなのか、幼児音楽や子守唄を今聞いて懐かしさはない。ただ、今ふと思い出だしてみると木琴の音や音楽は好きだった気がする。自分で音を出せるからだったろう。そばにピアノがあったらピアノは懐かしい心の底に残っているだろうが、幼稚園のオルガンやピアノは記憶にない。

小学校の低学年、3,4,5年の頃だったか、むしろ詩や物語りを読む方が好きだったので、藤村の千曲川抒情の詩などを暗記して大人を驚かせた記憶がある。そして調子にのって、それを木琴で作曲したりした。一応楽譜に書いて先生に見せると、講堂のピアノでそれを弾いてくれた。自慢の記憶の一つだ。
それが僕の音楽とのかかわりの最初だ。小学校の頃は、ルーブル展が福岡で開催されてそれを見て感動し、また世界のロマンに満ちた小説を読んで感動したり、詩や短歌や物語を書いたりして感受性は豊かに育てられた。誰からとうでもない。自然にだった。
下町のあまり制約のない小学校だったのだろう、5,6年になると校内放送室にも自由に入れてそこで勝手に音楽を校内に流した。特別に許可をもらっていたのかもしれないが忘れた。その頃の音楽はいまだに耳の奥から蘇ってくる。その時の自分の感動は何度繰り返されても蘇る。ヨハンシュトラウスの「ウイーンの森の物語」や「青きドナウ」やケテルビーの「ペルシャ市場にて」。今だにその時音楽を聴いていい気持ちになった体の感覚は忘れられない。だが家に帰れば、古いレコードしかない。あるのは、軍国歌だけだ。何の気もなしに戦後6,7年経っているのに、僕はいくつか軍歌を覚えたりした。あとはラジオしかない、テレビはまだない。風邪をひいて寝込むと、目が覚めているとラジオを聞くしかない。アメリカ軍基地が近くにあったので、英語の放送チャンネルがあった。長い英語が終わると、ジャズや何か知らない音楽が流れる。それを聞いてると、少しは風邪の気分もよくなる。ただ母親が寄って来て、何でこんなもの聞くの、といって消していったが。
音楽の目覚めの一番は、やはり深夜だ。そのころ鉱石ラジオが流行った。石鹸箱に材料を説明通りに組み立てると、イヤホーンから音が聞こえて来る。ラジオを組み立てた喜び以上に、その時の感動は忘れられない。その感動は僕の一生についてきた。クラッシックの番組だったのだろう。そのイントロの音楽がヴォルフ・フェラーリの「聖母の首飾」だ。深夜の闇の奥から聞こえて来るその音楽は世界のあらゆるロマンと闇の神秘と自分の命への愛とすべての美を象徴して流れてきた。そしてその日のクラッシックに浸る。僕はその時、10歳くらいだった。生意気ではあるが、意識することなくその時僕は、人生の生と死と美を知ったのだった。続く



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