あちらこちら文学散歩 - 井本元義 -

井本元義の気ままな文学散歩の記録です。

№109 ランボー 初めての海 ヴェルレーヌ  ベルギー オーステンド ドーバー

2019-05-14 09:38:38 | 日記
初めて海を見た時、誰でも感激するに違いない。1872年9月7日、17歳のアルチュール・ランボーはベルギーの北の港、オーステンドにいた。彼よりも10歳年上のヴェルレーヌと一緒だった。

前年の5月、フランスの田舎のシャルルビルよりパリに出てきて、ヴェルレーヌに会い、高踏派の詩人達の会合に参加し、「酔いどれ船ことバトー・イーブル」を朗読し皆をあっと言わせたのだった。まだ16歳なのに、アブサンに酔い、へぼ詩人を罵倒し、老詩人たちを愚弄し、揉め事もいとわなかった彼は、もうパリにうんざりしていた。貧民街を流浪し、安ホテルに住み、最初は珍しがられた彼も次第に仲間外れにされていた。
かたや、ヴェルレーヌはまじめな市の職員であり、新人詩人として名をはせつつあり、また愛妻との新婚生活を始め長男も生まれたばかりであった。だが、前年の5月にランボーに会うや、その詩才にあうや、今までの生活を捨てて、ランボーとの時間に浸るようになっていた。カフェをめぐり酒を飲み、芝居を見て、詩について語り、詩を書きあって、彼ととしても初めての楽しい充実した時間だった。詩の朗読会にランボーを連れて行って最初は得意だったが、彼の傍若無人の振る舞いを擁護して苦労しながら、それでも今までの友人よりも彼を選び、次第に顰蹙も買うようになっていた。それに加えて、怒った妻や妻の母に追い詰められて、その板挟みで悶々としていた。
彼らはシャルルロアやブリュッセルに逃げる。ブリュッセルの街の美しさにおどろく。王宮を眺め、しばし安息を得る。しかしそれも飽くと、ついに北の果ての港オーステンドにたどり着く。妻からの追及を逃れるために、市の職員でありながら、前年のパリコンミューンのシンパだったという追及を逃れるためだと、言い訳もする。

彼らの前には広い海が広がっている。新しい、別世界が目の前に広がっている。対岸はそのころ一番文化の進んでいるイギリスだ。彼らに躊躇はない。その夜、彼らが飛び乗ったのは対岸イギリスの港ドーバー行の夜行船だ。7,8時間の船旅だ。
ランボーはその時の幻惑された印象を「海景」という詩に書いている。ほんの2年前、まだ海を見たことのなかった彼は「酔いどれ船」という詩で、神秘の航海の果てに海の藻屑と消える船の旅を描いている。今回は、自分の先祖の田畑を耕す光景と波頭を蹴って進む船のオーバーラップさせて書いている。そしてその翌年、いろんな事件の後、「地獄の季節」の一節で、「俺は旅をして・・・海の上に…その海を、あたかもそれが俺から穢れを洗い流してくれるものであるかのように、海の上に慰めの十字架が立ち上がるのを見た。・・・」と書いている。まさにその19年後、瀕死の体でアフリカからマルセイユにたどり着くその日を予感しているごとくである。
話はそれるが、僕はそれを確かめるべくマルセイユ湾から船で、海から丘の上のノートルダムドギャレット教会の十字架が見えるかどうか確かめに行った。よく見えたが、瀕死の彼が看板にでて外を見る余裕はなかったはずだが、まさに予感そのものだ。ただしよく見えたのは、教会に輝くのは十字架ではなく金色のマリア像だった。
かれらはまた海上の朝焼けに感動する。翌朝のドーバーは曇っていたが、白い岩山の上に立つドーバー城をみて感激を新たにする。カモメがうるさくあたりを飛び交う。そして翌日ロンドンに着く。そこは近代化された世界一の都市だった。湿った陰鬱なパリはもうさらばだ。気分を新たにして新しい文学に取り組むのだ。

それから147年後、僕は彼らの体験を自分のものとしたく、オーステンドの港からドーバーを目指すことにした。その10年ほど前、ぼくは彼らの物語を知らず、偶然オーステンドに行ったことがあった。ブリュッセルから汽車の時刻表を見て、中世の運河の街、ローデンバッハの小説のブリュージュへ行こうとしていた。するとその一駅先にオーステンドというのがあった。海を見ない手はない。何も知らず僕はその海岸にたって、静かな砂浜と海をただ見て帰ってきたことがある。

2019年5月1日僕はパリ北駅に立った。駅前で、小さなスズランの花束を買った。その日フランス中でいたるところでスズランを売っている祭りスズラン祭りの日だった。そしてヨーロッパ中の黄色いベストが集まってくるという噂のメーデーの日だった。また、時間差ではもう日本はレイワと改元していた。ただ、準備の途中で思わぬことを知っていた。今は、オーステンドからドーバーへの船は出ていない。貨物車専用のフェリーは運行している。僕はやむなく、海を見るだけで我慢しなければなららなかった。全く予想をしていなかったが、メーデーの日は休日だ。たくさんの観光客で電車は満員でかなりながい間立ちっぱなし。海岸と港も人がいっぱい、デモ行進もあっている。面白い経験だった。その合間を縫って、ランボーとヴェルレーヌのさびしい逃避行、またはロンドンへの希望に満ちた、新しい詩への意欲、それらを僕はゆっくりかみしめた。美しい広い河岸と砂浜、、そこをたくさんの家族が散歩している。
翌日僕はブリュッセルから、ロンドンへ飛行機で飛んだ。そしてその日、ドーバーまで電車を使った。白い岸壁とうるさいカモメと静かな海と古い港町ドーヴァーで僕はやっと彼らの幻影と遊んだ。













コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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良い文章ですね (根保孝栄・石塚邦男)
2019-06-10 02:23:49
久しぶりに訪問、読みました。
Unknown (いもと)
2019-08-13 13:37:17
根保先生ご無沙汰です。
北海道も熱いと聞いています。
お体に気を付けられてください。

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