幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

センチメンタルジャーニー!

2016-05-12 10:18:32 | 日記

中・高時代、二年半ほど住んだ盛岡に行ってきた。 友人の隠れ家(?)マンションで数時間、山菜中心のお膳を前にワインやビールで、まさにマ~~~ッタリ。 その前にドライブしてとっても美味しいアイスクリームも頂いた。 お天気が悪くて岩手山は見えず、小岩井牧場もパスだったけど楽しかった。 今は”楽しかったロス”。

私が子ども(?)時代、イチバン長く住んだところ。半世紀以上も昔の街並みは見事なほど変貌し、住居だったトコロはオフィスビルに、登下校の道をたどるも途中で迷い子に。 学校帰り、長々とオシャベリをした友人宅の門の前はバイパスに変じたとのこと。 当時は”足”が唯一の移動手段。 もちろん、バスも自転車もあったけれど、日常の行動半径なんて限られている。 我が家が駅からこんなに近かったんだ! 消えていたり、変わっていたのは残念だったけれど、商店街の中に覚えのある店名を見つけて嬉しくなった。 思いがけないところに、以前住んだ「町名」を発見したっけ。

              

県庁所在地規模の街っていいねぇ! 歩いて、街中へ行ける。 徒歩で自転車で移動可能で刺激も得られるし、マッタリも出来るし・・・。 

駅前から伸びる大通り、左右ともに飲食店がズラ~・・・と並んでいるのにはビックリ! 盛岡って飲み会が盛んなの? 友人に聞いたら、「大学がたくさん出来て学生が増えたのよね」だって。 ソッカ、学生が増えると飲食店が増えるんだ。 サワヤ、ダイイチショテン、トウザンドウ・・・の店名も見つけたけれどネ。

盛岡へ行く前に青森の三内丸山遺跡に直行。 いいトコロだった。 広い原っぱ(?)に遺跡を集中させて復元させたんだろうけれど、ホントウはどのくらいの空間にどのくらいの竪穴住居が建っていたんだろう? 数字で言われてもピンとこない。 タブン、一度復元してから崩れ落ちた”廃家”は、地元の小学生が教材・「竪穴住居復元実習」として再建するようで、その様子がパネルとして設置され、住居の暗い屋内には作った子の「名札」が並べられていた。木立ち越しにまだ雪をかぶった山が見えていた。当時の景色・・どうだったのかしら? 

          

青森は新幹線の駅、従来線の駅、フェリーターミナル・・・と、駅が散在。 そのせいか、街がチョット閑散としていたなぁ・・・。 賑やかなのがベストとは限らないけれどネ。


3月25日 ピンチ!  ローマへのハズが・・・我が旅歴、初めてのアクシデント発生!

2016-05-04 17:37:26 | 旅行

ランサローテからローマへ向かう、否、戻る。 先ずはアレシェフの空港から県都(?)のラスパルマスへ。

 スマホ依存症の私、朝イチでエドナとその娘さん宛にコメントを投稿。                                6時前にチェックアウト。 タクシーを呼んでもらってアレシェフの空港へ。 ターミナル1で下りたが飛行機はターミナル2からだった。 が、狭い空港ゆえ歩いていける距離。タ―ミナル2、全く閑散としている。 先客は2人。 係り員もいない。 お店が開いていたが、食べ物のみ。ガラスケースの中にワインがあったので買いたいと思って尋ねると「陳列品」らしく売れない由。 残念‼ 結局、ラスパルマス行きは国内線扱いだった。

1時間待って7時過ぎ、漸く、空港内も動き始めた。 7時前にインフォメーションのオフィスが開いた。そして、チェックインカウンターが。スーツケースが我が手を離れた。小さな空港だけど、ゲイトをくぐって無事、搭乗ゲートへ。 先ほどもらったチケットを見ると、ラスパルマスまでのチケット。 「コレって、ラスパルマスで再び、チケットを買うの? ラゲージもラスパルマスで再度、預けるの?」 「イエス! ラゲージを受け取ってから、またチェックインして下さい。」 実はコレらを尋ねるのに、一旦ゲートをくぐって、チェックインカウンターまで戻る必要があった。 「英語はワカランから向こうで聞いてくれ。」 質問がある度にゲートを往復するのはメンドウ。 が、コレがマズかった。厭わずに、ハッキリと質問なり要望すればよかったのだ。 「ローマまでのチケットが欲しい!」と。

          

8過ぎに搭乗開始。 先ほど空港のインフォメーションにいた女性が出発ゲートに。 ゲート付近で「エイゴはワカランからアッチへ・・」と言っていたオジサンたちが、飛行機の周りにいる。なんだか可笑しかった。ナカナカ離陸しなかったがほどなく離陸。 チョット感慨深い。「ランサローテのブドウ畑」は長い間、私の大切な場所だった。この地球上にアンナ不思議な場所があるなんて・・・。 それを知っている人は少ない。少なくとも、日本では。私の密かなジマンだった! 今回、この目で見ることができたなんて! なんて考えながら眼下の景色を見ていた。 あくまでも褐色で、無機質で・・・・。 大小の雲の影が島に濃い陰を落としている。 45分のフライト。 間もなく、グランカナリ島の上空へ。 同じような色の大地だけれど、家が並みが大きい。 工場なのか、あの四角い平面がなんだろう? さすが州都? 県都? そして着陸。  

                           

先ずは荷物が出てくるのを待たねば・・。 国内線なので大きな荷物を預けた人は少ないはずだがナカナカ出てこない。時間が気になりだすけど、ジタバタしても仕方ない。が、前もってマドリッド行きのゲイトを尋ねると「ココを真っ直ぐ・・・」とのこと。 たいていの場合、人が歩くミチができるのだが、人数が少なくて「道」なし。 ようやく荷物が出てきたがもう9時25分。 マドリッド行きは10時離陸なのだ。 言われたとおり「まっすぐ」道なり(?)に行く。 が、なんだか心細い。 それらしきところ、つまり搭乗者が大勢集まってチェックインしているような場所にたどり着かない。 TV画面で探すより速いと思い、空港係官らしき人に尋ねると、やはり「ココを真っ直ぐ・・」と。 ようやく、大勢の人がチェックインしていたり、入国審査のために水の入ったボトルを放置して並んでいる列を見つけた。 が、私のフライトのカウンターは見当たらない。また、尋ねる。「もっと先だ。」と。 ホボ、イチバン端っこのカウンターにたどり着いたが閉鎖されている。 間違えたかと思い、引き返すと、先ほど、私が尋ねた人が、「イヤ、向こうだよ!」 「クローズされているんですが・・。」  「付いておいで・・・」 オズオズと後をついていく。 彼、クローズを確認すると、カウンターの反対側にあるオフィスに出向いた。「Aireuropa 」とある。 女性が2人。 彼は女性とナニヤラ話してから離れて行った。女性は電話をし、PCでナニヤラ調べている。私はは時計を見つつ気が気でない。 10時10分前。 「もう、搭乗は無理です。」 

アッチャ~!! 飛行機の中の空席が脳裏に浮かんだ。 

「とにかく、今日中にローマに着きたいんです。」 「ちょっと待っていて下さい。」 「もう少し待っていてください。」 私はアレシェフ空港でのこと、つまり、ココまでのチケットしか渡されなかったこと。 ラゲージはラスパルマスで・・・と言われたことを話した。 アレシェフから乗って来たビンターエアラインともコンタクトを取っているようだ。 「貴女にワルイようにはしないわ。待ってい てネ。」 ビンターのマネージャーが来るとのこと。 お偉いサン登場で解決するか! ナカナカ現れなかったが、やがて背の高いスラリとした中年の女性が現れた。 私には、特に何も話さず、エアヨーロッパの女性と話している。 「アレシェフからローマまでのチケットを渡すべきだ。 45分で荷物を受け取り、再度チェックインは難しい」と言うコトを話していたのだと思う。 ビンターエアラインは納得したのだろうか? 別のフライトを探すのに手間取ていたようだ。 何度も「待っていて下さい。アソコの椅子で待っていていいのよ。」 時々、様子を伺いに行くと、やはり「待っていて下さい、 PCが不調で・・・」 このまま、空港で放置されるのでは? かなり疑い深くなった時もあった。 放置されたらたまらない。 「従順な東洋人だがシツコイのがココに居るよ。」とばかり、私は執拗に窓口に顔を出した。 そして、ベンチに戻ったり、一軒しかないお店をうろついた。 空港内なのでオミヤゲ屋さんだがコンビニ的なお店でもあった。カナリヤ諸島独特のナニカを探したが、火山礫で出来たアクセサリーや置物。ワインなし。「Lansarote」の文字が入っていたのはbathsaltだけ。迷ったけれど買った。 どう使う? お風呂に入れる習慣はない私だ。が“Lansalote”の名前のあるものが欲しいのであります。

 依然として進展しない。 どのくらい、このロビーにいたのだろう。 マドリッドへ着くのに十分な時間、いたのは事実だ。写真でお分かりのとおり、閑散としているのだ。 スーツケースをグルグル巻きにする機械の前で若い男の子が暇そうにしていた。 他のエアラインはないのだろうか? 「夜の間もココに居ることも出来るの?」なんてことも尋ねたっけ! 戸惑った表情で「可能ですけれど・・」とのことだったが、かなりカリカリしてきていた私。 そろそろマドリッドにつく時間だ。 

        

 結局、この日中にローマへ行くことは無理だった。 グランカナリで一泊して明日、今日予定したと同じ便のチケットが取れたとのこと。 ココでのホテルはビンターが支払うとの説明をエアヨーロッパの女性から受け、ビンターの男性職員の案内で漸く空港の外へ。 大きなバスが一台、私をホテルに連れて行ってくれた。ア~ア・・・・。 海外旅行歴10余年にして初めてのアクシデント。 今までが順調すぎた?? 

 15分ほど乗って立派なホテル着。 「明日の朝、7時にこのバスが迎えに来るので乗るように」とのこと。 レセプションでも連絡済みだったようで、丁重に迎えられ、「部屋の番号、食事の時間と場所」を記したカードをもらい、「明朝、7時に・・・」と、ここでも念を押された。 今はランチの時間とのこと。

         

一階、つまり二階の部屋へ。 重たそうなドア。 嫌な予感・・・レセプションに行って「ドアが開かないんですが・・。」 紳士が開けてくれた。 ありがとう! ランサローテの部屋よりも大きく、明るい。 「ナルホドねぇ・・。」なんて妙なことに納得しつつ、それらしく振る舞わねば・・なんていじらしい? 恥ずかしながら帰国後、エルバホテルをチェックしたら、ソレほどビビるほどのホテルではなかった。 でも、私にとっては高級ホテル。 それに3食付き。

  チョット一息してから荷物を片付けて、先ずはローマのホテルに連絡せにゃ。 初めてスマホの電話機能を使う。 その前に、言うべきことを考えないと・・・。 “I can’t arrive at Roma today because of the transit trouble. Tomorrow I’m sure I’ll get to Roma. …..”   緊張して番号を押すが繋がらない。 レセプションに行ってヘルプを求めた。なんせ私はケイタイに不慣れなわけでして。 が、レセプションの紳士も首を傾げている。 ネットでローマの“COROT” を検索。私の持っているバウチャ‐の電話は間違っていた。 目の前にある電話でCOROT に、即、上記のことを伝えてくれた。ありがとう。 お世話になります。

 次は遅いランチをご馳走(?)になりに食堂へ。 奥の方に賑やかなご一家がいる。さすがリゾート地。 家族で来るようなところなんだ。 ボーイさんが注文を聞きに来た。 メインはお魚、デザートはクリームを注文。 お行儀が悪いかなぁ・・・と思いつつ、珍しいモノがあったので写真を撮った。 前菜の紫色のモノはどうやら玉ねぎ。甘い! 家で玉ねぎをじっくり炒めたら思いのほか甘くなったけれど、コレはナンゾ? 「レッドオニオンのジャム」?  お魚はソ~ソ~。 ポテトは塩味で美味。 もう一つの付け合わせのオレンジ色のものは何だろう? ココの特産のコーン(?)とナニかで作ったモッタリした、ちょっと甘いもの。 マッシュポテトに似ているけど・・・。 クリーム、「アイスクリーム」ではなくて、チョコチップ入りのバナナ味の冷たくないクリーム(?) とにかく珍しいものばかり。 考えたら、久しぶりのマトモな食事。 哀れなワタシ。 イヤァ、お金がナイのではナイのです。 一人でレストランに入るのが嫌なのです。 ・・・・ホント?  ホントです!?!

                     

 ランチの後、外へ出てみた。 アレシェフは街中だったけど、ココは郊外? 目の前に道路の道路の向こうは何だろう? 海岸ではないけれど何もナイ。 が、隣りは大きなショッピングモール、カルフール。 マクドナルドもあるけれど、どこから入るの? ヒトの出入りがあまりナイので、入っていいのか否かさえ戸惑う。 やっと入り口を見つけた。 入ってみると、ココも閑散としている。 ショッピングモールなら大喜びでうろつくのだが、クローズのお店バカリ。 金曜日・・・イースター? マニラのショッピングモールに似ている感じだけど、あの混沌とした猥雑さは気配さえなし。 空港同様に閑散としている。 ソウソウに出て、ホテルの周辺を見たが何にもない。 風力発電の風車が何本も立っていた。

  結局ホテルに戻った。 明日昼過ぎに予約しておいたヴァチカン美術館が気になり始めた。 夕方、ローマ着なので遅刻しても無理だろう。 チケットを見せたら日曜日に入館かのうだろうか? イヤ・・・イースター当日だからどうかなぁ? クローズの可能性大だ。 空港で「ヴァチカン予約済み」も言えばよかったなぁ・・。 ローマ 滞在が正味二日間となるとドコへ行こう? 急にこの一日のロスが気になりだした。 もっとガンガン言えばよかった? 否、言ったところで解決する問題でない。 ランサローテの空港職員への不満が大きくなったのは事実。 せめて英語を話せる人、私の英語を理解できる人がいるべきだ! 島と島を結ぶ航路だったのがマズかった? 「田舎空港」という言葉が浮かんだが、ココのラスパルマスの空港はスペインで3番目に大きな空港だってエアヨーロッパの女性が言っていたっけ。 1位はバルセロナ、次がマジョルカ島、そして今度、3位がマドリッドを抜いてラスパルマスとのこと。 昨年、新しくなったばかりだそうだが、そんなにお客さんいるのかしら?

 遅いランチだったせいか、お腹もまだ空いていない。 で、FBに投稿。

「今、ローマの小さなホテルにいます・・・のはずだったのに、カナリア諸島のメインの島グランカナリィの立派なホテルの一室にいます。 ・・・・ 元気です。いい休養と考えましょ!!(^▽^) 」

 投稿し終わって夕食に。 今度はお肉とフルーツ。 お肉・・・日本のお肉はスゴイ。 フルーツは缶詰がメイン。 別のテーブルの人が、私がランチの時に尋ねたモッタリしたのをやはり尋ねていた。 やっぱり珍しいもんネ。

 長い一日だった。 今日はランサローテからまだ45分の飛行距離しか移動していない。 無駄な一日だったけど話のタネが出来た・・・と考えよう。 

 明日は「7時に・・・」と何度も念を押されているので、早めに寝よう。 旅の期間中は全てが私の時間。自分のことしかシナイ! 旅の醍醐味! こういう時間を持てるシアワセ。 みんなに感謝!

 

 


鯉のぼり・・・飾りました、30年ほど前まで・・・。

2016-05-03 16:49:20 | 日記

子供が小学校の上級生になると・・・いつの間にか飾らなくなったなぁ・・・。 今日もソウだけれど、風が強くて天空を泳ぐ前に、鯉どうし、はたまた、鯉とロープが絡まっちゃう。 毎日、取り込むのに大苦戦。 首が痛くなったっけ。 でも、空を泳ぐ鯉のぼりは大好き。 ウチは新興住宅地で金属製のポールにつかまって(?)泳ぐ数メートルの鯉だったけれど、昔からのお宅の庭先には堂々とした木製の長~い棒にこれまた立派な家紋付きの鯉が泳いでいたっけ・・・。 桜の季節に続く日本の原風景だと思っていたけれど、最近はナカナカ見かけない。 マンションのベランダにチョット”引っかかっている”!のを見る程度・・・失礼!  最近は、以前はお菓子の付録(?)、今は百円ショップに売っているミニ鯉のぼりを海外へのプレゼントやオミヤゲにすることがある。 封筒に入れて送りやすいのでしてネ。 二週間前、お世話になったホテルに送ったばかり・・・はご存知の方もおいでですネ。 

 


3月25日 ランサローテ島からローマ...?  その前に・・旅のエピローグ

2016-05-01 21:28:01 | 旅行

 10年ちかく頭の片隅にあったランサローテのブドウ畑を見て旅の目的は終わり?? イヤイヤ、ローマもジックリもう一度見たかったのでして。 今日はローマへ”モドル”! 

 飛行機は8:15発。 やっぱり二時間前に空港へ行くのかなぁ・・・ココもマドリッドもスペインだから国内線? イヤ、その前に直近のラスパルマス(やっと覚えた名前)まで45分のフライトがある。 ・・・が、ローマまで飛ぶんだから2時間前にチェックインの必要あり? どちらにせよ、早起きは苦にならない。 4時過ぎには目が覚めてしまい、かと言って寝過ごすのはコワイ。 若者なみにスマホ依存症? スマホを入れてFBを見る。 エドナの娘さんのLizz が「いいね!」と。 で、朝イチで彼女あてにコメントを書いた。

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ココへ来た理由の一旦はエドナにも縁がある。 2004年の春、半年間のペンフレンドに過ぎなかったヘルガさんに「今夏はチェスターに行きます。」と手紙に書いた。 間もなく「イエニキテクダサイ・・家に来て下さい。」の返信到着。 これはよくアル「お近くにお越しの際は・・・」という義理のお誘いなのか否か・・・迷った。 帰国中の長男、「行っちゃえ! 行っていいんじゃないの?」 「じゃぁ、行こう!」  

当初は、「ベルリンのツォー駅の二階の本屋さんで待ち合わせましょう。」と。 「了解」とは言ったものの「サァ、どうやってベルリンのツォ―駅にいくのやら・・?」 当時、私の海外渡航歴は前年の一回のみ。 二度目とは言え、初めての自力によるイギリス行き計画だった。 ネットを駆使して半年も前からチェスターの学校とコンタクトを取り、成田⇔ヒースロー間のチケットをゲットし、チェスターまでは列車で・・と決め、列車に時刻表を調べ・・。 これに加えて、ベルリンまで飛ぶとなると・・・?? 結局、イギリスへ行ってからマンチェスター→ベルリン・テーゲル/テーゲル→ヒースローのチケットを買った。 で、チェスターでの研修を終え、湖水地方を旅したあと、私は、エドナの見送りを受けてテーゲルに飛んだ次第。 エドナは私がまだ見ぬドイツ人のペンフレンドの元へ行ったことを覚えているか否か・・・。 “I stayed with your Mom and after that I flew to Berlin to meet my pen-pal for the first time. That was she…..”   後日、エドナ本人からメールが届いた。“ I remember you speaking of your friend from 10 years ago I remember all our time together …”

エドナがこのことを覚えていてくれたこと、しかも一緒に過ごした時のことを全部覚えている・・なんて、とっても嬉しい! 

それにしても・・私は神経が数本、抜けているのかもしれない。 他人ゴトと思って「我が旅」を振り返ると無鉄砲な!・・と思う。 初めての海外渡航がイギリス・ボーンマスでの二週間の「熟年の英語研修」参加だった。 この時の参加者はいずれも個人参加。 は、ともかく「初めてでホームステイ?」と呆れられたものだ。 この時のドイツ人の同級生の友人がヘルガさん。 日本語で文通をしたい人がいる・・と言うので彼女のペンフレンドになった次第。 彼女宅訪問だって、やっぱりアチラからみたら「ウソ、マジっ!」ものだったかも。 今回のランサローテについての情報はネットでのみ。 普段の私、グヂグヂ・愚痴ばかりこぼし、近所のスーパーへの買い物に出る程度。 友人はいないワケではないが、食べ歩いたりドコぞへ行くなんていうコトはナイ。 それが成田を出ると、豹変するらしい。 「旅の恥はかき捨て」では決してナイ。

ヘルガさんとのベルリン、ツォー駅での待ち合わせは、直前になって、テーゲル空港までギャルド・ヘルガさんご夫妻が迎えに来て下さった。 この時、中に入って伝言役をしてメールを下さったのがルジャータさん。 ヘルガさん、スペイン語はOKでも英語は話せなかった。 何故って東独・ドレスデン出身だったから・・。 ルジャータさんはベネズエラ出身。 翌年、ヘルガさん、ルジャータさん、イルカさんは来日し、拙宅にも泊まられたっけ。 今、思い出してもワクワクするような思い出だ。