中・高時代、二年半ほど住んだ盛岡に行ってきた。 友人の隠れ家(?)マンションで数時間、山菜中心のお膳を前にワインやビールで、まさにマ~~~ッタリ。 その前にドライブしてとっても美味しいアイスクリームも頂いた。 お天気が悪くて岩手山は見えず、小岩井牧場もパスだったけど楽しかった。 今は”楽しかったロス”。
私が子ども(?)時代、イチバン長く住んだところ。半世紀以上も昔の街並みは見事なほど変貌し、住居だったトコロはオフィスビルに、登下校の道をたどるも途中で迷い子に。 学校帰り、長々とオシャベリをした友人宅の門の前はバイパスに変じたとのこと。 当時は”足”が唯一の移動手段。 もちろん、バスも自転車もあったけれど、日常の行動半径なんて限られている。 我が家が駅からこんなに近かったんだ! 消えていたり、変わっていたのは残念だったけれど、商店街の中に覚えのある店名を見つけて嬉しくなった。 思いがけないところに、以前住んだ「町名」を発見したっけ。
県庁所在地規模の街っていいねぇ! 歩いて、街中へ行ける。 徒歩で自転車で移動可能で刺激も得られるし、マッタリも出来るし・・・。
駅前から伸びる大通り、左右ともに飲食店がズラ~・・・と並んでいるのにはビックリ! 盛岡って飲み会が盛んなの? 友人に聞いたら、「大学がたくさん出来て学生が増えたのよね」だって。 ソッカ、学生が増えると飲食店が増えるんだ。 サワヤ、ダイイチショテン、トウザンドウ・・・の店名も見つけたけれどネ。
盛岡へ行く前に青森の三内丸山遺跡に直行。 いいトコロだった。 広い原っぱ(?)に遺跡を集中させて復元させたんだろうけれど、ホントウはどのくらいの空間にどのくらいの竪穴住居が建っていたんだろう? 数字で言われてもピンとこない。 タブン、一度復元してから崩れ落ちた”廃家”は、地元の小学生が教材・「竪穴住居復元実習」として再建するようで、その様子がパネルとして設置され、住居の暗い屋内には作った子の「名札」が並べられていた。木立ち越しにまだ雪をかぶった山が見えていた。当時の景色・・どうだったのかしら?
青森は新幹線の駅、従来線の駅、フェリーターミナル・・・と、駅が散在。 そのせいか、街がチョット閑散としていたなぁ・・・。 賑やかなのがベストとは限らないけれどネ。