ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

日本の民間非営利セクターについて考える(その3)

2008年01月10日 | 日々の思い

仮説3:“母のような”企業と業界団体

 Johns Hopkins(ジョンス・ホプキンス)大学Center for Civil Socitey Studies(市民社会研究所)が取りまとめたレポート「Global Civil Society Overview」では、民間非営利セクターの規模だけでなく、その活動分野についての調査結果もまとめています。それを見ると、教育(23%)に次いで大きいのがSocial Service(19%)、つまり失業者や低所得者の生活保障やホームレスの保護など、社会が発展していく過程で生じた格差や歪みを正していく活動。

 この点について、日本の企業や業界団体、協同組合は非常に広範な社会的役割を担ってきたと言えます。

 つまり、高度成長の過程で従業員とその家族の生活を、終身雇用制と年功賃金、そして会員間の相互扶助というツールでもって、保障する役割を果たしてきたのではないでしょうか。

 例えば、高度成長期からバブル崩壊後しばらくするまでは、日本の失業率は諸外国と比べて圧倒的に低い2~3%を保ってきており、景気が悪くなった折にも日本企業は雇用を必死になって守ってきた、言い換えれば失業やその結果としてのホームレスの増大を食い止めてきたといえると思います。また、おなじみの生協(生活協同組合)や農協など、組合員同士の相互扶助によって生活の安定を目指す協同組合が広範に組織化されてきたことも、日本社会のセーフティネットの分厚さを現しているといえます。

 つまり、国際的に見て日本民間非営利セクターの活動がこれまで低調だった背景には、社会の中から人が“こぼれ落ちたり”、“おいていかれたり”するのを、政府の社会保障制度だけでなく、企業や協同組合が、まるで「付かず離れず見守ってくれているお母さん」のような役割を果たしてきた結果、民間非営利セクターの必要性そのものが低かったという事情があったのかもしれません。

 しかし、雇用形態も多様化し、格差社会の到来が叫ばれる中、あるいは今後外国人労働者の受け入れが本格化する中、既存のセーフティネットがカバーしきれない、あるいはこれまでのように機能できないような局面は増えることが予想されます。

 今後日本社会を維持していく上で、民間非営利セクターの強化が必要な一つの理由はここにあると思います。

 

仮説4:超世俗社会

 これまで、日本の経済構造・雇用慣行の側面から、「なぜ日本の民間非営利団体の活動が国際的に見て低調なのか?」を探ってきましたが、この問題を考える上できわめて重要なのが宗教の問題。

 欧米ではやはりキリスト教の慈善(philanthropy)の精神に基づく寄付やボランティアが非常に盛んであることはよく指摘されるところです。

 例えば、アメリカの寄付やボランティア活動に関する様々な統計をまとめてる民間非営利団体The Generous Givingによると、2005年度にアメリカ人はトータルで約2600億ドル(約28兆6千億円)もの寄付を民間非営利団体にしているとのことですが、そのうち3分の一以上を占める約930億ドル(約10兆2千3百億円)が教会への寄付となっているのですからそのインパクトは相当なものです。

 またボランティア活動についても、上記The Generous Givingの統計によると、2005年9月から2006年8月にかけて、一度でもボランティア活動に従事したアメリカ人の数は6,100万人(成人の実に3.4人に1人!!)にも上るそうですが、そのうち35%が教会を通じてボランティア活動に取り組んでいるというデータが出ています。

 翻って日本の状況はどうでしょう? 

 世界数十カ国の大学・研究機関の研究グループが参加し、共通の調査票で各国国民の意識を調べ相互に比較する「世界価値観調査」によると、日本人の半数以上(51.8%)が無宗教と答えているそうです。対象となった61カ国のうち、「無宗教」の割合が日本より高いのは、中国とエストニア・ラトビアという宗教がタブーであった旧共産圏の国のみ!!

 もちろん日本にも多くの宗教法人あり、神社やお寺は僕たちの生活と切り離せない関係にあります。しかし、それは信仰というよりも文化として定着している傾向が強く、お金や時間を寄付するインセンティブにはあまりならないのでしょう。

 ここで信仰を持つことの是非について議論するつもりはありません。ただ、諸外国と比較した時に浮かび上がる日本の圧倒的な「世俗社会」が民間非営利セクターの活動が低調である文化的な背景にあることは間違えないように思います(つづく)。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

『人気Blogランキング』に参加しています。「ケネディスクールからのメッセージ」をこれからも読みたい、と感じられた方は1クリックの応援をお願いします。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
面白いです!! (オノチュウ)
2008-01-18 12:56:58
お初です。Boys be hungryのブログからこちらに飛ばせてもらいました。
非常に興味深い内容と統計学の裏付けが参考になります。
自分は高3で受験勉強中ですが、将来はNPOかNGOに所属したいと思ってます。その上で参考になる部分が多いなぁと感動してます。
ケネディスクールでの経験も読みました。自分もいつかは米国の大学院に進みたいと思ってます。そのときはアドバイスお願いしますねw。

毎回楽しみに待ってますので、早く次をあげてくださいw。
返信する
キリスト教的スピリット (kinkin)
2008-01-22 13:48:59
先般、WHY様のブログでこの点に関してコメントしました。
WHY様の指摘と仮説4とは同列だと思います。また、確かに、この仮説には説得力があります。
日本はある意味、無宗教だと思います。
ただ、私のイギリスでの経験も貴殿のような確かなデータによって立証されるものではなく、あくまで「印象」に過ぎません。
欧米に住んだことのある人は、欧米人にはボランティアの「気持ち」がある、と指摘する人は多いですネ。
一面だけを捉えれば、宗教を通じて、日本では何か他に文化になったものもあるでしょうが、キリスト教国ではボランティアの精神が文化となって根付いたといえるかもしれません。
返信する
オノチュウさん (ikeike)
2008-01-25 13:54:29
こんにちは。コメント有り難うございます。オノチュウサンのようなNPO,NGOを目指す志を持った若者が増えていくことが、やはり日本の民間非営利セクターを育てるうえで、一番大切なのかもしれませんね。受験勉強、頑張ってくださいね。米国大学院への留学の夢も僕に出来ることがあれば喜んでサポートします。同志としてこれからも頑張りましょう!
返信する
kinkinさん (ikeike)
2008-01-25 13:58:25
いつも示唆的なコメント有り難うございます。
>日本は宗教によってどのような文化が根付いたか?
深い疑問ですね。例えば日本では山や川、動物など自然を神様として神社等に祭ってきた宗教がありますが、これがアメリカではなかなか見られない「もったいないの精神」として定着しているといえるかも知れませんね。
ただご指摘の通り、この手の比較文化論は非常に興味深いのですが、実証することが困難で印象論に終わってしまうところが難しいところです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。