日本の民間非営利セクター、そしてそれを支える寄付やボランティア活動は、なぜ諸外国と比較して低調なのか?
これまで、日本の経済構造や雇用慣行、そして宗教にスポットを当ててこの問題を議論してきましたが、今日は日本の政府と社会の関係から考えてみたいと思います。
仮説5:政府によるクラウディング・アウト(Crowding-out:押しのけ)効果
政府と民間非営利セクターとの間のトレードオフの関係があるのではないか?つまり、 政府の規模が大きければ大きいほど、政府の果たす役割が広ければ広いほど、民間非営利セクターの役割は小さくなるのではないか、という考えは直感的には正しいような気がします。
この点を検証してみるためには、
① 日本における政府の規模は国際的に見て大きいのか?
② 政府の規模が大きければ大きい程、民間非営利活動は低調になる傾向が国際的に見られるのか?
という二つの点を検証する必要がありそうです。
まず①については、一年間の国全体の支出に占める政府の出費の大きさ、つまりGDPに占める一般政府総支出の割合一つの指標になるでしょう。関連の統計を見てみると、
【日本:34.2%、イギリス:43.4%、フランス:53.6%、ドイツ:48.4%、アメリカ:36.7%】
と少なくとも経済活動の視点から見たときに日本政府の規模は国際的に見てむしろ小さな部類に属することが分かります(2003年現在、財務省資料より)。また人口1,000人当たりに占める公務員の数を見ても、
【日本:33.1人、イギリス:79.5人、フランス:87.6人、ドイツ:55.8人、アメリカ:78.1人】
と「小さな政府」を標榜してやまない米国を大きく下回る状況が見て取れます(日本2006年度、英米は2005年度、独仏は2004年度の数字)。
つまり単純に政府の規模という視点で見てみると、日本はむしろ「小さな政府」と言え上記の仮説の前提自体が崩れてしまうように見えます。
次に②の点、つまり「政府の規模が大きければ大きい程、民間非営利活動は低調になる傾向が国際的に見られるのか?」を検証するために、政府の規模の大きさにかけては右に出るものはいない“スーパー福祉国家”である北欧諸国(スウェーデン・ノルウェー・フィンランド)について見てみましょう。
なにしろ25%の消費税からはじまって、所得の7割を税金で持っていかれてしまう国です。税金払ったらとても慈善活動に貢献する余裕なんて残っていないような感じですよね?
ところが、Johns HopkinsのGlobal Civil Society Overviewにおける北欧諸国の項目を見ると国際的に見て実に活発な民間非営利セクターの姿が浮かび上がってきます。前々回の記事で紹介したとおり、一年間でボランティア活動に参加した人の割合は、先進国の平均値は15%、日本は0.5%と全く振るわないのと対照的に、ノルウェーは実に国民の半数以上(52%)とトップの座を走り、スウェーデンも3位(28%)がボランティア活動に汗を流しています(フィンランドはそれ程でもなく8%)。
また、民間非営利セクターで働く人の割合を見ても、先進国の平均が7.4%に対し、ノルウェー7.2%、スウェーデン7.1%、フィンランド5.2%とそれ程高い水準ではないものの、日本の4.2%を大きく上回っています。
またこれまで紹介したとおり、ヨーロッパにおける民間非営利部門の状況を見てみると、トップのオランダ(14.4%)からはじまってイギリス(8.5%)、フランス(7.6%)、ドイツ(5.9%)と、政府の規模自体は日本よりも大きいにも関わらず、大きな存在感を見せています。
こうして見てみると、【政府の規模が大きい=民間非営利活動は低調】という単純な公式は成り立たないようです。
では、政府の何が民間非営利セクターの活動に影響を及ぼすのでしょうか?
この点、Johns Hopkinsの研究チームはヨーロッパおよび北欧諸国の民間非営利セクターの収入に占める政府のサポートの大きさに着目し、こうした国々では、政府が教会を含む民間非営利セクターと協働しながら、彼らを通じて社会保障や教育サービス、環境保護や地域開発を提供してきていると指摘しています。一方、日本の民間非営利セクターの収入構造を見てみると、手数料(会費や学費)が半分以上を占め、政府からの補助を上回っています。
こうして見ると、民間非営利セクターの活動に政府が及ぼす影響の源は、政府の大きさというよりも、政府の仕事のやり方であることが浮かび上がってきます。
つまり、政府の規模自体が大きくとも民間非営利セクターとうまく協働することでその活動を促進することもできれば、逆に比較的小さな政府であっても、公共サービスの企画・立案・実施を独占したり、あるいは民間非営利セクターを規制でかんじがらめに縛ってしまうことでその活動を抑圧してしまうこともあるということであり、後者が日本の状況であったといえるのではないでしょうか?
そう考えると、現在数が増加し、社会的に脚光を浴びつつあるにほんの民間非営利セクターが今後、順調に成長し、「政府の失敗」と「市場の失敗」の隙間を埋めるインパクトのある存在になれるかどうかは、かなりの程度、日本の政府・自治体が彼らと“つかず離れず”の距離を保ちつつ協働のパートナーとしてうまく活用できるかにかかっていると言えると思います。
仮説6:寄付行為に対する税制度
この点は、NPO法人で活躍する日本の友人や知人からしばしば指摘される問題点です。ヨーロッパや他のアジア諸国の状況は分かりませんが、少なくともアメリカ・イギリスと比較すると、日本の税制度は寄付や市民主体の民間非営利セクターに優しくないと言われます。
つまり、所得税を軽減されるNPO団体に認定されるための要件が厳しい、あるいは民間非営利団体に企業や個人が寄付をした際に、課税される所得から必要経費として差し引かれる割合が少ないといった点が指摘されてます。
仮説7:人々の政府に対する期待
「日本の民間非営利セクターは国際的に見て何故振るわないのか?」
これまで、この疑問を解くために様々な角度から日本社会に光を当ててきましたが、最後に日本人の心の内面にフォーカスしたいと思います。
こちらのグラフは「国民の暮らしに国が責任を持つべき」と考える人の割合と「慈善団体に参加している」人の割合との間に見られる相関関係をプロットしたもの。平成12年度版「国民生活白書」からの引用です。
ここにはきわめて興味深い負の相関関係が見られます。日本は相対的に「国民の暮らしに国(政府)が責任を持つべき」と考える人が多い一方で、慈善団体に参加している人の割合は低い。同じような状況にあるのが、文字通り全ての経済・社会活動が国のコントロール化にあったロシア。
この点は、Johns Hopkinsのチームがまとめた「Global Civil Overview」レポートにおいても、旧共産圏の東ヨーロッパの国々における市民社会の活動がかなり低調であることとも重なります。
日本はしばしば、「もっとも成功した社会主義の国」と言われますが、それを見事に裏付ける統計結果が出ている訳です。
こうして見ると、日本で民間非営利セクターが低調だった背景には、政府による公共サービスの独占の裏側にある、
「社会の問題は政府が(=政治家と官僚が)解決する話だよな。」
「社会の問題が解決しないのは“彼ら”が無能だからだ。」
といった日本人の内面にある、公の問題に直面した際の、政府に対する潜在的な、しかし強い依存心があると言えないでしょうか?
社会がますます複雑化し、変化のスピードも増す中で、「豊かな公」をつくるキー・プレーヤーである日本の民間非営利セクターがその真価を発揮する上で、彼らの活動を支えるボランティアや寄付を活性化する上で避けて通れない本当に重要な課題は、税制や雇用慣行等の技術的な側面もさることながら、日本人一人一人の心の中にある「公=政府(官)」という発想自体を打ち破ることのなのかもしれません。
皆さんのご意見やご感想をお待ちしています。(おわり)
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