ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

真の「謝罪」とは何か?-内なる葛藤を乗り越える①-

2007年04月28日 | ケネディスクールのイベント

 

 Spring Exerciseの谷間にあたる穏やかな土曜日の午後3時少し前。来週から本格化するグループ・ワークに向けた作業を朝から続けていた僕は、厚ぼったいSpring Exerciseのファイルをいったん閉じて図書館を後にしました。

 自分の中で未だ解決のつかない葛藤を抱えながら。

 向かった先は、ケネディスクールBelfer Center5階のBell Hall。柔らかな春の日差しが差し込む小さな会場は100名近い人々でいっぱいになっています。日本人の友人たちの顔もちらほら。

 「War Crimes against Humanity.-The truth about "Comfort Women"-」(人道に対する戦争犯罪 -“慰安婦”の真実)

 ボストン近郊に住む韓国人向けの新聞社New England Korean Alliance PressとケネディスクールのKorea Caucusが共同で企画したこのイベント。

 会場の入口で配布された資料に刻まれた文字は、そして会の冒頭に流された従軍慰安婦問題に関する20分のドキュメンタリー番組から発せられたメッセージは、僕の葛藤をさらに掻き立てるものでした。

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「WW II has ended a long time ago, but the suffering by the victims of Japanese Military's "Comfort Women" continues today, as Government of Japan still refuses to recognize an make an official apology.」

(第二次大戦は遠い昔に終わった。しかし、従軍慰安婦の被害者の苦しみは、日本政府が未だにこの問題を認めず、公式の謝罪を拒んでいるため、今日もなお続いている。)

The comfort women system, created by the Government of Japan, is unprecedented in its cruelty and magnitude and included, but is not limited to, gang rape, forced abortions, humiliation, and sexual violence resulting in mutilation, death, or eventual suicide.

(日本政府によって作られた慰安婦制度は、被害者の心身の徹底的な破壊と死、そして自殺等をもたらした輪姦、中絶の強要、屈辱と性的な暴行を含むものであり、その残虐さと規模において史上類を見ないものである。)

「The Government of Japan refuses to officially apologize for its role in this atrocity. Japanese Government officials praised the removal of the term "comfort women" from Japanese textbooks to minimize the "comfort women tragedy and other atrocities, ・・・」

(日本政府はこの残虐非道な行為に加担したことへの公式の謝罪を拒んでいる。日本政府高官は、慰安婦の悲劇や他の残虐行為を糊塗するために“慰安婦”という語が日本の歴史教科書から削除されたことを称賛している。)

In fact, as recently as March 1, 2007, Japanese Prime Minister Shinzo Abe formally denied that the Comfort Women were forced into sexual slavery and publicly stated that even if U.S house resolution 121 is passed he would not apologize.

(実際、つい2007年3月1日に、日本の安部首相は慰安婦が強制的に性的労働に従事させられていたことを公式に否定し、米国下院が(日本政府に公式な謝罪を求める)決議121を可決したとしても謝罪はしないと公に述べている。)

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 会場では、民主党の日系下院議員Mike Honda氏が今年1月31日に提出した決議121に賛成するよう全下院議員に求める署名が配布されていました。

 「日本は残虐非道な行為をした。にも関わらず、安部首相の最近の発言に見られるとおり、日本政府はこれまで謝罪や賠償金の支払いを拒んでいる。・・・日本政府に公式な謝罪を求める決議121の可決にご協力を!!」

 こう呼びかける請願書の文面。

    葛藤・・・沸々と湧き上がる葛藤、

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 かつて、約60年前、日本は人の道に外れる非道な犯罪を犯した。

 たとえそれが戦争という人の理性を失わせる状況下での出来事あったとしても、

 強者が己が都合の良い論理の下、弱者を搾取し踏みにじることが正当化されていた帝国主義という当時の国際政治の背景があったにしても、

 軍による慰安所の設置は当時世界中にみられた現象であったとしても、

 日本自身が2度にわたる原爆投下や東京大空襲等の数十万人規模の無差別殺戮の被害者であったとしても、

 「官憲が民家に踏み入って人攫いのように女性を連れ出して慰安所で働かせたという“狭義の強制性”に関する証拠が見つかっていない」としても、

 そして何より、

 その筆舌し難い残虐行為が、自分の母国日本が、自分の祖父・祖母世代が犯した行為であったとしても、

 決して目をそむけてはならない。自分自身、自分の子供世代、孫世代がそのような犯罪を繰り返さないためにも、そのような犯罪の犠牲者とならないためにも・・・

 そう自分に言い聞かせている自分がいる。

 一方でこう叫ぶ声が聞こえる。

 なぜこの請願書には、このパンフレットは、日本政府のこれまでの度重なる謝罪について一言も触れられていないのか。

 慰安所の設置と慰安婦の強制移送に当時の日本政府が公式に関与したことを認め、被害者に「心からお詫びと反省の気持ち」を述べた、そしてその後、安部首相を含む全ての総理大臣が踏襲してきた1993年8月の河野談話について一切言及されていないのはなぜか。

 米国の議会の決議を待つまでもなく、日本の衆議院が戦後50年の節目である1995年に決議した「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」について一言も触れられていないのはなぜなのか。

 僕が高校の時に使った山川出版社の日本史の教科書には「女性の場合、戦地の軍の慰安施設で働かされた者もあった」と明示的に慰安婦の強制徴収についての記述があるにも拘らず、慰安婦問題についての記述を削除した日本の中でも論争的な「新しい歴史教科書」についてのみ言及するのか。 

 謝罪が不十分であると主張するのならわかる。しかし、日本が一切謝罪していないかのような主張を聞いていると、安部首相の訪米というタイミングで、人道問題を政治利用しようと企む中国・韓国の意図が見え隠れするように感じられる。

 仮にそうでないとしても、こうした主張は日本国内における「徒に謝罪を続けても中国・韓国に付け入られるだけ」「慰安婦問題はその存在自体が疑わしい」といったの議論にもっともらしさを与えるだけで、日中・日韓関係に建設的な影響は何一つないのではないか。

 そもそもなぜ第三者である米国から、しかも日本に原爆を落とし、その後もベトナムでイラクで非人道的な行為を繰り返している米国の議会から、すでに何度も行っている謝罪をするよう求められなければならないのか・・・

 いったいどんな謝罪をすれば気が済むのか・・・

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 

 こんな心の中での疑問と葛藤、そして「日本人がこんな酷いことをするはずがない」という心のどこかにある願望に似たような思いが交錯する。

 この葛藤を解きほぐす糸口が欲しい。ひょっとしたら、“その人”の話を、声を直接聞くことで、何かがつかめるのではないか。ちょうどKorea Japan Tripで広島の原爆の被害者の声を直接聞いた時のように・・・

 思考の連鎖を断ち切る司会者の声がBell Hallに響きます。

 そして会場正面にゆっくりと入ってきたのは、僕の祖母よりも少し若い、韓国の民族衣装をまとった老夫人でした。


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2 コメント

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Unknown (Satsuki)
2007-05-10 02:00:42
 「日本人がこんな酷いことをするはずがない」という「願望に似たような思い」の存在が、実にさらっと書かれていることに単純に疑問を感じました。他国・他民族の所業であれば、他の状況は同一でも素直に信じられたということですか?

 ikeikeさんの日本人としての思いや日本を良くしようという情熱は、常に文章から伝わってきます。もちろん素晴らしいことなのですが、一方で対象に入りすぎ、客観視できなくなるおそれもあるのかなと思います。
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>Satsukiさん (ikeike)
2007-05-10 02:50:32
コメント有り難うございます。

ご指摘いただいた箇所について、自分の言葉不足のため、Satsukiさんに正確に意図が伝わっていないように感じられたため、以下説明をさせていただきます。

まず、文章全体を読んで頂ければお分かりになるかと思いますが、ご指摘の箇所は自分の中にある様々な考えや感情を構成する一部であり、この思いが自分の主要な感情である訳でもなければ、このことを妄信している訳でもありません。

またその意図は「他の民族の所業だったら…」ということではなく、このような感情を心のどこかで自分が持っているため、「韓国側の主張のどこかに誇張や曲解があるのではないか」と無意識に考えている、願っている自分がいるという正直な告白です。

もちろん、それのような主観的な思いを客観視する必要があることは知っています。しかしそのためにはまず、自分自身がそのような感情に多かれ少なかれ動かされているという、その事実をそのものを認識することが大切だと思っています。

何故なら、このような感情は僕だけに限らず、あるいは国と国との間の問題に限らず、誰しも必ずもっている感情だと思うからです。
 
「うちの子に限って…」「少なくとも自分はそんなことはしないだろう」という表現、よく聞きますよね。

このような自分や家族、あるいは同胞に対する「性善説」は多かれ少なかれ誰しも、無意識のうちに持っているものではないでしょうか?

しかし長い人生の中で、あるいは長い国の歴史の中で「うちの子に限って…」「自分に限って…」「日本に限って…」ということは残念ながら真実ではない。何故なら人間は過ちを犯してしまう不完全な存在だから。「そんなこと、わかっている!」と叫ぶ自分がいます。しかしその一方で、そのことを直視する、正面から受け止めるのことに、心のどこかでまだ抵抗している自分がいる…

精神年齢が低いと言われればその通りなんでしょう。しかし、こうした正直な思考の葛藤のプロセスをこの記事全体として書いたつもりです。

そして、4月29日の記事でも書きましたが色々と話を聞き、考えた結果、自分の中でようやくそういうモヤモヤとした思いが解消されつつあります。
 
長くなってしまい失礼しました。また何かあれば是非コメントをお願いします。
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