ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

独裁者と石油と民主主義

2006年12月31日 | 日々の思い

 

 今年最後のニューヨークタイムズ紙は1面からめくれどめくれどSaddamの文字ばかり。昨日の午前6:00、1979年から24年間にわたりイラクを恐怖で支配し、近隣諸国との戦争に国富を費やしてきたサダム・フセイン元大統領が、彼自身が秘密警察を使って多数の人々を処刑してきたイスティハバラット(Istikhbarat) で絞首刑に処せられました。

 紙面では刑場での彼の様子や死刑執行官との罵り合いの内容、ティクリート近郊の貧しい農村で生まれてからアラブ世界最強の独裁者に上り詰めるまでの生い立ち等が写真と共に克明に記されています。

 これらの記事を読んでいて、僕自身が、独裁者の処刑を史実としてではなく、ニュースとして触れたのはこれが2回目であることに気付きました。最初のニュースは、今から18年前のちょうど同じ12月末に起こったルーマニアでの出来事。当事、僕は小学校6年生で、冷戦の終焉とロシアの崩壊という大きな歴史のうねりの中で国際政治に興味を持ち始めたばかりの時期でした。そして、テレビで怒涛のように進展するルーマニア革命の様子や、独裁者であったチャウセスク大統領が夫人と共に捕らえられ、わずか2日の軍事裁判の末、死刑判決後即日銃殺刑に処せられたニュースを今でも鮮明に覚えています。

 その後、ルーマニアでは独裁者の恐怖政治は過去のものとなった一方で、高インフレを初めとする経済の深刻な低迷が長く続き、頻発するストライキやデモの現場では、チャウシェスクの肖像とともに、「チャウセスク、我々はあなたが恋しい」といったプラカードが見受けられる事もあるといいます。

 翻ってイラク情勢。希代の独裁者サダム・フセインが何十万人ものイラクのクルド人やシーア派の人々の拷問・虐殺を指示してきたことは決して許されない事実です。一方で、イスラム教シーア派、スンニ派、クルド人という他民族で構成され、しかもそれらの居住地区が必ずしも明確に分離されていない地域を、国民国家として統合してきたのが、サダムの圧制であったこともまた事実だと思います。

 フセイン政権の終焉から3年半、憲法を持ち選挙によって選ばれた民主的な政府が発足してから半年が経ちますが、昨日早朝に刑が執行されている1時間の間にも、イラクでは自爆テロや部族間の争いにより75人もの人々が亡くなったそうです。人々の生命の安全や生きていく上で最低限必要な衣食住すらおぼつかない状況が今後も続くようであれば、「サダム、我々はあなたが恋しい」というプラカードがイラクで掲げられる日も遠くないように思えてなりません。

 もっとも、イラクは言わずと知れた世界で第三位の原油埋蔵国であり、決してもともと貧しい国だった訳ではありません。一方で、イラクが安定や民主化に向かう上で、富であるはずの原油が障害になっているとも言えると思います。こういうと多くの人が首を傾げたくなるかもしれませんが、代表的な産油国を思い浮かべてみて下さい。

 サウジアラビア、イラク、ロシア、ナイジェリア、ベネズエラ・・・

 産油国が全てそうであるという訳ではないですが、国が安定していても民主主義を採用していない国々か、あるいは民主主義を標榜していても内戦や圧制が耐えない国々が多いかと思います。

 原油は文字通り「沸いて出る」富ですが、それ自体では価値が無く、精製して産業の糧とするか輸出して外貨を稼ぐための手段としてその価値を発揮するものです。そして活用に当たって巨大な設備が必要となるため、どうしても独占や国有が進みやすくなる、つまり、一部の富める者や権力の座に居る者の力の源泉となるか、ナイジェリアのような多民族国家であれば、その富をめぐって内戦が耐えない状況に陥りやすい土壌を作ってしまうのではないかと思います。

 イラクについても、「多民族国家が共存するためには民族・宗派を単位とした連邦制にしてしまえばいいのでは?」と思えますが、原油がネックです。例えば最大の油田と言われるイラク北部のキルクークはクルド人が多数住む地域にあり、現在政権の多数派を構成するイスラム教シーアグループにしてみれば、クルド人に広範な自治権を与えるのはよしとしても、原油まで渡すわけには行かないでしょうし、それはクルド人にとっても同じでしょう。

 要するに、原油は本当に魅力的な「沸いて出る」富であるばかりに、自国内で「取り合い」が発生して国の安定の妨げとなり、またそうした内戦状態に介入して火事場泥棒的に原油の権益を得ようとする諸外国の介入招きやすいという、「厄介者」であるように思うのです。

 やや話が飛びますが、日本はこれまで、幸いにも植民地化の経験が無く、また太平洋戦争後も、まさに現在のイラクのような復興・民主化プロセスの中で、内戦ではなく皆で力を合わせて経済発展の道を歩むことが出来ました。この背景には様々な要因があると思いますが、「原油を初めする天然資源が無い」という、わが国の“弱み”のおかげのようにも思います。

 民主主義があらゆる国や地域が追求すべき価値とは思いませんが、人間は「衣食足りて礼節を知る」存在であるとも思います。今後、イラクの人々が次なる潜在的な独裁者への「憧れ」と「恐怖」から自らを解放するためにも、そしてお互いの反目の歴史や宗教観の違いを超えて共通の利益、即ちイラクの社会と経済の安定を達成するためには、もう少し身近な表現で言い換えれば、「穏やかな気持ちで大切な家族と共に新しい年を迎える」ためには、せっかく恵まれた原油という「沸いて出る富」を人々の共通の利益のために活用していけるかが大きな鍵のように思います。


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