ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

歴史を訪ねて ~ Concordの町より~

2006年11月19日 | 日々の出来事

 

 学校あるいは図書館と自宅を往復する日々が続いていましたが、今日はCommuter Railを使って、久々に郊外へと足を伸ばしてみました。訪れた町の名はConcord。Cambridge市内から一時間ほどの北西に位置する人口約1万7千の小さな町ですが、実は、アメリカの歴史あるいは文学を語る上で、欠くことのできない役割を果たした土地なのです。

      

 最近修復されたばかりの小奇麗なこの橋。Old North Bridgeと言いますが、ここがアメリカ独立戦争の発端と言われています。当時、Concordはイギリスからの独立を目指す植民地軍の武器・弾薬の保管地でした。Patriack Henryの有名な演説「Give me liberty or give me death(我に自由を、しからずんば死を)」に鼓舞された植民地軍の兵士達(一分(Minute)で戦いのために駆けつける“Minute men(ミニット・メン)”と呼ばれます)は、イギリス軍の倉庫に忍び込んでは武器・弾薬を盗み出し、農作物の束に隠してConcordまで運びました。

     

 ある者は大胆にもイギリス軍の武器庫から、当時大変貴重だった大砲を4台も盗み出すことに成功します。事態の深刻さに気付いたイギリス軍の総督が、奪われた武器を取り返すために差し向けた700人のイギリス兵と、迎え撃つ1,300人のMinute menが1775年4月19日に最初に激突し、植民地軍が緒戦を飾ったのが、あの小さな橋だったそうです。

                           

 現在は、Minute Man National Historical Park(ミニットマン国立公園)として観光名所となっているこの場所には、イギリス軍から奪った4台の大砲のうちの一台や、Minute manの像等が、独立を勝ち取った植民地軍の自由と勇気の象徴として誇らしげに展示されていますが、同時に、橋の袂には戦いで亡くなった敵のイギリス兵を悼むお墓があり、当時の騎士道精神を見た気がしました。

 ちなみに、Concordはその後独立戦争が本格化した期間中、ハーバード大学のキャンパスが一時的にCambridgeから移されたほか、19世紀には「若草物語」の作者Louisa May Alcott等、アメリカを代表する多数の文学者が暮らしたことでも知られています。

 現在のConcordは、かわいらしいお店が軒を並べる本当に穏やかな町で、日々の宿題や議論で疲れた脳みそと心を癒すには、うってつけの場所でした。また、一日散策しても、アジア人やアフリカン・アメリカンを全く見かけなかったのも印象的でした。市の統計によると、何と92%が白人だそうで、まさに典型的なNew Englandといったところでしょうか。 

 こんな感じでゆっくりとした時間を過ごした休日でしたが、移動手段として使ったCommuter Railにはやられました。「Commuter(通勤客)のための電車」という名前にすっかり騙されて、事前に時刻表をチェックせずに出かけたところ、なんと日曜日は一日に7本しかない!しかも、寒風吹きすさぶ中、時間をつぶすこと1時間、ようやくやって来た帰りの電車に乗り込むと、車内が真っ暗。すると、僕らの当惑したカオとは対照的に笑顔の車掌が、

 「電気が足りなくなっちゃって、この電車は電気がつきませ~ん!」

 電気が足りない電車って一体・・・、、無事Cambridgeまで運んでくれるのだろうか、と激しく心配しましたが、他の乗客は皆、余裕で車掌とジョークを交わして楽しんでいる様子。何とか無事、わが町までたどり着きましたが、色々な意味で、「アメリカ」を楽しむことが出来た久々の休日でした。

     

   


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