アイデアリズム idealism daydream

[長文] インターネットやX(旧Twitter)上の「自分自身の実在」は他の人が必要なのです(素朴実在論) その2

その1から

 X(旧Twitter)のフォローさせてもらっていた方の素朴な疑問があったので私なりの回答です(かなり長いのでTwitterの返信ではなく、ここで)。回答が間違っていたらゴメンねー


<引用>

ようつべのあるコメで「俺は打ち続ける。そして、生き続ける。打たないヤツはみんな死ぬんだよ。」ーとか、信じきっているさんのコメ。俺は大丈夫とか思って、今も生きているのであろうか。

ようつべ=YouTube コメ=コメント(レスポンスとも言う)


 イロイロと忙しくなってしまって1年8か月以上も空いてしまったのですが以前、

・自分の実在(要は"いる"という事)は自分自身では証明できないため他の人に証明してもらうしかない
・なぜかと言うと自分の事を客観視できないから

 と書いたと思います。忘れた方は前の記事を読んでみてください。

 では具体的に例を出して考えてみます。

 ただ、今流行りの「生成AI」「詐欺師」「bot(ボット)」「善悪(倫理学道徳)」などは話がややこしくなるので保留しておきましょう。

〇対面の場合

 私がスーパーに行ってて友人や知人と会ったとします。

「こんにちは」
「やぁ、こんにちは」

 この場合、私は目の前に友人や知人が「いる」ので、

目で見て、その人の存在(実在)を確認できるので「実在するんだなぁ」

 と同時に、

・相手も私の存在を確認できるから「実在していると確信できる」ので挨拶を交わした

 これは分かると思います。

〇電話の場合

 私の携帯電話、もしくは自宅の電話が鳴って友人なり知人から電話がかかってきました。

「もしもし、○○です(私の名前)が」
「こんにちは、△△(友人や知人の名前)だけれど…」

 目の前に友人や知人がいるわけではありませんが、

声とか電話番号(ナンバーディスプレイなど)、会話などで相手の存在を確認できるのでお互いに「実在しているんだなぁ」
・今だったらFaceTimeSkypeZoomなどのテレビ電話ビデオ会議を使えば自分や相手の顔を写すことができるので、より明確に「相手や自分の存在を認知できる」
・まぁ、携帯電話の音声通話って「実は合成音声なのだけれど…ゲフンゲフン

 この場合もそんなに違和感なく分かると思います。

〇手紙や電報メール(Eメール、電子メール)などの場合

 手紙や電報、メールなどは、

基本的には文字だけ

 なので上記の対面や電話と比べると、

・実在や存在という言う意味では明確ではない
・住所やEメールアドレスは世界で1つしかないモノなのだけれど…
・届いたり開いたりはそれを書いた瞬間ではなくタイムラグ(時間差)があるので厳密に言うなら「読んだ時に、書いたその人が生きているのかどうか(存在しているのかどうか)は分からない」

 ただ、

年賀状第2次大戦後に友人や知人、家族に対する安否確認として使われた

 と聞いているので私個人的には、

・古い感じがするし手間もかかるけれど「手紙や年賀状はムチャクチャ明確じゃないとまでは言えないカモしれない」

 テレビやラジオ、新聞、雑誌などの従来のマスメディア(狭義のマスコミ・マスコミュニケーション)は、

・一般の人は使えず限られた人しか使えない

 ので割愛します。

 たぶん、皆さんはだんだんお分かりいただけてると思うのですが…、

インターネットの場合

 昨今、動画作りとかをされる方が結構いらっしゃるのですが、

・まだまだ基本的に文字でやり取りすることが大半で、それを補うために動画や音声画像(静止画)などを使う

 今、ミンナが使っているコミュニケーションツールってX(旧Twitter)やらLINEなどのSNSなので、

・メールや手紙と同じく文字が主体
インターネットの掲示板(BBS)やYouTubeのコメントも文字が主体

 要は文字でやり取りする(コミュニケーションする)って事になると…、

・相手の顔の表情や声のトーンとかそういった「言語(言葉)以外の情報のコミュニケーション(非言語コミュニケーションという)が無い
・それは相手からしても同じ

 なので、

・何となくお互いの存在自体があいまいになる

 もっと端的に言うなら、

・インターネット上で私が何か作った(文章でも絵でも動画でも音楽でも何でも良い)時にコメントが付かない、とか「いいね」ボタンを押してもらえない場合は、私から見ると誰が見ているのか(または見ていないのか)という「相手」という存在自体が分からない(再生回数やアクセス数などで人数くらいしか把握できない)

 これ自体は私も同様で、

・私が誰かさんのブログを読んだ、とか動画を見たとしても、私自身がコメントやらいいねボタンを押したりしない限り相手(投稿者)にとっては私という存在を確認できない

 ので、

インターネット上で私が存在しているのだけれど証明するには私がアカウントを作るだけ、とか、閲覧する(見たりする)だけでは不十分で、コメントなり「いいね」なりを書いたりボタンを押したりする必要がある

 ここまでのことを踏まえると、

・YouTubeのコメントで「俺は打ち続ける。そして、生き続ける。打たないヤツはみんな死ぬんだよ」

 というのは、

素朴実在論独我論(唯我論)を考えると大体合ってる

 なぜかと言うと上述の通りYouTube(=Google)はインターネットのサービスなので、

何かのアクション(動画を投稿したり配信したり、コメントを打ったり…)をしないと「俺」という存在自体が他の人には分からない(認知知覚できない)から
・他の人が存在を認知(知覚)できないものは客観できないので「俺」は存在しない、いないのと同様だから

 YouTubeは人気のサービスで日々たくさんの動画が投稿されるため、

・何かのアクションを続けていかないと「あっという間に他の投稿(者)という情報に"埋没"してしまう」

 YouTubeがある限り"何かのアクション"自体は「YouTubeのサーバにデータ自体は残っている」のですが、

たくさんの情報に埋もれてしまって「検索してもナカナカ出てこなくなる」
・そのため「俺は(コメントを)打ち続ける」=更新を頻繁にしてミンナに自分を見てもらえるようにすることにより自分自身の存在証明になる

 これ自体YouTubeのコメントに限った話ではなく、インターネット全体の活動でいえる事なのです。

 インターネットを検索してもナカナカ出てこない、とか、「アイツ今なにやってンの?」ということは、上記の通り「他の人に自分(という存在)を見てもらえていない」「他の人に自分を確認してもらえていない」ので、

他の人から見ると確認できないから「生きているのだか死んでいるんだか」存在自体が分からない

 ため、

・「コメントを打たないヤツは死ぬんだよ」は実に素朴実在論や独我論(唯我論)的な考え方で理にかなっている
・「コメントを打って」自分はまだいる(実在している、生きている)ことを証明してもらう

 芸能人アイドルがメディアはもちろん、毎日のようにブログの更新をしたりX(旧Twitter)に投稿したり、YouTubeで配信したりするのは、

・数多の芸能人やアイドルの中から自分はまだいますよ!! 生きていますよ、活動していますよ、忘れないでねー!!

 ということ(メッセージやCM)になります。
 インターネットに限らず、

・近所のスーパーが毎週チラシを作ってる→お店開いているから来てね
・ブロガーとかYouTuberが結構毎日更新してる→面白いことをやってるから見てね

 のも同じ理由です。
 私自身は「すごく存在感を出したい」とかそういうわけではなく、

まぁ、日記とか備忘録(忘れないようにメモ)かなー、ブログに関しては
docomoユーザーなのでブログを書いたらdポイントが当たるらしいし、とかなりライトな感じ

 何となくお題の「インターネットやX(旧Twitter)上の「自分自身の実在」は他の人が必要」という意味が分かってもらえたら嬉しいです…。

 ここからは少しだけ哲学的にツッコむと素朴実在論や独我論(唯我論)の基本的な考えとしては、

自分が認知や知覚できる(これは五感に限った話ではない)モノは存在(実在)してるし、自分が認知や知覚できないものは存在していないという考え方

 なので例えば、


・宇宙や地球、そこらへんの草花、飲みかけのコーヒー、私の友人や知人などなどは「私が認知や知覚しているから存在する
・宇宙や地球、そこらへんの草花、飲みかけのコーヒー、私の友人や知人などなどは「私が認知や知覚しなければ存在しない

 なんだかオカシイとか変、違和感があるって思うそこのアナタ!!
 では、上にある図は何なのかって聞かれたらおそらく、

・「飲みかけのコーヒー」って答えるだろう(表す言葉は何でも良いのだが)

 し、この飲みかけのコーヒーは、

・私でなくてアナタが写真を見て判断し、
・テーブルの上に「何もない」ではなく、
・「コーヒーカップ」を発見して、
・中身をよく見てから、
・少ししかないから「飲みかけのコーヒー」と定義した

 これは私がやったことと同じで「飲みかけのコーヒーを認知や知覚して、客観視して、それっぽい名前をつけて(言葉による定義付けやラベル付け)して、存在を確認した」のです。

 もし「飲みかけのコーヒー」を認知や知覚ができなかったら=(イコール)飲みかけのコーヒーが見えない、分からないのだから、

・「飲みかけのコーヒー」の存在を確認することができない(見えない)なら、「飲みかけのコーヒー」は「もともと存在してない」と考えるほうが自然ンじゃない? って事

 繰り返しになりますがポイントとしては、

・確認や認知や知覚する、いわゆる客観的な観察者がいて初めて「その存在」を証明できる
観察者がいなければ「その存在」は証明されないのだから「存在していない」のと一緒
・これを平たく言うと「私(観察者)が認知や知覚できるものは存在する」「私(観察者)が認知や知覚できないものは存在しない」となる

 科学「素朴実在論」や「独我論(唯我論)」などは省略して「その存在がある(実在する)」のを前提にしています。なので、

・科学者をイチイチ「素朴実在論」や「独我論(唯我論)」などを使ってクドクド証明することはせず、「どこどこの大学とかにいて、役職は何で、名前は○○で」とか書いて終了
・省略しないと科学者や研究内容の一つ一つを「まずは存在の証明しなくてはいけない」ので論文とかがとても長くなってしまうからねぇー

 今回は上述したように話をシンプルにするため「生成AI」「詐欺師」「bot(ボット)」「善悪(倫理学や道徳)」などは除外していますし、

・自分と自分以外の他の人(人間対人間)だけの実在の話

 にしぼっています。

・また何かお話したくなったら書きますねー

 そんな今日この頃。
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