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アイデアリズム idealism daydream

idealism=理想主義 daydream=白昼夢
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エホバの証人 王国会館

2009年03月29日 | 考え事イロイロ
「なんか集会所みたいなのが、いつの間にか出来ているンですけれど、アレは何なんですか?」
「あれ、エホバの証人の建物(エホバの証人王国会館)らしいよ」
「へぇーっ」
「"へぇーっ"じゃ無いでしょ! "へぇーっ"じゃ!」
「そう言われても・・・」
「○○サン(私の名前)、なんかリアクション薄過ぎ! 勧誘に来たらどうすんの?」
「うーん・・・」
「なんか冊子みたいなの配って回るよね。ウチは"読まないし(冊子が)無駄になるので要らない"と断るンだけれど、○○サンのところにも来る?」
「うーん、あまり来られないですねぇ。来られた時は一応、冊子("目ざめよ!"とか)はフツーにもらいます」
「えーっ?! もらうの? 読むの?」
「読みますよ。だって面白いし・・・」

(空気が一瞬にして凍り付く)

 なんということでしょう! 私が今勤務している工場の真ん前に「エホバの証人 王国会館」なるものが建設されたので一同大騒ぎなのです。

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 政治や宗教、スポーツ(特に野球)の話は三大禁句っぽいのですが、まぁ私のブログは世間を騒がせる事も無いでしょうし、少々空気読まなくても炎上ももちろん無さげ。友人たち曰く、

・自己完結してる・・・
・終わってる・・・
中二病・・・
お察し下さい・・・

 等の"称賛"の嵐です。とほほ。

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 さてさて「自称:真のクリスチャン」はエホバの証人なのです。

大体「YHWH」をどう読むのか、ヤハウェとかエホバとかワイ・エイチ・ダブリュー・エイチ等など・・・

 の論議は取りあえずよく分かんないので棚上げっぽいのです。

ま、聖書って2000年前の話だし・・・

 それはともかく問題は「2000年前の決まり事を守れるか?」の一点に尽きます。エホバの証人は旧約聖書が大好きで何が何でも頑に守ろうとするからです。

無理だわサ・・・
キビシ過ぎるンだわサ・・・

 2日前の記憶も定かではない昨今、2000年前なんて・・・と「既に迷える子羊モード全開」の私なのです。

多分、入信しても一瞬で破門されそう

 です。ハイ。

取りあえず、この(ちょっと体たらくだけれども)迷える子羊をお救い下さい!
出来れば、救い"ついで"にお金とカワイイ恋人もお・ね・が・い!

 と、救いようが無い私なのであります。ハイ。

アンタ、地獄に堕ちるわよ!

 いつか細木数子に激怒され、おそらくハルマゲドンに一番近い私なのです。

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 まぁ、マジメな話、私はどちらかというとアニミズム(原始宗教)とか汎心論等の哲学系なのであります。

 アニミズムとはもちろんアニメじゃなくて「自然の中に精霊や神様がいるカモ」という考え方で、汎心論とは「自然や物に心が宿るカモ」という考え方です。おそらく大半の人が「なんとなく信じてる」感じのものです。

要するにいっぱい(そこら中に)神様がいる・・・多神教
要するに間口がとてつもなく広い
要するに奇跡が起きても起きなくても問題無し

 というわけで。
 キリスト教は一応一神教なのです。ただ今のキリスト教は三位一体(=神様とイエス・キリストと聖霊が同格であるという考え方)を認めていますのでチョイと注意です。
 エホバの証人は三位一体を認めていないので少数派ではあるけれども、ある意味忠実と言えば忠実です。

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 そもそも旧約聖書の中で最初の方に、

神様が天地を作り、その後、食べ物や動物、そしてご自身に似せた"人間"を作った(天地創造)

 なるものが私としては「それホンマか?」「ストイック過ぎやしないか?」と少々違和感があったりするわけです。百歩ゆずって"それが本当"だとしても天地創造後の「ヤハウェ(神様)」と「人間」の泥臭い関係が延々と続くのは、

ドラマや読み物としては面白いけれど「聖典」としてはどうかなぁ・・・

 と思ってみたりして。

大体、全知全能の神であるはずのヤハウェが「人間」という失敗作を作るのがハッキリ言っておかしい

 いやぁ、中世のヨーロッパに生まれなくて良かったなぁ・・・と。こんな事をうっかり発言した日には火あぶり必須です。ハイ。

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 そんなこんなでアニミズムや汎心論の方が私個人的にはしっくりしますし、そもそも宗教全体を学術的に考える時はこれらを除いて考えると結構不自然になってしまいます。昨今の宗教や現代思想はアニミズムや汎心論等の影響を多少なりとも受けていると考えられているからです。

 人々が日々の暮らしをしていく中、天災やら災害にあったとします。その時に例えば、

・山の木を切り倒しちゃったから、多分、山の神様が怒ってしまって土砂崩れが起きたんだ
・雨が降らないから雨乞いの儀式をするのだ。そうすれば雨の神様が必ず雨を降らしてくれる

 とか。

 今では"山の神様"としなくても「森林は保水能力があるため、ある程度残しておかないと土砂崩れや水害が起きやすくなる」し、同様に"雨の神様"としなくても「雨が降るまで雨乞いの儀式を止めなければ良いだけの話(結果的に100%の確率で雨が降る)」と科学的に説明がつくでしょう。
 けれども科学が無い時代、人々は長い間の経験から自然に対して(人は自然に対して儚く無力なのだと)畏敬の念を持つのは別にオカシい事ではなく、自然の巨大な力=神様の力と考えても不思議ではありません。

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 そもそもいくら科学で仕組みが分かったからと言っても、じゃ人工的に何でもかんでも代替可能か? 作る事が出来るか? と言えばNOです。
 現代科学では台風やハリケーンの進路すら変える事が出来ませんし、原始スープで新しい生命を作れないし、核融合炉も実用化はまだまだ先の話で、ノーミソ自体もよく分からないのでコンピュータに置き換えられるものではないし・・・自然というものが恐ろしい程に「コンパクトで効率的」なのであります。自然の循環そのものが「神業レベルで動いている」ンです。
 それに対して「ヤハウェが人間の為に作ってくれたものだから」と考えるのか「もともと神様や精霊が個々に宿っているから」、「神様とかそういう幻想を抱くのは人間だけ。アンタがいようがいまいが地球は粛々と回ってるし」等々を感じたり考えたりするのは"信仰の自由"デスね。ハイ。

 まぁ、かといって、

・巫女さん萌えーっ
うpしてくれてありがとう、まさにネ申
ナコルル:「大自然のお仕置きよ!」

 はチョイと違うと思われ・・・。

放送禁止用語 キチガイ

2009年03月22日 | 観た聴いた読んだイロイロ
http://www.j-cast.com/2009/03/08037204.html

 いやぁ・・・マスコミって「四権」じゃなかったの? と思いつつ、「笑っていいとも!は報道番組ではなくバラエティーだしなぁ」とも思ってみたり。

 私は放送禁止用語がある事自体がオカしいと感じています。
 というのも、放送禁止用語の根本に差別やら思想の問題があるわけで、それらが「一人一人全て違う感じ方をする=個性価値観多様性」という矛盾がある以上、全てをクリアにするのは難しいと思うからです。

八方美人になるのは難しい

 と。

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 インターネットで皆が情報発信できるようになった昨今、車社会と同じく

皆が加害者になる可能性

 があるでしょう。自由は"わがまま"ではなく責任がついて回るものです。
 責任回避策として"キチガイ"を"基地外"とか"キティ・ガイ"としたところで受け手にとっては本質的に意味が変わる事が無いでしょう。逆に変に"基地外"なんて書くのは「気持ち悪い」「さもしい」と感じるのは私だけでしょうか。

雄弁は銀、沈黙は金

 だと思います。

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 私自身が現在うつ病で治療中ということもありキチガイかも知れません。が、体験していることをふまえて言うと、

テレビやラジオを視聴してショックを受け治療の妨げになるから「キチガイ」という言葉を使うのは止めよう

 っつー指摘や理屈は少し強引過ぎるし短絡的かなぁ・・・と思います。取って付けたような理由かな、とも。なぜかと言うと

・患者にとっては一般の人にとって何でも無い事がストレスとなる
・別にテレビやラジオ等を治療に使ったりはしない
・大体、テレビやラジオ等は視聴しない(喜びが喪失しているため)

 からです。
 まぁ、健康な人であっても何でも無い事が不愉快に感じる事もあるでしょう。例えば、

クリスマスやバレンタインデー

 は恋人や伴侶がいない人にとっては「大きなお世話的な話題」だと思われます。ハイ。

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 なにはともあれ結局何が言いたいのかというと、事なかれ主義は面白くない、つまらない、と思うのです。

 何が面白いとかつまらないとかという究極的な意味合いについては「非日常」とか「異常な事」なんじゃないかなぁと思ってみたり。
 ナンダカンダ言って報道とかニュースって結局は「野次馬」でしかないンです。それによって人を直接助けてるわけでもないし、結局は「人の不幸は蜜の味」なんだと思います。撮る側(マスコミ)も見る側(視聴者)もね。
 私は宗教家でも倫理学のセンセーでもありませんので、それについて良いだの悪いだのと言う事はしません。

 ただ、あまりにも最近は冒険せず保身し過ぎてつまらないなぁ、とか、信用度が低いなぁ、一方的過ぎるうがった見方だなぁ、中途半端に終わるよなぁ・・・とガッカリする事が多い次第で。

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 まぁ、騒音おばさん(奈良騒音傷害事件)について塩爺が、

「やっぱねぇ、狂ってますよ、この人は。顔見てご覧なさい。目はつり上がってるしねぇ、顔がボーッと浮いてるでしょ。キチガイの顔ですわ」

 と生放送中に爆弾発言をしちゃった時、司会の福澤朗のあわてっぷりが面白かったのは確かです。

幸せのちから

2009年03月07日 | 観た聴いた読んだイロイロ
 さっき(正確に言えば昨日)TVでやっていたので思わず観てしまったのです。

「幸せのちから」
http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/thepursuitofhappyness/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E3%81%9B%E3%81%AE%E3%81%A1%E3%81%8B%E3%82%89

あらすじ:「医療機器の販売員クリス(主人公)。機器はナカナカ売れず家賃は何ヶ月も滞納し、駐車違反の罰金も払えず拘留されたり、あげくのはては妻のリンダに逃げられる始末。
 ある日、出会った金持ちそうな男に成功の秘訣を聞くと"株をやっているから"。クリスは株のトレーダーとして生きていく決意をするが・・・」

 一言で言うと「成功者の苦労話」なンです。ただ、あまりにも

身につまされる思い

 がするのは私だけでしょうか。

 舞台は現代アメリカで「金持ちは極端に金持ちで、貧乏人は極端に貧乏」「中間どころの無さ」という強烈なコントラストがこれまた"厳しい"感じがしました。
 アメリカン・ドリームという言葉があるけれど、裏を返せば「天国か地獄か」「博打」なのかも知れないと。

 うーん、この映画。私にとってナカナカ微妙な感じがしました。感動とかそういう喜怒哀楽を感じさせてくれるのではなく、あまりにもリアル過ぎて夢や希望が無い、焦燥感+崖っぷちの毎日っつーのは映画というエンターテイメント的にどうなんでしょうかねぇ・・・。
 あえて言うなら、父子家庭(主人公演じるウィル・スミスと子供のクリストファーは実際の親子でもあります)独特の絆の深さが良かったかも・・・と思いつつ。

 クリスは最後には成功者になるけれど、いくら努力して頑張ってもなれない人もいるわけで、私の行く末は後者の可能性の方が高いわけで・・・。

「これがアタシたちのリアル」:そこらへんの女子高生

 そんな感じ。