阪神大震災の1,17 5時46分、あれから25年過ぎた。
四半世紀である。
当時、現地の神戸にいてあのM7.3を経験したことから
3,11と同様に1,17は忘れられない特別な日でもある。
テレビの特番であの時、宿泊していたホテルオークラが映っていた。
あの二十階でものすごい揺れで立っていられず
思わずベッドにしがみついていたのだった。
そして窓から見えた風景。信じられなかった。
高速道路の橋桁が横倒しになって
遠くから煙がみえヘリが飛んでいるのがみえた瞬間
大変なことが起こっているとの感じた瞬間でもあった。
今年の現地の中継で25年被災者に寄り添い、傾聴活動をしている
NPOよろず相談の牧氏の言葉が重みをもって伝わってきた。
復興とははこものができて終わったわけではない。
行政は箱物と街がきれいになったり制度を整え復興したと言うが
一皮めくれば、
その下でなくなった人の家族など被災者たち人々がうごめいているのだ。
そこをどう支えていくのか、人によってしかできない。
また震災を知らない世代に対しては
災害後どのように生活していったか知ってほしい。
と語っていたのだった。
四半世紀である。
当時、現地の神戸にいてあのM7.3を経験したことから
3,11と同様に1,17は忘れられない特別な日でもある。
テレビの特番であの時、宿泊していたホテルオークラが映っていた。
あの二十階でものすごい揺れで立っていられず
思わずベッドにしがみついていたのだった。
そして窓から見えた風景。信じられなかった。
高速道路の橋桁が横倒しになって
遠くから煙がみえヘリが飛んでいるのがみえた瞬間
大変なことが起こっているとの感じた瞬間でもあった。
今年の現地の中継で25年被災者に寄り添い、傾聴活動をしている
NPOよろず相談の牧氏の言葉が重みをもって伝わってきた。
復興とははこものができて終わったわけではない。
行政は箱物と街がきれいになったり制度を整え復興したと言うが
一皮めくれば、
その下でなくなった人の家族など被災者たち人々がうごめいているのだ。
そこをどう支えていくのか、人によってしかできない。
また震災を知らない世代に対しては
災害後どのように生活していったか知ってほしい。
と語っていたのだった。