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日曜日の快楽のひとつに、午前8時から始まる「週間ブックレビュー」がある。
「すべてを失くして」(内藤ルネ)と「夏の家、その後」(ユーティット・ヘルマン)
を買いに行かねば、と思う。
でも、この3連休は、「東京タワー」と「楽園のシッポ」(村上由佳)と「細野晴臣インタビュー」(細野晴臣・北中正和)を抱えてるし、前に紹介された「告白」(町田康)、「ポーの話」(石井しんじ)もまだ読んでないし、、、
ベッドサイドには「楽園のシッポ」と「インタビュー」、居間には「東京タワー」を設置する。
まず、「東京タワー」の追憶の時間に飛び込む。
リリー・フランキーと、オカンとオトン、家族の物語。
人は誰でも、自分の人生という一大小説のテーマを抱えているというが、彼の生い立ちの話にどんどん引き込まれてゆく。
彼の幼少の頃の九州、筑豊の炭鉱町の話は、ピンクドラゴンのヤマちゃんが育った北海道、赤平炭鉱の話を彷彿とさせる。
端々に現れる生きてゆくうえでの価値観にも共鳴した。
たとえば「ポケットの中に納められた百円は貧しくないが、ローンで買ったルイ・ヴィトンの札入れにある千円の全財産は悲しいほどに貧しい」
後半の後半、オカンがガンの末期になったあたりを読みながら、私はしばしば、ソファーに本をガバッとうち捨てた。
どうしても、自分の介護体験とだぶり、息が苦しくなって読み進むことができなくなる。
10分ぐらいしてから、また本を取り上げ、そこにある世界に入ってゆく。
私なんてさ、どれだけの肉親と長い過程の別れ、そして予期せぬ突然の別れがあったことか。
その時その時の光りを放ちながらも、ジワジワと消えていったた命も、いっしょに生きてきたのに、あれよっというまに目の前から消えていった生きている人間同志の絆の脆さもふくめて、さ。
読んでいて、うなずいたり、チクチクしたけど、号泣はしなかった。
そして読み終わったら、なんだかさっぱりした。
最後のほうに渋谷のスクランブル交差点をみる著者の心境の記述があった。
私もまったく同様のことを、こんなふうに日記に記したことがある。
渋谷のスクランブル交差点を、人々がかき回されながら渡る。
その中の一人である私は、たったひとり、大きな苦悩を背負った糞ころがしのようだ。そう感じると、明るい陽射しのなかで、突然どっと涙が出てきた。
でも、ここにいる人たち、実はみんな何かを背負った糞ころがしなのだ。
誰でもいつか経験することなのだ。
写真 (撮影・ガリバー) ヤマちゃんたちの故郷、赤平炭鉱で。71年。
「すべてを失くして」(内藤ルネ)と「夏の家、その後」(ユーティット・ヘルマン)
を買いに行かねば、と思う。
でも、この3連休は、「東京タワー」と「楽園のシッポ」(村上由佳)と「細野晴臣インタビュー」(細野晴臣・北中正和)を抱えてるし、前に紹介された「告白」(町田康)、「ポーの話」(石井しんじ)もまだ読んでないし、、、
ベッドサイドには「楽園のシッポ」と「インタビュー」、居間には「東京タワー」を設置する。
まず、「東京タワー」の追憶の時間に飛び込む。
リリー・フランキーと、オカンとオトン、家族の物語。
人は誰でも、自分の人生という一大小説のテーマを抱えているというが、彼の生い立ちの話にどんどん引き込まれてゆく。
彼の幼少の頃の九州、筑豊の炭鉱町の話は、ピンクドラゴンのヤマちゃんが育った北海道、赤平炭鉱の話を彷彿とさせる。
端々に現れる生きてゆくうえでの価値観にも共鳴した。
たとえば「ポケットの中に納められた百円は貧しくないが、ローンで買ったルイ・ヴィトンの札入れにある千円の全財産は悲しいほどに貧しい」
後半の後半、オカンがガンの末期になったあたりを読みながら、私はしばしば、ソファーに本をガバッとうち捨てた。
どうしても、自分の介護体験とだぶり、息が苦しくなって読み進むことができなくなる。
10分ぐらいしてから、また本を取り上げ、そこにある世界に入ってゆく。
私なんてさ、どれだけの肉親と長い過程の別れ、そして予期せぬ突然の別れがあったことか。
その時その時の光りを放ちながらも、ジワジワと消えていったた命も、いっしょに生きてきたのに、あれよっというまに目の前から消えていった生きている人間同志の絆の脆さもふくめて、さ。
読んでいて、うなずいたり、チクチクしたけど、号泣はしなかった。
そして読み終わったら、なんだかさっぱりした。
最後のほうに渋谷のスクランブル交差点をみる著者の心境の記述があった。
私もまったく同様のことを、こんなふうに日記に記したことがある。
渋谷のスクランブル交差点を、人々がかき回されながら渡る。
その中の一人である私は、たったひとり、大きな苦悩を背負った糞ころがしのようだ。そう感じると、明るい陽射しのなかで、突然どっと涙が出てきた。
でも、ここにいる人たち、実はみんな何かを背負った糞ころがしなのだ。
誰でもいつか経験することなのだ。
写真 (撮影・ガリバー) ヤマちゃんたちの故郷、赤平炭鉱で。71年。
読みながら、微笑とそしてやはりチクチクとしたものを感じました。
中身よりはるかに少ない財布の中身・・う~ん、、あるある。(苦笑)
そして、親の死・・・
私はまだ経験していないけど、いつか来るのでしょうね。どんなに尽くしても、きっとあの時こうしてあげたかった、ああしてあげればよかった、と後悔することはあるのだろうけど、まだ未来のことなのなら、その後悔を少しでも軽くする為に、できることを探したいです。
渋谷のスクランブル交差点をJRのホームの窓から見下ろすたびに、こんなに大勢の中にいる自分を感じる。不思議ですよね。下を歩く一人一人にやはり、いろいろな人生があり、経験があり、物語がある。そう考えると今の自分が今なんとちっぽけな存在なのだろうと、思い知らされます。
学生時代はこの光景を見て、この中から抜きに出てやるんだ。ともがいていたことを思い出し、同じ光景を見ながら、まったく違うことを考えている自分に気がつきながら・・
あの場所は通るのはあまり好きではないけれど、見ているといろいろと考えさせられる場所ですね。
いつも長々とすみません。でもまた来ます。(笑
中身よりはるかに少ない財布の中身・・
訳がわかりません、(泣
<訂正>
中身よりはるかに高い財布・・・
恥ずかしい間違いを!!
訂正してお詫びします。
それをもらうとき、友人は「ま、上海生まれのプラダですから、、、」と笑いながら言ったんですけど、私の経済状態にも、好みにもぴったりで、愛用してます。
ています、あったことを
HPにかいています。
でも、報告とかいうより
自分で租借しているのです。
Tvで救急車のシーンがでると
胸が苦しくなってきます。
きっと、がんのことがかいて
あったので、無意識にいつか
と封をしているみたいです。
さまざまな人生があって
一言ではかたずけられない
檻があるような気もします。
でも、Yaccoさん
エールもらったよう気
がします。ありがとうござ
います!たんたんといきます。
上海うまれ、って可愛いな
そのお財布、価値観=
センスかもしれないですね。
たまたま同じ日に東京タワーを読んでいたと思うと嬉しくてTBさせていただきます。
母と祖父をガンでなくした私には、いくら友達からすすめられても、「東京タワー」になかなか手を出す勇気がありませんでした。
でもYaccoさんの文章を読んで、なんとなく読んでみようかな、という気がしています。
糞ころがしは自分だけではないんですものね。
偶然わたしも来週旅にでるので持っていこうと思います。
今から読むのが楽しみです!
かたです。うふ。杏子さんを某所ロビーで
拝見したのですが、同じオーラーが。。
いつか行く路ですが、健康でいなきゃと
不健康な体に言い聞かせる今日この頃。笑。