曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





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矢川 矢川弁財天

2007-03-22 | sketch/連載/川
立川技術専門校の東に隣接する神社。goo地図


ここもけっこうな量の湧水が見られる。




社の前には狛犬ではなく一対の龍神。日本では非業の死を
とげた者を神として祀る。人間でも動物でも。
荒れ地を開墾して人間が定住する過程で、共存が不可能な
「まむし」のような毒蛇は相当数殺してきたに違いない。
湧き水、神社、農地、そして供養の対象となる蛇を象徴す
る龍神は切っても切りはなせない関係にある。


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2 コメント

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昭和初期のお話 (mathammy)
2011-06-30 19:17:49
「立川のむかし話」によれば、矢川弁財天に関してこんな話が伝わっている。いつの頃か、矢川弁財天は荒れ放題になっていた。気味悪い雑草が生い茂り、池の水も暗くよどみ、妖気さえ漂っていた。ある時、立川の修行僧のところに一人の老人が訪ねてきて、矢川弁財天を清めて世に出して欲しいと言う。そこで老人の案内で弁財天に行くと、荒れ果てて妖気さえ漂う有様に驚いた。修行僧はよい日を選んで整地にくると約束した。やがて何日か経って修行僧はお手伝いを連れてやってきて、雑草を刈り、石を取り除いて整地を始めた。すると堂守婆さんが飛んできて、「ここは弁天様の棲家じゃ。そんなことしたら後で弁天様の祟りがある。すぐやめれ!」と言った。修行僧は「法要するから心配はいらない」と婆様を納得させた。その夜修行僧が床につくと、高い山から谷底へ突き落される夢を見て目を覚ました。しかし体の自由がききません。必死にもがくうちに大木に捕まることができた。が、何とそれは大蛇だった。これは弁天様が怒っているのだ。修行僧は悪霊を封じる九字の印を切ろうとしたが身動きできません。やがて修行僧は心に閃くものがあった。弁天様は怒っているのではなく何かを訴えておられる。九字の印ではなく相承の印で霊と和合しなければならない。そこで足を組み、相承の祈りに入ると、魔性が霧散し体が自由に動くようになった。修行僧が弁天様と和合できたことで、矢川弁財天は清められた。修行僧は以後3年、矢川弁財天で法要を営んだという。
⇒⇒⇒  昔々の多摩話-矢川弁財天の妖気
http://homepage3.nifty.com/k_harada/ohanashi/yagawa/yagawa.htm
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Re:昭和初期のお話 (管理人すずき)
2011-07-06 03:13:38
こんにちは。
お話の紹介ありがとうございます。
まだ読んだ事はありませんが「立川のむかし話」も興味深いエピソードがかなりありそうですね。
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