曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

The Wall (9)

2006-05-16 | sketch/連載/その他
撮影は(8)の写真より少し西寄り、昭和中学校の裏のあたり。このフェンスに囲まれた敷地が
陸軍航空廠立川支廠のものだった事は以前紹介しましたが、線路の南側にも軍事施設があり
ました。昭和中、昭和高、東小と三つの学校が並んでいますが、それらを合わせた土地とさ
らに南の昭和公園も含めた広い敷地は航空廠技能者養成所のものでした。




The Wall (3)

2006-05-10 | sketch/連載/その他

撮影場所はダイクマ裏の踏切近く。途切れ途切れだったフェンスもここから、ずっと西の東中神駅近く
まで続いて(残されて)います。
(後注)
上記の記述は勘違いでした。実際には西立川駅の西で途切れています。
2006.5.14


反対の踏切側から見るとこんな感じ。


クローズアップ。数十年風雪に耐えながらも、だいぶ傷んでいます。この場所はフェンスから
北側が陸軍航空廠立川支廠の敷地だったところです。部外者に内側を覗かせない為のものと推
測されますが、青梅線の窓からは丸見えだったでしょう。それと、当時と現在の日本人の平均
身長はそんなに違ったのでしょうか。目隠し目的のフェンスにしては低すぎる気もします。

The Wall (2)

2006-05-09 | sketch/連載/その他
(1)で紹介したフェンスの少し西よりの場所。このあとも数回この
フェンスを取り上げるが、ここだけ何故か青梅線線路と少し離れ
ていて南隣りに道がある。北側の昭和記念公園の場所には以前、
陸軍気象部立川出張所があった。線路の南側、ダイクマやヤマタ
ネの倉庫がある場所は東亜航空機の敷地だった。


線路側から撮影。囲われた部分は空き地になっている。


上の写真の数メートル西。ゲートが残っている。

撮影ポイント。

The Wall (1)

2006-05-08 | sketch/連載/その他
一月末に、青梅線沿いに残っているコンクリートのフェンス
を紹介しましたが、最近一部が取り壊されていたのを見つけ
ました。残りの部分も壊される前にと思い、撮影にでかけて
来ましたのでシリーズで。


老人ホームの近く、ここから左(東)の部分が撤去されています。


もう少し東よりの部分。


今回かろうじて残された部分を線路側から撮影。撮影ポイント。

軍事遺構(2)

2006-05-04 | sketch/連載/その他
建物を壊した時、何かの都合で一部を残したのでしょうか。
と思ったけどそんな事ってあるのか。壊すなら全部壊すだろ
う、というのが合理的な推測ですが。ちょっと分かりません。
陸軍航空廠立川支廠の跡地にて。遺構(1)と同じく米軍立川
基地時代の遺構の可能性あり。撮影ポイント。

五日市街道(終) 横田

2006-05-02 | sketch/連載/道
今回は異例に長い連載となりましたが、五日市街道シリーズもこれで
最終回です。旧道、新道が分かれた部分で直進して旧道へ入りここへ
至りました。この米軍横田基地のフェンスに突き当たった場所で道は
南へ方向を変えて飛行場沿いに進み、新道と合流しています。迂回コ
ースは第五ゲート前で終わり、再び五日市を目指します。この写真の
場所から飛行場の中を直進すると第五ゲートに向かいますので、基地
拡張前の五日市街道はそこまでほぼ直線だったのがわかります。1940
年代初めの地図を見てもそうなっています。横田基地の前身多摩飛行
場の時代です。
撮影ポイント。