『二中通りと呼ばれた通りが、現在の錦町大通りのように
、幅員を広げて、直線に整備されたのは、大正十三年の
ことである。
大正十一年に立川に飛行場ができたので、甲州街道から
飛行場へ抜ける主要道路として整備が図られたと考えら
れる。
新道ができても、しばらくの間は、旧道の方が賑やかだ
った。下田米店、清水万年筆屋、柴田床屋、炭屋、はん
こ屋、八百屋などが並んでいた。
新道を境に、東側を和泉町、旧道側を元和泉町といい、
元和泉町の方が賑やかだった。
しばらくすると、旧道に面していた商店が、回れ右して
新道に面したり、少し動いて新道ぞいに新装開店したり
して、新道の方も賑やかになってきた。・・・』
<立川の昭和史 第二集 立川市教育委員会発行
第六章 市民が語る立川町の耕地整理とそのころの南口の様子>
より引用
goo地図
明日も更新しろよ!と思っていただけたら、ポチッと
義理堅い方は両方ポチッとお願いします