ではGWネタの続きで、まず門正面にある
浦河町郷土資料館から見学して行きます
中入って右には
大昔のから今迄の寄付による五月人形
やはり大昔は、金太郎でした
左は受付や事務所になるので
チラっとロ~カの展示物を撮影し、右側から見て行きます
実はここ、観た通り
旧浦河東小学校の校舎を利用した郷土博物館です
学校だった頃の面影が随所に残っている館内では浦河町の
民具や産業、自然、動植物などを展示している。
では最初の右側教室に入って見ます
入ったとたん、左側真ん中には剥製だらけ
ぐるっと裏に回って
上の鳥達を
蝦夷鹿
ここのフロアは、浦河の自然コーナーでした。
北海道を代表する日高山脈の裾野に広がり、太平洋を望む
浦河町は、哺乳類・鳥類・魚介類・昆虫・植物などの動植物が多く
生息しています。化石も豊富で、特にアンモナイトの産出地として
知られています。展示室には、動物剥製、樹木標本、化石標本、
昆虫標本などの資料を展示しています。
隣の教室へ、入って右の展示物
出土した土器でして、ここのフロアは
大昔の浦河コーナーです
浦河町内の各遺跡から出土した縄文時代、続縄文時代、
擦文時代の土器、石器、装身具などの先史時代の資料を展示して
います。 展示室に復元したアイヌ民族の家屋にはアツシ・
ケマウシペ・ニマ・サラニップなどの資料も展示しています。
左側には
チセ(復元家屋) チセは屋根も壁も茅を使いました。
あっしの苦手とするアイヌ民族の家屋です。
家屋の前には(教室の真ん中)
カパラミプ 白布を切り伏せして、刺しゅうをほどこした単衣の
木綿の着物です。
お次の隣の教室は
左側に開拓時の復元家屋が。 ここのフロアは
浦河の拓けたころコーナーです。
明治4年、長崎県・熊本県の人たちが西舎・杵臼地区に、
明治14年以降は赤心社が西舎・荻伏地区に集団で入植し浦河の
開拓が進められました。さらに明治5年には浦河支庁も置かれ、
常に行政の中心的役割を果たしています。
左側から中を
右側階段付近を
第4代浦河支庁長 西 忠義は、日高の開発を推進し、地域の
産業振興をより効果的な方法として、日高実業協会を明治35年に
組織するとともに、翌36年には、「日高国標銘」と「日高国標識」を
撰しました。そして、管内の道路・橋の改修による交通運輸の利便
や産業の奨励、諸団体の活動、道徳の奨励など地域住民の教育
向上に努めました。
ロ~カに出ると目の前に・・・
ポンプ車
また隣の教室へ
入って右側には漁港~ このフロアは、
浦河の漁業コーナーです。
よい漁場と岩礁の多い浅い海に恵まれた浦河は、豊富な魚と
質のよい昆布の採れるところです。昭和4年、浦河漁港が完成
して、日高における漁業の中心地になりました。現在、さけ定置網・
めぬけ刺網・かれい刺網・いか釣・昆布採取などがさかんに行われ
ています。
教室真ん中左は
また隣の教室へ
入って目の前です。 ここのフロアは、
浦河の農業コーナーです。
明治から昭和かけて農家は鍬、鋤にたよる農業からプラウ・
ハローなどを使う農業、さらにトラクター・コンバインを使用する農業
へと変化してきました。現在、浦河は競走馬としての軽種馬を生産
する農家が多くなり、今では「サラブレッドのふるさと」と呼ばれて
います。
教室左側を
この教室を出て、ロ~カに
魚の剥製。 その中でデッカイドウらしいものを
デッカイドウでは、はっかく。 以前食べたアレやコレ
そして
オオカミウオです。
ギンポの仲間。 標準和名をもっておらず、英語名のウルフ
フィッシュを直訳し、オオカミウオと呼ばれているようです。
次回は、隣の馬事資料館を紹介します
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昨日はやがちで、無いと寒いです・・・
なので夜少しスト~ブ付けたりしてる始末・・・
しかし、今日から最低気温も二桁突入なので、もぉ~スト~ブから
卒業出来るかな
桜もまだ八重桜が咲いてないので、あと何日かで咲いてくるで
しょうから、あっし大好きなので撮影したいなぁ~と思ってます
撮影したい八重桜のある公園は、白とピンクが沢山あるんです
べんと食べながら、公園でのんびりして歩き、撮影したい
そんな春を迎えてるデッカイドウでした
勿論、ドライブ三昧して、いろいろまた紹介したいです