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キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

2024ビワイチ1

2024年05月25日 09時33分52秒 | サイクリング

2024年のGWに、サイクリングをはじめた10代のころからやってみたかった、ビワイチ(琵琶湖一周サイクリング)にゆくことにした。

GWの5月2日。木曜日。平日の夜に車で第2東名をすすみ駿河湾沼津SAで休憩する。時刻は20時過ぎだがフードコートは混雑していた。

今夜のうちにできるだけ琵琶湖に近づきたい、少なくとも渋滞ポイントの音羽蒲郡は通過したいとおもっていると、その先の岡崎で車の流れがとまってしまった。時刻は22時だ。30分停滞したが、車7・8台がからむ事故だった。

23時に岡崎SAについた。今夜はここで泊まることにする。鯛とイサキの刺身、鳥の唐揚げで一杯である。2024年シーズン14日目の車中泊。

5月3日。金曜日。岡崎SAの朝。6時前に起床した。天候は晴れ。スーパーで買ってきたおにぎりとなめこ汁の朝食をとる。今日からGW後半の四連休のスタートでSAの駐車場はすでに満車状態だ。6時半に出発する。琵琶湖大橋の東岸にある、守山市の『ピエリ守山』というショッピングセンターやスーパー銭湯のある施設にむかう。ここの駐車場がビワイチ用に開放されているのだ。ナビによるとピエリには9時につくとのことだった。

名神をすすみ伊吹PAで休憩する。

ここも混雑していた。

栗東ICで高速をおりて、9時半にピエリ守山の駐車場のE区画に到着した。E区画がビワイチ用に開放されているのだが、この区画はピエリよりも琵琶湖大橋よりにあるので、場所がわからずにいったりきたりしてしまった。でも駐車場をつかわせてもらえるのはありがたいことである。

今回の相棒はロードバイクだ。走行中は車内にねかせ、車中泊をするときには右にたてかけてやってきた。

このロードバイクは約40年前に組んだ自転車で、もうクラシック・レーサーになっている。クロモリ・フレームにチューブラー・タイヤ仕様だ。自転車については『ロードレーサーの紹介』をどうぞ。

10時に出発した。ピエリは琵琶湖大橋のすぐ横にあるのでまず大橋をわたる。今日は大橋の南側50キロを走行し、余裕があれば守山から北の琵琶湖東岸を北上したいとおもっていた。大橋から南の一周は約50キロで、北側は150キロだ。つまりビワイチは200キロである。明日だけで150キロを走るのはきびしいから、今日のうちに距離をかせいでおいて、翌日の走行を楽にするつもりなのだ。若いころは200キロくらい1日で走るのはなんともなかったのだが、60をすぎた今は無理だ。100キロは先々週も走っているから(2024緑のヘルシーロードサイクリング)自信があるが、スキーで痛めた右ひざが不安だから、2日目の距離をすこしでもすくなくしておきたいとおもっていた。

琵琶湖大橋の最高地点についた。すばらしい眺望だ。当日は気温が25℃になるとのことで、長袖シャツに短パンで走行した。

琵琶湖大橋をわたると県道558号線で南下する。道路上には上級コースのペイントがあった。初級コースもあり、そちらは山の手をゆくのでこちらのルートをえらんだ。

ビワイチは右回りでも、左まわりでもよいのだが、反時計回りがよいとされている。自転車は左側通行だから、反時計回りだと琵琶湖の横を走ることのなる。すると湖がよく見えるのである。それで私もそのように走行した。

ビワイチははじめてだが、琵琶湖には二度来たことがある。一度目は高校二年生のときのサイクリングで、能登から下ってきてマキノサニービーチでキャンプをした。二度目は大学生のときに紀伊半島ツーリングにきて、帰りに大津の皇子山(おうじやま)ユースホステルにとまったのだ。そこにたちよりたいとおもっていた。

皇子山公園はすぐにみつかった。スポーツ公園で野球場などの施設がある。

ここに滋賀県立スポーツ会館があり、これがユースホステルの跡地だろうと考えて受付の方に聞くと、以前は宿泊もできたが、現在はできないとのこと。ここにちがいないとおもったのだが、かえってからしらべてみるとちがっていた。そもそも名前が皇子山ユースではなく、大津ユースだったのだ。大津ユースホステルは皇子山公園ではなく、すぐ近くにある皇子が丘公園に隣接していた。私が泊ったのはびわ湖毎日マラソンの前日だったが、マラソンに出場するという方と話をした。その人は30くらいの青年だったが、フルマラソンを3時間で完走するというので、それはすごいですね、とこたえたことをおぼえている。マラソンの前日にユースホステルに泊まるのというは、1980年代でもストイックな行為だとかんじられたが、一般参加の選手の費用は自腹だからそうしたのだろう。そのびわ湖毎日マラソンの発着点が皇子山陸上競技場だったから、記憶ちがいをしたようだ。

当初は由緒のあるお寺を拝観していこうかと考えていた。しかしそんなに寄り道をしてはいられない。行きたいところを限定することにして、先にすすんだ。大津駅前を通過してゆくと昼時となった。丸源ラーメンがあったので入ることにする。

丸源ラーメンは関東にもあるが、利用するのははじめてなので、イチ押しの肉そばと半チャーハンのセットにした。肉そばは背脂のきいたこってりスープに豚バラがのり、もみじおろしで味変するラーメンだ。ボリュームもある。体をうごかしたときにはこういうのがいい。

チャーハンは鉄板に薄焼き玉子を敷き詰めた上にのっている。これをよくかきまぜてたべる趣向だ。いいね、丸源、気に入った。1034円。

滋賀県のドライバーは自転車にやさしい。ビワイチが認知されているようで、交差点や右左折では何度もこちらを優先させてもらった。

ビワイチの南端の瀬田の唐橋にやってきた。琵琶湖大橋の南側一周の折り返し点である。

瀬田の唐橋から琵琶湖方向をみる。

東岸を北上してゆくとボートの競技大会がひらかれていた。

高校生と大学生の競技のようでたくさんの人が観戦、応援にきていた。

ビワイチのコースには青いラインがひかれているからわかりやすい。

時に橋をわたってゆくと琵琶湖がひろがる。ペダルをふむ速度は時速15キロだ。還暦すぎの私にはこのペースがちょうどよい。このスピードだと2時間で30キロ。4時間で休憩をいれて50キロという進度で、クランクをまわしていった。

 


2024緑のヘルシーロード・サイクリング

2024年05月01日 17時02分41秒 | サイクリング

 

埼玉県南部の川口市から、北端の行田市までサイクリング・コースがはしっているのを知った。緑のヘルシーロードという名前のサイクリング・コースだ。山のない平地をゆくコースなので、今シーズン初のサイクリングでここを走ることにした。

 

 

4月20日。土曜日。車にロードレーサー(この自転車を組んだ40年前はロードバイクということばはなかった。ロードレーサーとよんだのである)を積んでゆき、さいたま市のさぎ山記念公園からスタートする。緑のヘルシーロードは片道57キロで、往復するのは足慣らしとしては長すぎるから、ここまで車できたのだ。ここからだと片道40キロほどで、往復すると80キロになる。サイクリング・コースは見沼用水路沿いをゆく。すすんでゆくと見沼弁財天があった。素朴な弁天様だ。

 

 

道端にはたんぽぽが咲いている。

 

 

緑のラインがひかれた自転車専用コースをすすむ。

 

 

上尾市瓦葺で丁字路にぶつかった。

 

 

ここに案内板があったがよく見なかった。上の地図の緑のコースを左から右へときていて、この丁字路は右にゆくのである。しかしサイクリング・コースの看板が見えたので左にいってしまった。こちらは支線なのだ。

 

 

左にゆくと橋があり、サイクリング・コースはなくなってしまい、先にすすむと栄東高校の前にでた。

 

 

ここを行ったり来たりし、橋をこえたりもどったりしていると、字の消えかかったサイクリング・コースの終点の案内をみつけた。ここにいたってようやく道をまちがえたことに気づいてもどるも、本来のルートがみつからない。そこで自分の知っている県道と国道をつかってゴールの利根大堰にむかうことにした。

 

 

交通量の多い国道17号線を北上する。若いころはかならず車道を走ったもののだが、今は怖くてできない。歩道をゆく。鴻巣市から県道に折れて利根大堰に向かうが、この間ずっと向い風でかなり消耗してしまった。どこかで休みたい、食事もしたいと考えているとラーメンショップがあったので、ここに入ることにする。

 

 

ネギラーメンの中800円と、

 

 

餃子200円を注文した。ラーメンはラーメンショップにしては味がうすく、脂もすくない、パンチのない味。店主は知人の客とおしゃべりをしているが、それがご近所さんのDVの話なので、おもわず聞いてしまった。ご主人が奥さんを怒鳴りつけているとのこと。よく我慢しているなと。ラーメンよりもこちらにほうがパンチがきいていた。

 

 

食事をおえて走りだす。ルートは武蔵水路の横をゆく。

 

 

道を間違えたせいで15キロほど余計に走ってしまった。まだ折り返しの前だが、左ひざが痛くなってきてしまう。こんなことははじめてのことだが年のせいだね。

 

 

ゴールまで2キロほどの地点で緑のヘルシーロードに復帰した。

 

 

食事をしたいとおもっていた川魚料理の大漁苑の横を通過する。なまずの天ぷら定食があるそうなのでためしたかったのだ。それは次回にとっておくことにする。

 

 

利根川にぶつかり、ゴールの利根大堰に到着した。この堰から取水された水は東京都の上水道の40パーセント、埼玉県の70パーセントをまかなっているとのこと。利根川は埼玉県と群馬県の県境でもある。

 

 

こちらは取水した水を分水する水路。ここの水を毎日のように飲んでいるわけである。

 

 

利根大堰から折り返して、緑のヘルシーロードをもどってゆく。行きはずっと向かい風だったので、帰りは追い風だ。それはよいのだが左ひざがいたむし、疲れてしまってペダルが連続でふめない。5・6回クランクをまわしては足をとめて、惰性で自転車をはしらせてゆく。途中で秩父鉄道の電車がはしっていたので足をとめた。

 

 

ツバメがとんでいる。クロアゲハも群れるようにたくさんいた。クロアゲハはなかなか見られないよね。帰りは左ひざがいたむし、疲弊してしまってヘロヘロになってすすむ。コースわきに誰かが設置してくれたベンチでやすんだ。

 

 

この日の走行距離は100キロで予定よりも20キロもおおかった。メロメロでゴールしたが、1日で100キロは走れることがわかったのが収穫である。幸いにも左ひざは翌日にはよくなった。


2023つくばりんりんロード・サイクリング

2023年08月24日 18時57分09秒 | サイクリング


8月11日。金曜日。茨城県の筑波山麓をはしる、つくばりんりんロードにサイクリングにでかけた。車に自転車をつんでゆき、北関東道の桜川筑西ICちかくの桜川ロードパークからスタートする。当日の最高気温は32℃の予想だった。



桜川ロードパークから3キロほどはなれたJR岩瀬駅にゆく。ここがつくばりんりんロードの基点だ。



つくばりんりんロードは、廃線になった関東鉄道筑波線の軌道跡を利用したサイクリングコースだ。筑波線は昭和62年に廃線になったとのこと。平坦路なのでロードレーサー向きのコースなのだが、前回ロードにはのっているから、今回はランドナーを相棒とした。



岩瀬駅前に案内板がたっている。



今回は土浦駅までの40キロを往復する計画だ。



岩瀬駅を出発してすぐにコースをはずれてしまった。JR水戸線の線路をわたって北にむかうようなのだが、桜川ロードパーク方向にいってしまい、軌道修正した。サイクリングコースは自転車専用の走りやすい道である。走りだしたころは、太陽は雲にかくれていて暑くはなかった。



桜並木をゆく。650B×35Bのタイヤの柔らかい感触が心地よい。そして使い込んだ革サドルがしっくりとくるのだった。スキーでじん帯をいためた右ひざが、前回のサイクリングでは違和感があった。しかし今回は気にならなかった。



やがて太陽の強烈な熱波がふりそそいできた。顔をさらして走ると真っ黒にやけてしまうので、バンダナをかぶったが、かなりあやしい人になってしまった。



筑波山につらなる山が前方に見えているが、りんりんロードは山をよけてすすむ。ルートは平らかで走りやすい。岩瀬・土浦間の高低差は60メートルだそうで、ほとんどアップダウンはかんじなかった。20キロ走行して筑波休憩所でやすむ。旧筑波線のホームがのこっていて、そこが休憩所になっていた。ここまでほどよく汗をかいて走り、爽快な気分である。



今年はじめて聞くツクツクホウシが鳴いている。都内ではミンミンゼミやアブラゼミの声ばかりを聞くようになった。これも温暖化の影響なのだろうか。33キロ地点の藤沢休憩所でも一休みする。30キロをすぎてやや足にきだしていた。



藤沢休憩所の水道でたっぷりと給水する。水場とトイレが整備されているのがとともありがたかった。



つくば霞ヶ浦りんりんロードの案内図。りんりんロードは霞ヶ浦一周コースにもつながっている。カスイチは140キロの距離である。霞ヶ浦は過去に一周している『2012年霞ヶ浦一周サイクリング』からもういかないとおもう。



土浦まで5キロの地点までくるとレンコン畑がひろがっていた。



レンコンの花と葉は蓮にそっくりだ。農家の方がレンコンを収穫していたからそれとわかったが、見分けがつかないほどにている。帰ってからしらべてみると、蓮もレンコンもおなじ種類だということがわかった。レンコンは漢字で書くと蓮根だ。花を鑑賞するか、根を食用にするかのちがいだけで、おなじ蓮なのだそうだ。



蓮根の花弁。つまり蓮の花。



60をこえても知らないことはあるものである。



土浦駅が近くなってきて、らーめんの山岡屋やすき家のある大通りにでた。大きな中華料理店も見えている。ここの路面に駅は右とペイントされていたのだ。それを見おとして直進し、霞ヶ浦一周コースにすすんでしまい、これは間違えたときづいて駅にむかうと、霞ヶ浦側の土浦駅についた。エレベーターで2階通路にのぼり、自転車をおして駅の反対側にゆく。通路には輪行してきた自転車をくみたてるスペースが用意されていた。ここはナショナル・サイクリング・ルートだけに自転車にフレンドリーだ。



エレベーターで駅の1階におりると大きなサイクル・ショップがある。



駅ナカにこんな店があるなんて、すごい。



土浦駅は大きな駅だ。自転車の左奥にサイクル・ショップがある。



昼食は帰路の真壁でたべたかった。昭和レトロな店があるからだ。しかし土浦で11時50分となり、真壁までは30キロもあるから、さきほど見かけた大きな中華料理店にゆくことにする。地元の店『中華料理ゆきむら』だ。



ゆきむらにはお得なランチ・セットもあったが、豚肉薄切りラーメンをチョイスした。それに半チャーハンセットだ。



豚肉とピーマン、タケノコのあんかけのかかったラーメン。麺は大盛り。細めんでゴマ油がきいていておいしかった。またくることがあったらこれをたのみたい。



チャーハンは平凡。つぎは餃子にしようかな。料金は1485円。



食事をすると体がだるくなる。力が入らないのでゆっくりと走行をした。これを私はノロノロ走行と名づけているが、体力をつかわないようにペダルをふんで、距離をかせぐ作戦なのである。前方には山塊がみえているが、コースは山の左をまわりこんでゆく。



往路では通過した小田城跡にたちよった。



小田城は鎌倉時代から戦国時代にあった小田氏の居城だそうだ。



近くに小田城歴史ひろば案内所もあったが、こちらには入らなかった。入場は無料だそうだ。



力がよみがえったり、しぼんだりしてノロノロ走行をつづけてゆく。



田んぼにサギがいたので写真をとった。白サギとグレーのサギがいた。青サギだろうか。



筑波山をバックに写真をとる。



フォトスポットと案内がでていた。



かなり疲れて真壁休憩所に到着した。真壁には古い町並みがあるとのこと。500メートルと看板がでている。体力を消耗してしまっているのでかなりまよったが、古い建物を見にゆくことにした。



500メートルいってみると古い建物が2・3件あるだけだった。



これならわざわざゆくほどでもなかった。



ラストの10キロをきざんでゆく。案内看板を見ながらのこりの距離をなんとかこなす。



そして桜川ロードパークにもどってきた。



アプリによると走行距離は90、6キロ。かかった時間は7時間17分。このコースは走りやすいのでとても気にいった。定期的にかよいたいとおもう。桜の季節はとてもいいだろう。

2023荒川サイクリング

2023年08月13日 16時41分30秒 | サイクリング


7月30日の日曜日。最高気温が37℃になる予想だがサイクリングにゆくことにした。公私ともに多忙なので、ゆけるときにでかけないと、やりたいことができないのである。むかったのは埼玉県の荒川沿いにのびる荒川自転車道、さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道だ。



ほとんど平地をゆくのでこの日の相棒はロードレーサー(ロードバイク)である。出だしはスキーでいためた右ひざに違和感があったが、10キロもはしるとなじんでくれた。



サイクリングは1年ぶりだが思っていたよりもはしれる。荒川の土手の上をゆく。気温は朝のうちは30℃ほどだった。



直射日光が強烈だと予想されたので上着は長袖にした。そうしないと腕が火ぶくれのようになってしまうからだ。それに半ズボンにしたが、長ズボンにするのが正解だった。



日差しが強烈になってきたが、パラソルで日をよけながらヘラブナ釣りをしている人たちがいる。油照りだが、エアコンのきいた室内でテレビを見ているよりも健康的だろう。



川島町のホンダ・エアポートの先にゆくと、道路の名前が川島こども動物自然公園自転車道になった。道なりにすすんだのだが、看板の地図をみると荒川自転車道からそれたようだ。



それでも土手の上の道をすすみつづけると、



ジャリ道になってしまった。チューブラー・タイヤで未舗装路はきついから、土手の下の舗装路をゆくことにする。やがて県道にぶつかったので左にゆくと、国道254号線の古凍交差点にでた。ここで引き返そうとすると、吉見百穴まで3、3キロとある。吉見百穴は何年もいっていないので、そこまでいってみることにした。



吉見百穴はいつも間にかフェンスにかこまれていて、300円の入場料をとるようになっていた。前に来たときはこんなではなかった。20年以上前のことだが。当然中には入らずにひきかえす。



水が切れたのでコンビニで補給する。ここで十二分に給水した。



国道254号線を川越にゆくとステーキ宮がある。株主優待をつかってそこで食事をとろうとおもったが、持っているはずの株主カードがない。じつは帰宅してよく見ると財布の中にあったのだ。暑さで頭がやられていたようである。そこで、らあめん花月嵐にはいった。らあめんの大盛りと餃子、ライスのセットをチョイスする。餃子はジューシーで、白いごはんの上でバウンドさせて飯をかきこむと、うまい。



嵐げんこつらあめんの大盛り。980円。それにぎょうざライスのセットが330円だ。



つかれた体に嵐げんこくらあめんの背油スープがしみる。パンチのきいたスープに細めんの大盛りだ。餃子ライスがいらないほどのボリュームだった。でも次回もセットにするとおもう。



食事をとると体がだるくなってしまった。体力ものこっていないことにきづく。日差しも強いので、日影で休みながらすすむ。最後はゆるやかな坂も上りきれないほどにつかれてしまった。この日、吉見の北にある鳩山町で39℃が観測された。80キロほど走行。半ズボンで走ったので、右足のふくらはぎだけ火ぶくれのように日焼けしてしまった。しみるから風呂にはいれなかった。

2022那須サイクリング

2022年10月13日 18時29分24秒 | サイクリング


10月1日。土曜日。自転車を車にのせて出発し、栃木県喜連川の道の駅で泊まった。翌日に那須でサイクリングをする予定で、夜はセブンイレブンのサンドイッチと焼き鳥で一杯である。2022年シーズン20日目の車中泊。この道の駅には温泉が併設されていて人気があるのだが休業中だった。



10月2日。日曜日。道の駅きつれがわの朝。天候は快晴。朝方は冷え込んだ。毛布を2枚もかけたほどである。



道の駅は荒川沿いにある。



鮎料理がいろいろとあるが、朝がはやくて店はあいていなかった。



国道294号線を北上し、道の駅東山道伊王野にやってきた。道の駅ではフリーマーケットの開店準備がされていた。



道の駅の裏に第2駐車場があり、空いているここに車をおいて、8時に自転車ではしりだした。今日は那須の丘陵地をゆくので、ギヤ比のひくいランドナーが相棒である。40年物のランドナーの詳細は『ランドナーの紹介』をどうぞ。



ランドナーの太いタイヤからつたわる、やわらかい感触がここちよい。朝の空気のなかを自転車でゆくのもきもちがよかった。県道60号線から県道34号線とつないで黒磯にむかう。



道は上りだ。ギヤを前後ともローにおとして坂をのぼる。途中にはそば畑がひろがっていた。



黒磯駅にむかうとガラス張りのモダンな建物がある。これが駅かとおもったら図書館だ。黒磯は文化度がたかいね。



こちらが黒磯駅。電車の行き先として黒磯はよくきくが、やってきたのははじめてである。



黒磯駅のちかくには古い建物がのこっている。こちらは洋風の風格のある建築物だ。



和風建築もある。大きな商家だろうか。



塀のつづくおおきなお屋敷もあった。古い町だからいろいろと由緒のあるものがあるのだろう。



黒磯の駅から県道369号線で板室方向にすすむ。道はずっとのぼりだ。フロントはトップギヤ、リヤはローギヤでペダルをふむ。黒磯駅から8キロで道の駅明治の森・黒磯があったのでたちよった。ここには明治の政治家の別荘がのこされていた。



県道369号線の戸田の交差点から先は、斜度がたかまるため右におれるつもりだった。しかし当日は国体のトライアスロン競技が開催されていて、右方向は通行止めになっており、直進させられた。交通整理の警備員は、大きくぐるりと迂回してください、と簡単に言うが、自転車はたいへんなのである。しかも迂回路の案内はでているのかとたずねると、わかりません、だって。坂道をジリジリとのぼり、案内の係員はいないので、勘で右にまがると別荘地にはいった。出発からここまでずっと上りだ。別荘地をゆくと道は平坦になったがジャリ道になった。



通行止めがあったりして別荘地をジグザクにすすむ。



案内人がいたが要領をえず、すすむとトライアスロン競技のコースにでてしまった。しかしそこはコースの端ですぐにコース外にでることができた。



西岩崎ポケットパークで休憩する。水分補給をしていると、地元の71才のクロスバイクの方がやってきて話しかけられた。話好きの方で那須や板室、サイクリングコースなどの会話をする。自転車と山登り、それにゴルフが趣味なのだそうだ。私は自転車とバイク・ツーリングとこたえておいた。そして車で伊王野まできて、そこから走ってきたとつたえると、それは優雅だねと言われたが、車中泊をしているとはつたえなかった。



クロスバイク氏がでたあとで西岩崎ポケットパークを出発し、池田の交差点にむかう。レストランがあるが昼をすぎていてどこも混んでいるし、ソロでサイクリングの私は場違いではいりづらい。



県道17号線からりんどうラインにはいって伊王野にむかう。伊王野まで18キロとでている。



りんどうラインに食堂はない。



ルートはほぼ下りだが、たまに上りがあると、ヘロヘロになってしまう。



大した坂でもないのに上りきれず、年をとったなと痛感させられた。



田んぼは稲刈りの直前だった。



14時に車までもどってきた。走った距離は52キロだ。



道の駅には蕎麦屋がある。ここは亡くなったDR650クラブのいけぴさんの推薦のお店だから、利用したいとおもっていたが、まだ行列しているからあきらめた。



道の駅で梨と栗おこわをかってきた。



今年はじめての栗である。



栗おこわとカップ麺の昼食とあいなった。走り終わって疲労困憊。ヘロヘロである。

ロードレーサーの紹介

2022年09月15日 17時34分56秒 | サイクリング


長年のってきたロードレーサーの紹介をしたいとおもう。この自転車を組んだのは1986年か1987年だ。バブルの最中で、ゴルフの会員権を買うのか、ロードレーサーを手に入れるかでまよい、自転車をとったのだ。当時安いゴルフ場の会員権は50万から80万していた。会員権を買えば儲かったかもしれないが(損をしたかもしれない)、ゴルフはやめてしまったから正解である。



フレームはトーエイのスタンダード・ロードである。オーダーではなく、シートパイプのサイズと色の指定だけができたもので、サイズは520mだ。シートポストとステムのつきだしを長くしたいので、小さ目のサイズにした。色は華やかなブルーをたのんだのだが、窓口のショップのオヤジさんのミスで落ち着いた青になった。1988年8月号のニューサイクリングの広告をみてみると価格は76500円だ。このころは消費税はない。東叡社の住所も当時は埼玉県である。念のために書くとフレームはクロモリ鋼をつかった鉄フレームである。この当時にカーボンのフレームはない。アルミはあったが非常に高価だった。クロモリのフレームが趣味やレース用の自転車につかわれるのが一般的な時代だったのである。



当時社会人だったが、株などに資金をまわしていて、一気に組み上げることはできなかった。部品は順次かいそろえてゆき、組みあがるまでに半年はかかったと記憶する。



まずはフレーム。つぎにハンドルとステムを手にいれた。ハンドルはチネリのジロ・デ・イタリア。ステムもチネリでレコードである。ステムは前述のようにつきだし量を考慮して、サイズは80mmほどだったとおもう。ハンドルとステムはこれと決めていた。



つづいてホイールを買った。フレームだけでは押し引きができずに不便だからである。リムは当時の人気の品、スーパーチャンピオンのアルカンシェール。スポークはステンレスの段つき。タイヤは当時のレーサーの必需品、チューブラー・タイヤである。



そしてハブはケチった。カンパなどにしたいところだが、金の重さがわかるサラリーマンになっていた私は、目立たないハブはサンツアーの廉価品にしたのだ。この組み合わせにするとショップで依頼すると、若いアルバイトは、こんな部品をつかうの? フレームがもったいないよ、と言ったが、オヤジさんは、それでいいんだよ、と世間知らず君をさとしてくれた。


 
つぎに手に入れたのは自転車の顔といわれるチェーンホイールだ。当時自転車趣味の部品としてはカンパニョロが絶大な人気があった。カンパのコンポーネントでフルセットにする、オール・カンパということばがあったほどだ。しかし私はレースでつかうのではなく、サイクリングに使用するから、より凝った部品構成にしたくてストロングライト49Dをえらんだ。50×40である。アウターとインナーのバランスをみてこの歯数にした。このときはリヤのフリーホイールをワイド・レシオにするつもりだったのだが、そうすることはできなくなってしまい、いまとなっては48×38にしておけばよかったとかんじている。



フロント・ディレイラーはカンパ・レコードである。変速機はカンパにしたかった。レバーもカンパ・レコードだ。



フリー・ホイールはサンツアー・ウィナーである。当初は14から24までの6段としたが、リヤの変速機にカンパ・ラリーを組み合わせると、キャパシティーがオーバーして、フロント・ディレイラーがうまく変速してくれなかった。前後の変速機のキャパシティーをしらべてえらんだのにである。そこでフリー・ホイールを13から21までのレーサー仕様にかえ、リヤ・ディレイラーもカンパ・ラリーからカンパ・レコードに変更した。14から24のフリー・ホイールとカンパ・ラリーは、オヤジさんが買った値段でひきとってくれたのでたすかった。



シート・ポストはシマノ・デュラエース。カンパにしたかったがショップに在庫がなかった。オヤジさんがだしてくれた品のなかからこれをえらんだのだ。

サドルはユニカにしたかった。ロードのサドルはユニカのバックスキンといつの間にか頭にすりこまれていたのだ。オヤジさんは、あなたの頭の中は10年前のままになっている、といったが、倉庫のなかをさがして、ひとつだけのこっていたユニカのサドルをみつけてくれた。デッドストックだ。ユニカなのだが製品名はわからない。プリントされた文字が当時から判読できなかったからである。このロードは私の10代から20代前半までのあこがれを形にした。したがって当時としても時代おくれの部品で組んだのである。



ブレーキはカンパ・レコード。カンパニュロの50周年を記念するモデルのようだ。



ブレーキ・レバーもカンパ・レコードでブレーキとセットだ。これもユニカのように、長いこと店頭に展示されていたパーツだった。何年も買い手がつかなかったのだ。これがほしいとオヤジさんにいうと、あなたこれを買うの! とおどろいて、そしてよろこんでくれた。レバーのパッドは生ゴム色のものがついていたが、劣化してしまい、白いものにかえている。元のカラーにしたかったが、手にはいったのは白色だけだったのだ。



ペダルはランドナーとレオタード・プラットフォームを共用していたが、後になってヤフオクでみつけた三ヶ島のユニーク・ロードにした。三ヶ島の軽合のトゥクリップに皮のストラップだ。



40年前の1980年代はランドナーの全盛期だった。自転車が100台あつまれば95台がランドナーだった時代だ。MTBはまだ存在していない。そして金のない学生は1台しか自転車を手に入れられなくて、2台目のロード・レーサーがほしいが、買えるのはこごく一部の人間か社会人だったのである。



当時自転車雑誌はサイクルスポーツとニューサイクリングの2誌があった。そのなかでもニューサイクリングの発信力と影響力は絶大だった。ニューサイクリングに書かれていることはすべてただしいとされたのである。そのニューサイクリングの影響を私もうけていて、ロードレーサーのアッセンブリーに反映されている。ランドナーもだ。



1979年5月のニューサイクリング臨時増刊号。スペシャルメイドサイクル総覧のトーエイの広告である。当時ニューサイクリングは趣味性のたかいロードレーサーをクルスルートとよんでいた。それにならった広告だ。レーサーをクルスルートとしている。



フランスのルネルセというフルオーダー・メーカーの自転車がもてはやされていた。そこの女主人の愛車はクルスルートと紹介されている。女性は元全仏チャンピオンで、現役当時にのっていたがこのレーサーだ。



当時コレクター兼マニアとしてよくニューサイクリングに登場されていた、大阪の花田尊文氏のクルスルート。ストロングライトにレオタード・プラットフォーム。

オールカンパや国産のデュラエース、シュパーブなどのレース用部品でかためた勝つためののレーサーではなく、趣味性のかたい部品で装飾したのがクルスルートだろうか。私もロードレーサーではなく、クルスルートをイメージしてこの自転車をくんだのだ。

2022渡良瀬サイクリング DR650RSをみつけた

2022年08月31日 17時50分11秒 | サイクリング


8月7日。日曜日。栃木県にある渡良瀬遊水池を一周するサイクリングにでかけた。自宅から自転車を車につんでゆき、渡良瀬遊水池の右岸、コウノトリの人工巣がみえる堤防の駐車場からスタートする。



時計回りで遊水地をまわることにした。



堤防をゆけば遊水池を一周できるものとおもっていたが、道はとぎれていた。今回の相棒はロード・レーサーである。今はロードバイクとよばれるが、この自転車を組んだ35年前は、ロード・レーサー、もしくは、クルスルート(趣味性のたかい快走車)、とされるのが一般的だったのでそのように記述している。



遊水池沿いにゆけないので、国道4号線、県道261号線とつないで茨城県古河市の市街地をゆく。



この付近は栃木県、茨城県、群馬県、埼玉県の県境地帯で、めまぐるしく県をまたぐのである。



長谷観音の看板にひかれて見にゆくと、古い日本家屋が保存されていた。



古河藩の家老で蘭学者でもあった鷹見泉石という人物の記念館だそうだ。



別棟の建物は奥原晴湖という女流画家の画室だった。この人物も古河の出身とのこと。



長谷観音にもたちよった。



観音様はご開帳されていなかった。



古河をでると埼玉県にはいった。国道の横の遊水池の堤防をはしれるようになり、遊水池がよくみえる。



北上してゆくと、道の駅きたかわべの手前で、遊水池の中を道がはしっていた。



たくさんのランナーや自転車がゆきかっている。遊水池の中心にある島までいってひきかえす。ここは栃木県だ。



遊水池の先に古河の町と高層マンションがみえていた。



堤防沿いを北上し、藤岡から県道11号線にはいる。



遊水池をはなれて国道50号線の先、静和までゆく予定だ。



県道をはしっているとバイク・ショップがあった。オフロード・バイクがたくさんある。通りすぎようとしたが、見慣れたフォルムにきづいてもどると、私が長年乗り続けているバイクと同型の、スズキDR650RSがあった。



ラリー仕様に改造されているが、もう何年もうごいていないようだ。



ノーマルのオイル・クーラーは大型のアルミ製にかえられている。ワンオフのパーツだろうか。



シートはシングル・シートにされている。エジプト・エアーとファラオ・ラリーのステッカーがはられているから、ファラオ・ラリーを走ったようだ。



ハンドルの上にはラリー用のマップホルダーが装備されていて、マフラーもかえられていた。



シートカウルの中は予備のガソリンのタンクだろうか。



店の方と話がしたかったが、昼休みなのかだれもいなかった。DR650RSはオーナーズ・クラブでしか見たことはなかったので、なんだか縁をかんじてしまった。



昼食に予定していたラーメンショップは休みだった。ラーメンショップは利用したことがないので、たべてみたかったのだ。残念。



しかしすぐ先に昭和レトロな食堂があったのでここに入ることにした。食事処なかむらだ。



たのんだのは天丼とそばのセット950円。



天丼の天ぷらは浅草の老舗のように真っ黒だ。見た目のとおりの濃い味つけ。



そばは手打ちで細切り、且つ繊細。味も喉越しもよく、量もたっぷりだ。なかむらは地元の人の利用する人気店だった。



食事をしておいてよかった。この先に店はない。県道252号線で南下する。渡良瀬遊水池をおおきく一周しているのだ。



水田と畑作地をゆく。



県道50号線で間々田方向にすすみ、野木方面に転進する。



車までもどってきた。



走行距離は47、8キロ。かかった時間は4時間4分だった。自転車ではしるのは気持ちいい!

ランドナー(自転車)の紹介

2022年03月14日 19時56分01秒 | サイクリング


長年のってきたランドナーの紹介をしたい。この自転車が組みあがったのは昭和54年(1979年)だったと記憶する。フレームはトーエイのスタンダード・フレームで、いわゆる吊るしの車体とよばれるものだ。吊るしのスーツのような既製品で、ショップの天井に吊るされて売られていたものである。サイズは560ミリ。ラグ・レスのランドナー・フレームで、色はシクラメンとなっていたが、ピンクをはなやかにしたようなカラーで、この色が気に入って手にいれた。派手な色のフレームは好みがわかれるので、ながく売れ残っていた。しかし私が買ったあとで、ねらっていたという人に声をかけられたりしたものだ。



自転車の顔ともよばれるチェーン・ホイールはTAのシクロ・ツーリスト。ギヤ比は48×30。



ほんとうはトリプル・ギヤにしたかったが、TAは高価だったのでダブルで妥協したのである。その分ワイド・レシオにした。



フリー・ホイールはサンツアー・プロコンペ。14・17・19・21・24の当時の典型的なランドナーの5段ギヤである。変速機はユーレーのアルビー・セット。当時としても古臭いモデルだった。性能もよくない。以前はシマノのクレーンGSを使用していたから、国産のディレイラーが高性能なのはわかっていた。しかし当時の雑誌、ニューサイクリングで紹介される趣味性のたかい自転車には、外国製の縦型の変速機がつかわれていたから、横型の国産品はつかう気になれず、このディレイラーにしたのである。



アルビーは鉄製の重い廉価版だ。できれば軽量で高級品のユーレー・ジュビリーにしたかったが、買えるだけの金がなくて、一時的なつもりでアルビーにしたのがそのままになっている。当初からトップ・ギヤにはいりづらい変速機だった。リターン・スプリングが弱いのだとおもう。現在ではトップには切り替わらなくなっているので、セカンド・ギヤで走っている状態である。それでも長くつかっているからこのディレイラーに愛着がわいているのだ。



ペダルはレオタード・プラット・フォーム。



特徴的なこの形が気にいって使用している。これも鉄製でとても頑丈だ。いままでトラブル知らずである。



ハンドルは日東ランドナーでステムはグランコンペ。ブレーキはマファック・クリテリウム。当時のランドナーはカンティ・ブレーキにするのが絶対だった。メーカーはマファックしかありえないほど人気があったのだ。



ガードはレフォールをつけていたが、傷んだので本所にかえた。キャリアはノートンかビバのものだとおもう。ふだんはフロントキャリアだけをつけているが、サイド・バックを装備するときには前後にキャンピング・キャリアをとりつける。



サドルはフジタ・プロフェッショナル。こちらもブルックスやイデアルなどの舶来品がほしかったが、手がとどかなかった。このサドルの前もフジタの軽合ベースをつかっていたから、フジタには縁があるようだ。



ハブはシマノ・デュラエースのラージ・ハブである。現在のデュラエースにラージ・ハブはないのではなかろうか。リムはマビックの650B。この650Bというふといタイヤをつけることがあこがれだったのだ。マウンテン・バイクがなかった時代に、オフロードの峠をはしるのに、650×42Bといういちばん太いサイズのタイヤを装備するのが流行だった。当時は42Bのタイヤをつけていたが、現在はサイズをおとして35Bと細いものにしている。

この自転車の前は、ベニックスのランドナーのフレームに、ガード、フロント・キャリアがついたものに(当時は完成車ではなく、この状態でも売られていたのである)部品をくんでのっていた。そのフレームを事故でこわしてしまい、トーエイのフレームを買って、一部の部品をうつし、一部は買い足してこの形にしたのである。



この自転車で1981年に北海道をはしっている。はじめての渡道だった。



このランドナーを組んでから40年以上がたつ。近年は年に数回しかのらなくなっているが、なくてはならない相棒である。



何十年たってもたのしめる趣味があるのは、とてもありがたいことである。ランドナーは小旅行車を意味する。2・3日の旅につかう自転車ということだ。


ロードで郊外をサイクリング

2021年09月08日 16時54分01秒 | サイクリング


8月の35℃になると予報がでていた休日。こんな日はバイクに乗るのはきびしい。ただでさえ暑いのに、激熱になったエンジンの上にまたがって走るのは苦行でしかないから。



そこでロードに乗ることにした。郊外をめざすと稲がみのっている。サルスベリも満開だった。この自転車は組んでから30年弱たっている。当時はロードバイクと言う言葉はなく、ロードレーサーと呼ばれていた。



ロードで35キロ走ると足にきてしまった。そこで引き返したが、帰りはヘロヘロである。走行距離は58キロ。もっと自転車にも乗らなければ。

2020群馬・栃木サイクリング

2020年10月11日 09時47分12秒 | サイクリング


天気の悪かった9月のシルバーウィーク。最終日は晴れたので群馬・栃木の南部をサイクリングすることにした。



車で群馬県の『道の駅おおた』まで行って自転車で走りだす。群馬・栃木とも南部以外は山がちだ。つまり平坦なところだけをえらんでまわるつもりなのである。それで今日のお供は平地が得意なロードレーサーとなった。



道の駅おおた、の近くにある世良田の東照宮にゆく。地図でここに東照宮があるのを知って見てみたいと思ったのだ。



ここが徳川氏発祥の地だそうで、現在の東照宮の前の建物を、天海僧正が日光から移築したと説明があった。これは知らなかった。地図を見るとこの南に徳川町もある。



伊勢崎の市街地をぬけて華蔵寺公園にたちよる。大きなカブトムシとクワガタがいてたのしい。



ここは元々華蔵寺という大きなお寺のようだが、遊園地まである。



ジェット・コースターもあった。



北にある旧赤堀町ーー現在は伊勢崎市ーーにすすむ。赤城山が見える田園地帯である。何十年も前に仕事できたことがあったのだが、風景が一変していて、そこがどこなのかわからなくなっていた。



赤堀町から国道50号線をゆくが、この道は狭いので歩道をはしる。途中に庚申塚があった。



この日の最高気温は30℃ほど。日差しは少なく、汗はあまりかかなかった。それでも日焼け除けとマスク代わりにバンダナをまいて走ったが、怪しかったかもしれない。



岩宿駅で一休みする。大間々にゆこうかと思ったが、そちらはゆるやかに上っているのでやめた。



桐生の町に入ってゆく。明治館という古い建物がのこっていて資料館になっていた。



東武桐生駅をすぎてJR桐生駅についた。新しい駅舎だ。



桐生に来たのははじめてだ。古い街並みがのこっている地区があるとのことで見にいってみた。



古い建物は多くはない。



ポツン、ポツンとある感じである。



桐生の商店街。



群馬県桐生から栃木県足利に県道67号線でむかう。そろそろ昼食をとりたいと思っていると、栃木県にはいったところで大きな看板がみえてきた。手打ちらーめん、めん一、という店のものだ。駐車場に車がたくさんとまっているのでここに入ることにした。



しょう油ラーメンがおすすめなのかと思ったら、男性にはエビワンタンメンなどが人気とのこと。そこでエビワンタンメンの大盛り900円と餃子330円をえらぶと、餃子が先にやってきた。手作りのニラ野菜餃子だ。まずまずだが、ラーメンがおそくて餃子を食べおえてしまった、



しばし待ってエビワンタンメンの大盛りがやってきた。ビジュアルはとてもよい。これは美味しいだろうとおもって味わうと、アッサリの淡麗スープでとてもいい。



手打ちの麺はふわふわだ。ただあまりに淡い味つけなので、食べすすんでゆくと物足りなくなってくる。ワンタンも薄口のアッサリなのだ。しかし塩辛いよりはこっちのほうがいい。



日本最古の学校、足利学校にやってきた。



入場券には入学証とある。料金は420円だがJAFの割引で350円になった。



学校門をくぐって入学する。



足利学校は茅葺屋根の広壮な建物で、中に入って見学することができる。ここは貴重な漢籍がある文庫で、たくさんの文人や学者があつまっていたそうだ。



南庭園。



資料館。



足利は足利幕府をひらいた足利氏ゆかりの土地だ。足利氏の菩提寺である鑁阿寺(ばんなじ)が足利学校の近くにあるのでそこにゆく。



本堂。



山門。



大イチョウ。



多宝塔。



足利のつぎは館林にゆこうと考えていたが、疲れてしまった。そこで車にもどることにする。太田駅によってみた。



道の駅おおた、にもどってきた。1日走ってボトル1本の水分で足りてしまったから、夏は終わりだ。



当日のコースである。80キロほど走行した。