goo blog サービス終了のお知らせ 

放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

2020府中・国分寺サイクリング

2020年08月16日 11時35分16秒 | サイクリング


8月の三連休。長野県に林道ツーリングにゆきたいと思っていたが、新型コロナ・ウィルスの影響で、彼の地は排他的な雰囲気だ。遊びにいって嫌な思いはしたくないので、近場で楽しむことにした。長野だけでなく、山形や岡山、徳島は、知事が自粛警察の元をつくったような発言や対応をしているから、しばらく行きたくないし、ふるさと納税もしない。



当日は35℃になる予報だった。この日は都内の平地を走行するのでロードをお伴とする。目的地は府中の大国魂神社と国分寺にある武蔵国分寺跡である。いずれもいつかゆきたいと思っていた。



ロードのチェーン・ホイールはストロングライト49D。自転車の顔となるチェーン・ホイールは趣味性を最優先させてこれをえらんだ。ロードレーサーといっても競技をやるわけではないので、カンパニョーロは避けたのだ。オール・カンパもいいけど、そうでないほうが個性的ではないか。ペダルは三ヶ島ユニーク・ロード。



前後ディレイラーはカンパ・レコード・セット。ブレーキ・セットもカンパ・レコードだ。一方で目立たないハブはケチった。シマノの廉価版である。



小金井公園で休憩する。日が差す時間がすくなくて、薄曇りだから暑さはそれほどでもなかった。公園では小さな男の子が虫取り網を持って走りまわっていた。夏休みだね。



府中の大国魂神社に到着した。



自転車をおして参道をあるく。随神門までやってきた。左には戦艦多摩の慰霊碑と巨大な忠魂碑がある。こんなに大きな忠魂碑は見たことがないほどだ。



自転車をとめて隋神門の中にはいった。上は拝殿である。



お参りをすませて本殿の横から中雀門をふりかえる。



鐘楼かと思ったら鼓楼なのだそうだ。



隋神門と横にある大ケヤキ。



こちらは枝垂れ桜とイチョウだったか。



参道の脇には武蔵国府跡の碑があった。奈良時代、平安時代の国府である。武蔵国は現在の東京西部と埼玉県の南西部だ。



大国魂神社のケヤキの並木道は京王線の府中駅の先までのびていた。



府中街道で国分寺方向にむかい、武蔵国分寺跡についた。ここは案内がでていないのでわかりづらい。



草の広場がひろがっている。



基壇の跡と礎石があるだけである。



当時の本堂、金堂をしめす案内板。



史跡の石塔。国分寺は奈良時代に聖武天皇が国内を安定させるために諸国に建立した寺院である。



昼時となった。東八道路と小金井街道の交差点にラーメン屋があったので入ることにする。江川亭という店で順番待ちの人気店だった。



中華そば700円の大盛り100円の800円にする。背脂の浮いたスープが大汗をかいて運動した体にしみるも、味はふつう。



パリパリ餃子400円。ラーメンもそうだが餃子も平凡な味で、何故行列しているのかわからなかった。ほかにラーメン屋がないのかな。



東八道路をゆく。多磨霊園と府中の運転免許試験場を通過する。バイクの限定解除はここでしたのである。



左のペダルがに違和感があるのでしらべてみると、ゆるんでいた。整備不良だがこんなことははじめてだ。



ペダルをスパナで締め付けてまた走りだした。



三鷹、武蔵野市とぬけてゆく。公園があったので休憩する。ベンチにすわるとクラクラしたが、しばらく静かにしているとおさまった。たっぷりと給水する。



当日の最高気温は33℃。日差しはそれほどでもなかったが、真っ黒に日焼けしててしまった。

2020猪苗代湖一周サイクリング3

2020年07月20日 21時09分04秒 | サイクリング


会津若松の富士の湯をでて、スーパーで食材を買い、今夜の宿泊地の道の駅裏磐梯にむかう。距離は30キロで1時間でつくとナビは言う。



ナビが案内するのは、細い道路や旧街道、田んぼの中のすごい道だった。



桧原湖の近くにある、道の駅裏磐梯に19時に到着した。さっそく夕食をはじめる。



まずは馬刺しにビールである。にんにくのきいた味噌ダレでたべる赤身がうまい。



ランドナーの横で一杯やるのは格別である。



つづいてステーキ。今日は体を動かしたから肉祭りである。



ステーキを半分にカットして焼いてゆく。



美味しそうに焼けたが、これが硬いのなんの。筋が多くて噛み切れない。因みにカナダ産牛ロース588円で25%引きだった。



牛肉が硬すぎて顎がいたくなったので野菜でひと休みだ。



残りのステーキ。



細かくカットしないと食べられない。そういえば昨年の北海道トランポ林道ツーリングで、釧路のスーパーで買ったステーキもとてつもなく硬かった。



最後にバジル・ソーセージ。



これは柔らかくて絶妙なうまさだった。明日は午後から雨の予報なので、早い時間に桧原湖を一周しようと思う。



翌日は朝から雨だった。それも強い降りである。これでは自転車で走れないので、車で桧原湖をまわることにした。



昨夜は冷えた。寒くて目がさめほどである。常備してある毛布をかければあたたかく、安眠することができた。



道の駅を出発して桧原湖にでると、左折して時計回りに湖をまわることにした。すぐにトイレのある駐車場がある。自転車で走るなら、ここに車をとめておこうと思っていたパーキングだ。



パーキングの前には湖がひろがり、釣人の船がたくさんでていた。



湖の見えるポイントがあると車をとめてゆく。



雨降りだが景色はすばらしい。



船はバス・ボートが多いようだ。何十年も前にスキーに来たときは、氷った湖の上でワカサギ釣りをしている人がたくさんいた。冬は今もそうなのだろうか。



道は狭い。



湖の東側はバス・ボートをのせたトレーラーをひく車がたくさんいて、ここがバス釣りのメッカなのだと知った。



白河にあるラーメン屋のとら食堂にゆくことにする。昨年利用しようとしたが、あまりにも混雑していたので断念した店だ。今日は悪天候なので空いているだろうと考えたのである。途中にある道の駅天栄で地物の野菜を買った。雨はひどい降りだ。桧原湖は14℃だったがここは19℃だった。



10時半にとら食堂についた。営業は11時からである。



入口に名前を書くようになっているので、記入して車で待つことにする。順番は16番目だから、狙い通り雨の日は空いているなと思った。



10時50分に店の入口に行くともう客をいれている。順番をとばされたのではないかと思ったが、新型コロナ・ウィルス対策で、満席にしない運営なのでまだだった。



11時35分に席に案内された。小上りの4人掛けのテーブル席にひとりである。頼んだのはワンタンメン970円の大盛り220円の1190円だ。

8分でワンタンメンの大盛りがやってきた。丼が大きい。ラーメンはオーソドックスな外観だ。スープを飲んでみると、しょっぱい。しょう油が前面にでている味つけである。ただたくさんの人が集まるのがわかるラーメンだった。



手打ち麺はやわらかい。チャーシューは丸いものとメンマのように見える細長いものがあり、部位がちがっている凝ったものだった。メンマはおいしい。店の運営もそうだが、真面目なラーメン、誠実な料理だ。食材もよいものを使っているのだろう。一方でしょっぱいのは田舎の味つけで、洗練されてはいなかった。



このラーメン、30年前はとても美味しかったと思う。でも今となっては首都圏の人気店のほうが上だ。わざわざここを目指してゆくほどでもないと思う。近くにあって、待たずにすむならたまに利用する感じである。



しょう油の角がたっているスープは、刻みタマネギをいれるとマイルドになる。



これを昔からやっていたのなら、とてつもなく斬新なアイデアだったと思う。☆5点満点平均3点で3、5点。

食後はノンビリと帰宅した。

2020猪苗代湖一周サイクリング2

2020年07月15日 18時42分49秒 | サイクリング


峠をくだって湖畔にでた。自転車のブレーキはきかないから下りは怖い。若いときはなんとも思わずに飛ばしたものだが、今はできなくなってしまった。



猪苗代湖の水がとてもきれいだ。



水際の道をゆく。



やがて秋山浜のキャンプ場にでた。野営は自粛してくださいと貼り紙がしてあるがーー緊急事態宣言は解除されて他県への移動も制限されていないーーキャンプをしている人たちがちらほらといた。



キャンプ場の中を通過してゆく。



次は舟津浜だがここに最後の上りが待っていた。たしかに登りはみっつあると知っていたが、難所の金山峠を越えたので、坂道はもう終わった気持ちになっていた。三つ目の山は距離は短かったが、足にきているのできつかった。

舟津の太田屋菓子店で、猪苗代湖一周のステッカーがもらえると聞き込んでいた。そこでどらやきと飲み物を買ったがステッカーはもらえなかい。情報が古かったのだろうか。ここで今日はじめてサイクリストに会った。ロードバイクの方だった。



昼時をすぎているので舟津で食事がしたいと考えていた。しかし食堂がないので、こむぎ、というパン屋にゆくことにする。ここはNHK・BSのこころ旅でもとりあげられた店だそうだ。こむぎでもステッカーがもらえると聞いていた。



こむぎでパンを買い、猪苗代湖一周のステッカーをゲットした。小さいものでステッカーと言うよりもシールである。こむぎは気持ちのよい、若いご夫婦がやっているお店だった。



スタートした上戸浜にもどってきた。アプリによると走行距離は57、9キロ。タイムは4時間44分4秒である。



こむぎのパンで昼食にする。ピザパンふたつにくるみパンがひとつだ。



こむぎのパンはおいしい。大田屋菓子店のどらやきは後日たべたが、小倉バターの変り種だった。



パンだけでは足りないのでカップめんも追加した。サイクリングはお腹が減るのである。



車内のようす。車中泊のときは自転車をたて、走行中はフロアに寝かせている。ここでクロス・バイクのサイクリストが通過していった。この日に見かけた自転車乗りはふたりだけだった。



明日は桧原湖を一周するつもりだ。桧原湖は高低差が130メートルと平坦で、距離も30キロと猪苗代湖の半分である。今日はどこかに車をとめて、自転車で会津若松の街を散策しようと思っていたが、まず高校生のときに友人をむかえにいった、猪苗代駅にいってみることにする。駅は昔日のイメージのままだった。



自転車で会津若松を散歩しようと思っていたが、『車中泊まとめ』を見ると、慧日寺の跡にある資料館で名水が汲めるとあるので、ここにゆくことにする。資料館について庭園を歩くと、観音堂があったのでおまいりをした。ご本尊は馬頭観音である。



慧日寺跡の庭園。



資料館の水は、山の上にある磐梯西山麓湧水群から、名水百選の清水をひいているのだそうだ。そこに車で行こうとしたが、途中から徒歩になるので引き返し、資料館で水を汲ませていただいた。



前述の車中泊専門サイトの『車中泊まとめ』を見ると、会津若松駅近くに450円ではいれる温泉があるとのことで、ここに車でゆくことにした。日帰り温泉・富士の湯である。ここは450円とは思えない源泉掛け流しの温泉で、ゆっくりとくつろぐことができた。


2020猪苗代湖一周サイクリング1

2020年07月12日 10時40分55秒 | サイクリング


数年前から走ってみたいと思っていた、福島県の猪苗代湖一周サイクリングにゆくことにした。



6月の金曜日に車に自転車をつんで出発した。栃木県矢板市の道の駅で前泊しようと思っていたが通り過ぎてしまった。どこかに適当な車中泊ポイントがあるだろうと思ったが、なくて黒磯をすぎてしまう。車中泊専門のサイト『車中泊まとめ』を見て、一般道から東北道の那須高原SAに入ることのできる駐車場をみつけ、そこに泊まることにした。

SAに隣接する駐車場についたのは22時30分だった。セブンイレブンのサンドイッチとメンマで一杯である。



那須高原SAにアクセスできる駐車場の朝。



こんなところには誰もこないだろうと思っていたら、昨夜の23時すぎに神奈川ナンバーの親子連れがやってきた。駐車場から徒歩でSAに入ることができるここは、知る人ぞ知る穴場である。



SAでトイレをかりて7時に出発した。



白河から国道294号線で猪苗代湖にでて、上戸浜の駐車場に車をとめた。8時だった。



今日の相棒はランドナーである。猪苗代湖一周には3ヵ所の峠があるというので、ギヤ比の低いランドナーをえらんだのだ。



ギヤはフロントが48×30。チェーン・ホイールはTAシクロ・ツーリスト。ペダルはレオタード・プラットフォーム。



リヤのフリー・ホイールは14から24までとなっている。チェンジ・メカはユーレー・アルビーのセットだが、リヤ・ディレイラーの動きがよくない。元々トップに入りにくかったのだが、古くなってリターン・スプリングが弱くなり、トップに切り替わらなくなってしまった。したがってリヤはセカンド・ギヤで走ることになるのだ。この自転車を組んだ当初は42Bの太いタイヤを入れていたが、現在は35Bとなっている。



革サドルは藤田プロフェッショナル。経年劣化でボロボロである。



反時計まわりで湖を一周することにした。こうすると左手に猪苗代湖を見ながらゆくことができるからである。走りだすと弱い向かい風だがよい感じだ。ランドナーの感触をたしかめながらペダルをふむ。ここを自転車で走るのは、高校一年の夏休みの東北一周サイクリング以来だ。40年以上前のことである。あのときは猪苗代湖畔でキャンプをした。野営したのは志田浜か天神浜だったと思う。その天神浜につくとオート・キャンプ場があり、道路はダートでランドナーで走るのにふさわしい道だから、うれしくなってしまった。



天神浜の先はサイクリング・コースがあり、たくさんの人が車を乗り入れて鯉釣りをしていた。気温は20℃ほど。走りだしたときは寒かったが、身体が徐々にあたたまってちょうどよくなった。



野口英世記念館。野口英世の生家の上に、建物保護のために屋根をかけてある。高一のサイクリングのとき、猪苗代駅まで輪行してきた友人を駅までむかえにいって、合流した。じつは彼がくることは直前まで私に知らされていなかったのだ。だからそれを聞いて驚いた。旅の直前になって、いっしょに行きたいと同行者が言われて、一存で了承したが、私に言いにくかったのか。それとも報告するまでもないと思ったのか。今となっては謎である。私は知らされていなかったことに腹をたてて問いたださなかったし、その後何十年もたって、同行者の彼は音信不通になってしまったから。



野口英世記念館からしばらく国道49号線をゆく。当日は車が少なかったし、ドライバーのマナーがよくて走りやすかった。上の画像は国道から県道376号線に入っている場所である。



マリーナがあった。



県道376号線の湖畔道路は交通量はほとんどなかった。



中田浜をすぎるとひとつ目の峠の上りとなった。小峠だ。いきなり15パーセントの急坂があらわれる。ギヤをローに落として、立ちこぎをまじえながらじっくりとのぼってゆく。ここは足をつかずに上りきれそうだと思って走っていると、知人から電話がかかってきたので、自転車をとめて応答した。サイクリストは峠で休まずに登りきりたいものなので、足をついたのが残念だったが、大ベテランの私はそんなことには拘泥しないのである。



ひとつ目の小峠をこえた。ここはいきなり激坂だが距離は短い。



小峠をくだり崎川浜を通過すると前方に山が見えてきた。ふたつ目の峠だ。



山にぶつかって右にすすむと、鋭角に折り返すようにして入る峠道があらわれた。



林道赤崎小倉沢線だ。ここが猪苗代湖一周の最大の難所である。



ここも距離は短いのかと思ったらさにあらず。ダラダラとのぼりがつづく。しかも事前に得た情報によると、ピークがふたつあるとのこと。



厳しい坂もあり、ねばって上ってゆくが、ランドナーにしてよかったと思う。ギヤの高いロードではここは走れなかったと感じるからだ。ロードのいちばん軽いギヤは40×21で、ランドナーは30×24である。この差は大きい。



一部に平坦なところがあり、また上ってゆくと峠についた。たしかにピークがふたつあったと思い、休憩する。



下りとなるが、なんとピークはまだ先にあり、また上りとなってしまった。峠についたと思っていたのでショックが大きい。汗だくで足にきてしまってなんとか金山峠についた。合計で7・8キロ上りなのではなかろうか。ここはたまにツーリング中のバイクがくるくらいで車はいなかった。観光客も林道をさけて、国道294号線で迂回するのだと思う。


昔の広告はタイムマシーン・自転車編

2020年06月29日 18時23分01秒 | サイクリング


ロードレーサーのチューブラー・タイヤが古くなったので買いにゆくことにした。行ったのはY´sRoad池袋店だ。しかし、スポーツ・サイクルの専門店なのにチューブラー・タイヤの在庫はないとのこと。これには驚いてしまった。チューブラーって人気がないんだね。

そこでおなじ池袋にあるY´sRoadのチャーリー店にゆくと、ここには一種類だけチューブラー・タイヤがあった。ソーヨーのチューブラーだ。これを買うことにしたが、時代は変わった。時代も変化したが店も大変化している。今はたくさんの店があるY´sRoadだが、昔は一店舗からはじまったのだ。



これは1974年12月号のサイクルスポーツ誌の広告だ。広告をだしているショップは、山とサイクリストの店、サイクル・メイト・ヨシダ。埼玉県志木市にあったサイクル・ショップである。ここが発展して現在のY´Roadになったのだ。



サイクル・メイト・ヨシダは格安で自転車の部品や用品を売っていたので、私もよく利用した。上は1976年12月号の広告。コルナゴをあつかっていて、自転車のオーダーもはじめている。ブランド名はアンタレスだ。



こちらは在庫が圧倒的だったフレンド商会の広告。ここはまだ営業中だ。



私も愛用しているフレーム・ビルダー、トーエイの広告。昔の道はきびしくて険しい。写真ページの広告は格がちかう。



右は両国のいちかわ、左は横浜にあったシマダ。シマダの店主はヨーロッパに古いディレイラーのデッド・ストックを買い付けにいったときがあって、見にいったことがある。1980年頃にクラシック・パーツが流行ったのだ。あこがれのシクロ・ランドナーは、トーエイのフレームのオーダーとセット販売でとても手がでなかった。サンプレックスのタケノコ・ディレイラーが30000円であって、買わなかったのだが、今思えばそれだけでも手に入れておけばよかったとお思う。いちかわ、シマダはまだあるのだろうか。当時の店主は高齢になっているだろうから、どうだろうか。

私もいくつかのデッド・ストックのコレクションをもっている。それはいつか紹介したいと思う。昔の雑誌の広告もタイム・マシーンだ。

リム・セメント

2020年06月23日 17時29分15秒 | サイクリング


私のロード・レーサーはチューブラー・タイヤを使用している。チューブラー・タイヤはチューブをタイヤで包み込んだ構造になっていて、その形状から丸タイヤともよばれていた。



現代のロード・バイクはほとんどチューブの入ったふつうのタイヤ、クリンチャー・タイヤを装備しているが、私がロード・レーサーを組んだ30年前は、チューブラーにするのが当たり前だったのである。

丸タイヤをリムにとりつけるのには、専用の接着剤が必要で、それがリム・セメントと呼ばれるものである。そのリム・セメントを近くのショップに買いにいった。私が何十年も通っていたショップは、店主の高齢化によってなくなってしまったので、ネットでしらべてはじめての店にいってみたのだ。

店内にはいって若い店員さんにリム・セメントがほしいと言うと、その店員さんは年上のやはり若い店員さんにリム・セメントのことを聞いている。もしかしてリム・セメントを知らないの? 年上の店員さんは、リム・セメントの在庫はなく、取り寄せになると言う。そして今は、リム・テープを使うのが一般的なのだと説明をうけた。

若い店員さんにリム・テープを見せてもらうことにしたら、ベテランのメカニックがでてきて、リム・セメントはここにあります、と教えてくれた。もとから店頭にならんでいたのである。それを2人の店員が知らなかったのだ。それだけ売れないのだろう。リム・セメントってもしかしてら死語になっていたのかも。

リム・テープのほうがあつかいやすいのかもしれないが、私は使い慣れたリム・セメントをえらぶね。

2020高輪ゲートウェイ・サイクリング

2020年06月18日 17時52分35秒 | サイクリング


ひさしぶりにロード・レーサーで走りたくなった。どこにゆこうかと考えて、上り坂のないルートを選んだ結果、山手線の新駅、高輪ゲートウェイ駅を見にゆくことにした。



まず立ち寄ったのは神田明神だ。新型コロナ・ウィルスの緊急宣言は解除されたが、いつもより人出は少なかった。



神田駅にも寄ってみた。



この商店街のよい雰囲気に誘いこまれたのである。



ビルの中をぬけてゆく。



東京駅の横をゆき品川にむかう。今日は高輪ゲートウェイ駅を見て、川崎大師までゆきたいと思っていた。



高輪ゲートウェイ駅に到着した。



モダンなデザインの駅舎だ。しかし高輪ゲートウェイ駅よりも、高輪駅のほうがよかったと思うのは私だけではないだろう。



駅は開業しているが、駅前は整備中で入れない。



人通りも少なくてガランとしていた。



山手線に高輪ゲートウェイ駅の前に新設された、西日暮里駅ができたのは40年くらい前だろうか(1971年だ)。あのときは何故こんなところに新駅をつくるのだろうかと疑問に思ったものだ。日暮里と田端の駅間は短いし、西日暮里はにぎやかなところでもないので。それにくらべれば高輪ゲートウェイ駅の新設は妥当だと思われた。



品川をすぎて八ツ山橋にさしかかった。川崎まで10キロとでている。しかし橋の坂でも足にきてしまっているので、ここで引き返すことにした。



四十七士の墓のある泉岳寺に立ち寄った。



四十七士の墓。



義士の墓の入口の門。ここで羽田から来たと言う80代のクロスバイクの方と話をした。その方は健康のために自転車にのっているとのこと。羽田からここまで10キロくらいだろうか。その方は私に何キロくらい走ってきたのかと聞くので、30キロくらいと答えたのだった。



本堂。この後、魚籃坂でラーメンをたべようと思ったのだが、道をまちがえてしまい、バテバテとなって帰宅した。

昔の雑誌はタイムマシーン・自転車編

2020年06月02日 18時39分41秒 | サイクリング


新型コロナ・ウィルスの自粛期間中に、2019年の北海道トランポ林道ツーリングのホーム・ページ版のレポートを作成していたが、昔の雑誌も読み返していた。上の画像は1975年のサイクルスポーツ誌だ。7月号と8月号なので、表紙はキャンピング車となっている。キャンプ・ツーリングや北海道、沖縄の紹介記事などがあり、何度もむさぼるように読んだものだ。

1970年代はサイクルスポーツ誌、その後はニューサイクリング誌を愛読していた。



当時は小旅行車、ツアー車とよばれたランドナーの全盛時代だった。100台スポーツ車がいれば95台はランドナーだったものだ。今のロード・バイクばかりの時代とは風景がことなる。

私のランドナーはフレーム変更などで何度か変遷したが、やかで最終的な形に落ち着いた。当時つかえるお金をすべて投入して、憧れの自転車を組んだのだ。それが今も手元にある、ピンクのトーエイ・ランドナーだ。その愛車に久しぶりに乗ってみた。自転車にまたがるとすぐにしっくりと体になじむ。40年も所有しているのだから当たり前だ。この自転車で1981年に北海道もはしった。

昔のサイスポ誌はメカの記事、ツーレポ、イラストに写真と盛りだくさんだ。そしてたくさんある広告も、自転車店の手書きのものが多くて味がある。そんな古い雑誌を見ていると昔にもどってしまう。

2015ハンドメイドバイシクル展

2015年02月01日 10時02分46秒 | サイクリング


目黒を歩いていると自転車文化センターという施設をみつけた。
入口にアレックス・サンジェのタンデムとルネ・ルセの三人乗りのクラシカルな自転車が展示してある。
中には自転車の文献などがあった。
競輪関係の団体のようだが、そこにハンドメイドサイクル展のチラシがあった。
場所は北の丸公園の科学技術館で料金は無料。
1月24と25の2日だけ。
これは行ってみたいではないか。



最寄り駅は竹橋だがほどよい距離なのでバイクででかけた。
しかし、北の丸公園にバイク用の駐車場はないのでご注意を。
たまたま主催者のご好意で関係者のスペースにとめさせていただいた。

ケルビムのクラシカルなロード。
最新のものはわからない。
こういうのがいいんだよね。



私も所有しているトーエイは得意のクラシカルなランドナーだが、車体が分割できるデモンタブルを展示していた。
トーエイ、細部が凝ってるね。
集まっている人たちもマニアックだ。



これはワタナベだと思う。
トーエイにかぶっている1台。



同じクラシカル・ランドナーでデモンタブル。
美しいシートステイ部。
細部の作りこみももちろんだが、ブレーキケーブルのアウターの長さが絶妙。
バランスからいってこれ以外のカーブは考えられない。
シフトレバーの直付け工作も見事。
デモンタブルの処理とともにここが製作者のアピールポイントだろう。



ストロングライトのクランクにサンプレックスのリング。
この取り合わせ、よくあった。

当日は43の参加者が展示をしていた。
その中で気に入ったものだけ写真をとり、製作者と話をした。



これもワタナベのスポルティフ。
マットガードとタイヤのクリアランスがすばらしい。
美意識のゆきとどいている1台。



アルミフレームでユニークな1台。
製作者は不明。



若き学生が製作した1台。
オーソドックスで昭和のテイストだね。



丹下のクロモリ・ダブルバテッド・パイプ。
昔日の憧れのパイプだ。
1本単位で売られているそうで、それは自分でフレームをつくるマニアがいるためだそうだ。
丹下、駆け寄っちゃったよ。



バイクのような1台。
後部フレームがユニーク。
手作り感満載。



とりわけ眼をひく作品。



まわりと方向性がまるでちがっている。



工芸美や機能美ではなく芸術性を追求した1台。
実用性は疑問だがそんなことは問題ではない。



繊細でもろくて唯一無二。



製作者はたぶん若い人だろう。



頑張ってもらいたいものだ。



アマンダの子供用バイク。
これも他にはない発想だ。
部品構成が贅沢。



山音製作所。
どのような人の使用を想定しているのか。
積年の思いを実現したい方、だって。
ツボをついてくるね。



山音製作所のラインナップ。



会場風景。









さいたまクリテリウム・バイ・ツール・ド・フランス

2013年10月27日 17時26分35秒 | サイクリング


ツール・ド・フランスが日本にやってきた。

ツールをはじめて知ったのは中学一年の時で、ずいぶんと昔のことだ。
当時愛読していたサイクルスポーツという自転車専門誌に出ていたのである。
それによるとツールはフランスを一周する大レースで、フランスでは日本のプロ野球以上の人気があるという。
ツールの選手は英雄なのだそうだ。
当時の日本では、信じられないような内容だった。



最近は自転車が人気になっているし、NHK・BSで中継されるようになったから人気がでているようだ。
いずれにしても40年近く前から見てみたかったツールが来るのだから行かないわけにはいかない。
さっそく会場のさいたま新都心にでかけた。

因みにイタリア一周のレース、ジロ・デ・イタリアというものもあり、私のロードのハンドルは、チネリ社のジロ・デ・イタリアという製品である。



当日は台風の影響が残り雨だった。
前座のポイント・レース中は雨粒が落ちていたが、メインレースがはじまる15時には止んで晴れてきた。
上の画像がポイント・レースの様子である。

観客は3割ほどは自転車のテイストを感じさせる服装の人たち。
その他は知識のない、イベントにつられてきた人だった。



レースがおこなわれたのは新都心のビル街。
2・7キロのコースを20周するだけだから、とても本来のレースとはいえない。
本番はアルプスの峠をこえて200キロ以上はしるのだから。
出場選手も少ないから、半分イベントみたいなものである。
でも、ツールの選手が見られるのだから贅沢は言えない。



会場はすごい人だった。
首都圏のツールファンが集まったのはもちろんだが、コース沿いに二重、三重に人がたって選手を見ることができない。
選手のスピードも速いから、一瞬で通りすぎてしまう。
私は石垣の上にのって観戦したが、足元はこんな感じだった。



別府選手が健闘した。
16周目からトップに立ち、果敢に逃げたが最後は今年のツールの覇者、フルームが順当勝ちした。
黄色のジャージ、マイヨジョーヌを着ている選手である。



ポイント獲得地点をトップで通過するとポイントが得られる。
別府選手は何回か獲得していたが、外国の選手に譲ってもらった感じだった。
母国開催で花をもたせてもらったのだ。
もうひとりの日本人選手、日の丸カラーのジャージをきた新城選手は目立った活躍はなかった。

レース中は細かいことはわからない。
フルームが勝ったことだけ放送で知ったが、他のことは帰りがけに見た、街頭のテレビ放送で知ったのである。

しかし、当日は寒かった。
そしてずっと石垣の上にいたら、足がつってしまった。