horizon doux italia de -torino-

イタリア・トリノでの日常+αを写真と共に
ほどほどほどよく発信フォトブログ。イタリア語の絵本のことも。

トリノ国際映画祭2008

2008-11-28 | イベント
TTF Torino Film Festival.

第26回トリノ国際映画祭が11月21日から29日まで開催されています。21日の開祭式ではオリバーストーン監督のアメリカ合衆国ブッシュ大統領をテーマにした「W.」が上映されました。
この9日間は映画三昧。トリノ市内の映画館4館で朝から晩まで世界中の映画を堪能できます。9日間フリーパスは75ユーロで購入できます。1作品あたりの料金は7ユーロですので毎日2,3作品見たいと思っている人はフリーパスがお薦めです。
日本からは、若松孝二監督の「実録・連合赤軍」、是枝裕和監督「歩いてもいても 歩いても」、そして小栗康平監督の「泥の河」(1981)、「伽倻子のために」(1984)、「死の棘」(1990)、「眠る男」(1996)、「埋もれ木」(2005)が上映されます。26日には小栗康平監督の記者会見も行われました。

トリノはイタリアのハリウッドと言われていました。
映画産業が盛んで様々な映画がトリノで生まれました。トリノの大学では映画を学ぶことができます。トリノのシンボル、モーレ・アントネリアーナ内(写真)には国立映画博物館があり、市内の西部にはマリオ・グローモ基金のメディア図書館もあります。

映画は自分も映画のシーンを実体験しているような気分になれいつもとは違った時間を楽しめます。国際映画祭では普段なかなか見られない映画を見られる絶好のチャンスです!


空に向かって伸びるアントネリアーナの塔の先が街歩きの道知るべになります。

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国際結婚

2008-11-25 | イタリア


夫の友人メリーちゃんの結婚相手はイケメンのラファエル君。
二人の出会いはインターネット。ネット恋愛から国際結婚をしているカップル、イタリアにはたくさんいます。
彼は米国生まれのメキシコ人。去年彼がメリーちゃんに初めて会いにイタリアにやって来たときは言葉が通じなくて困ったけれど、その後たった数ヶ月でイタリア語会話レベルをなんなくクリアー。メリーちゃんもスペイン語を話すようになっているし、言葉は愛があれば何とかなるものだなぁといろんな国際カップルを見ていて実感します。あの頃二人の共通言語は片言の英語だけだったからほとんど目とスキンシップで会話していた二人が懐かしいです。

10月の初め、二人はトリノの隣町の市役所で民事婚をあげました。
夫はラファエル君の証人として呼ばれしっかり法的書類にサインしてきました。
簡単な結婚式だったけれど、式の規模や種類なんて関係なく結婚式は二人の人生の門出、感動的でした。来年の夏にはメリーちゃんの出身地、南イタリアはカラブリア州でカトリックの教会で式をあげます。メリーちゃん夫妻のお陰で来年の夏は念願のイタリア縦断旅行ができるので今からわくわくしています。
カラブリア州の次はメキシコで。こちらは行けるか分からないけれど、3回結婚式を挙げるってすごいことです。

メリーちゃんもラファエル君も私と同い年。でも二人ともしっかり者。
ラファエル君、今はイタリア語上達のため語学学校に通いながら、職業訓練にも通っています。
メリーちゃんは、高校卒業後すぐに働き、ご両親と同居していたのでお給料を不動産投資に使うことにしました。ローンを組んで2LDKの家を買いそれを賃貸に出していました。一軒目のローンが完済したので2件目も購入しました。今は一軒目を二人の新居としもう一軒は今も賃貸中です。
この話を聞いたときは本当に仰天しました。高校卒業したての子が不動産投資のためにお給料を使うってなかなか出来ない発想です。イタリアは古い家でしっかり修復、リフォームされていれば価値があります。しかし今の職業難のイタリアでは不動産投資にリフォームは簡単ではありません。自分の家を持つ前に定職を持つことが非常に難しい社会です。メリーちゃんは大人しくて美のヴィーナスのように綺麗な女性ですが、何年も前からしっかり人生計画を立てていて外見だけでなく内面もかなりのやり手です。明るいラファエル君と楽しい人生のスタートを切ったメリーちゃん。二人とは同じ国際結婚組み、夫婦で仲良く付き合っていけそうです。

二人の後ろ姿。


写真撮影をしたサヴォイア家の狩猟用のお屋敷。


ドラジェ。カラーのお花の形がとてもかわいいです。



「菊と刀」 The Chrysanthemum and the Sword

2008-11-22 | イタリア人夫の稀投稿

I read the book named in the subject after a coworker of mine lent it to me.
It was written by Ruth Benedict, a famous America anthropologist, in 1946, just after the end of the second World War.
The purpose of the book is to explain Japan and its culture to American people, and to serve as "manual" to the American army, which was then debating how to manage, and for how long, the occupation and reorganization of Japan.
According to Ruth Benedict the values and convictions of Japanese people made it very difficult to most Americans to understand the ideas of Japanese people and to predict how they would react to different situations. In particular, she says that Japanese people value over everything the "having the right place" in world and society, and that putting things to their rightful (deserved) places was a Japanese motivation for starting the war. Then, she describes the importance, for Japanese people, of the duties and obligations to society, family, and one's own honor (on, gimu and giri)

She also writes about the importance, in Japanese culture and art, of the the theme of the "conflict" of different obligations and duties, compared with the western theme of conflict of moral issues of "good and bad".

The book goes on to describe Japanese education of children and to speak about the issue of "shame" versus the western, and in particular American, feeling of "guilt". In her words, Japan does not value guilt as much as shame and the judgement of society.

Speaking of the religious mentality, she compares the Western vision of Heaven to the Japanese vision of doing the right thing because of following one's rightful nature. She draws a lot, I think most of it not completely rightly, from Zen stories and morality, equating the Zen attitude to Japanese culture.

To write this book, Ruth Benedict never went to Japan. She instead based many of her observations on the opinions of Japanese Americans she knew, especially of mr. Robert Hashima, a Japanese born in America who had lived 20 years in Japan and had become a teacher there before returning to America at the start of the war.

I think this book is still interesting, and some of the considerations still valid. However I don't think that everything is right with her views. First of all, Ruth Benedict was an expert on Indian American (tribal) cultures. While she insists that her method is universally valid, I think studying a tribal culture, where the transmission of the cultural values is entirely oral and "person to person", is not the same thing as studying the culture of a nation. Specifically, she does not consider too much how the propaganda of ideological groups in the period in Japan may have changed the popular culture or the views of the people she met and studied. Plus, the people she studied were a small sample, and it seems like a single person, Robert Hashima, influenced her views more than most of the others (I read a review online which included an interview made to Rober Hashima himself about this). That single person had a very ideological view about Japanese culture and a strong conviction that the culture HAD to change, because he had suffered a strong culture shock, mainly due to the (very ideological) education system, after moving from America to Japan as a kid.

Then the author puts too much emphasis on the way the education of small children inside the families influenced the culture of the country. My reflections about this were that the education methods she cites disappeared totally, or almost, but Japanese culture has not changed as much as her ideas would imply. Also, sometimes the author seemed bent on proving her points on Japanese culture by citing what is really "military" culture or samurai culture. And, in the chapter devoted to religion, she goes as far as taking Zen Buddhism as exemplary of Japanese culture, which is not totally correct, since she fails to consider both the place of Zen inside the larger frame Buddhism, and the fact that Zen schools are actually more important in other Asian cultures, like Korea or even China, that they are in Japan after the EDO period. This not to underly the fact that indeed Zen Buddhism did influence Japanese culture and the Japanese mindset. Also, by pointing out that Japanese don't believe in afterlife or in heaven, she fails totally to consider the strong influence other Buddhist schools, like Shingon or Shodo shu and Shodo shinshu, have had in the Japanese views. This without considering that many Japanese people who belong to Zen schools and are religiously active do actually believe either in rebirth or in an afterlife.

At the end, my opinion is that this book is interesting, but it is not to be considered really reliable in exposing to the world Japanese culture. However, I am glad I could read it, as it surely offers some interesting points in both Japanese culture, and American culture and its view of the world.


日本式ダイエット

2008-11-18 | 生活 La vita
「モーニングバナナ」
日本で成功した人が多くて話題になっているというダイエットがラジオで紹介されていました。
日本人が生み出した体質改善ダイエット。日本語のKAIZEN 改善はイタリアでも耳にします。 日本は改善する意識を持つ国。 イタリアメディアもたまには的確な表現できるんだなと思ったりします。そいうえば、イタリア人上司が改善と漢字で縦書きに書かれたネックレスをつけていたことがありました。TOYOTAの人から貰ったと言ってたので、そこから有名になった言葉かもしれません。

さて、このダイエットは朝食前にバナナとぬるい水を飲み、
昼食、夕食、間食は普通に食べてOKで、夜中の12時までに就寝するだけとか。
ストレスもなし、バナナを食べて生活改善するだけで簡単に痩せられるらしい・・・。

ラジオの最後でバナナダイエットのサイトが紹介されたので早速閲覧してみました。
モーニングバナナ ドット コム。
http://morningbanana.com

日本語に訳すと朝バナナかなと思って検索すると
一発でヒットしました。オフィシャルサイト!
アサバナナ ドット ネット。

日本で流行っていたんでしょうか。知ってる人がいたら教えてくださいませ。

「何でも試してみないと本質は分からない」ので試してみることにします。
私ではなく夫。最近のあだなはポンポンブリン。サンリオのキャラクターです。

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手作りニョッキ

2008-11-15 | 食・ガストロノミーア・ワイン
イタリアで初めてニョッキを食べたときはあまり好きじゃなかったけれどトマトソースとの相性が抜群であることを発見して依頼、好物の一皿です。

先日、ピエモンテーゼの友人が手作りニョッキパーティーをしてくれたのでしっかりレシピを覚えてきました。
パーティーのテーマはイタリア。
ニョッキに絡めるソースは赤と白と緑。イタリアの国旗と同じ色です。
赤はトマトソース、白はゴルゴンゾーラとくるみのソース、緑はバジリコと松の実のジェノベーゼソース。わいわいおしゃべりしながら準備してお腹一杯食べて楽しいひと時でした。

今夜の我が家のテーマは日本。
赤はひよこ豆入りトマトソース、白は生クリームと黒こしょうのソース。

ニョッキの作り方(彼女の友人、イタリア料理のシェフのレシピ)

材料 6人分ぐらい
 ジャガイモ1キロ(できれば古いもの)
 卵1つ
 小麦粉300グラム

ジャガイモを皮ごと茹でる。竹クシが通るぐらいになったら皮をむき塊がなくなるまでしっかりつぶす。熱いうちに。
ジャガイモを冷まし、卵一つ、小麦粉を加え耳たぶの硬さになるまで混ぜる。
(小麦粉の量はジャガイモによって加減する)
直径2センチぐらいなるように丸め、フォークの背の部分で押して型をつけ平たくし、くるっと丸める。打ち粉があれば丸めやすい。



沸騰した湯に塩を適宜加えニョッキを茹でる。
ニョッキが浮き上がってきたらすぐにサルに上げ温めておいたソースに絡める。



とても簡単にでき、もっちりした食感が美味しいニョッキ。
子どももお手伝いできるので食育向きメニューだなと思いながら作りました。今度帰国したらかわいい姪っ子たちと作ってみたいと思います。



食 味覚の祭典 サローネ デル グスト

2008-11-14 | イベント
2年に一度、10月の末頃にトリノで開催される大規模な食の見本市、オフィシャルでは食、味覚の祭典と紹介されているサローネ デル グストに行ってきました。2002年のと比べると来場者が恐ろしく増えているように感じました。会場全体がおしくら饅頭で前に進むのがやっと。日本や海外から食のバイヤーをはじめ一般の来場客でごった返していました。

入場料は20ユーロとちょっとお高め。
コープやルフトハンザ航空の会員なら4ユーロ引き。
スローフード協会の会員なら半額だったと思います。


入場券を買う長蛇の列。列に並べないイタリア人たちの公共マナーの良さは相変わらず世界一でした。

気を取り直していざ入場。
人がうじゃうじゃいて先が見えない状態のまま人の波に飲み込まれて会場内へ。

人に埋もれながらもお宝を発見!

このイケメン君ではありませんよ。
こちらのスタンド、ドイツからの出店。蜂蜜専門のHONIGLAND。

お宝とはこの黄金に輝くボトルです。1年間あちこちで探し続けていた「蜂蜜ワイン」。試飲して気に入った「ハチミツリキュール」もお買い上げ。
ワインの前にある小瓶のやつです。
ハチミツワインの秘話はまた次回語ることにして、先に進みます。

会場ではいろんな国の料理を楽しめるレストランも用意されていました。日本、アイルランド、ノルウェー、ドイツ、カタルニア、イタリア各州が出店していました。
日本はもちろん御寿司。トリノにあるアルカディアというレストランが出店していました。手焼きおかきの試食サービスに夢中になってしまいました。温かいえびせん、美味しかった!

私たちはビール広場の近くにあったドイツのレストランで昼食をとりました。
ドイツビールとソーセージを食べてドイツに行った気分を満喫。

ドイツの生ビールって本当に美味しくて幸せでした。ソーセージもプリプリでジューシーだったし、ビネガーとオニオン風味のポテトも美味しかったなぁ。
本当はいつ行けるか分からない北欧ノルウェーのレストランでノルウェーに行った気分を味わいたかったのですが、人気があって全メニュー終了。
ドイツは文句なしだったので、ドイツで良かったかも。

こちらは生ハムコーナー。ブタの足だらけ。


こちらはピエモンテ州のヴェルチェッリ県のお米のスタンド。

米の産地であるヴェルチェッリにはモンディーネと呼ばれる田植えや稲刈りの仕事をしていたヴェネトからの出稼ぎ女性たちがいました。50年代頃の話です。

こちらはマリオ・フォンゴ氏のスタンド。

これから間違いなく日本に上陸するだろうと予想している
「リングア ディ スオチェラ」訳して「姑の舌」は
グリッシーニを平たーく長ーくしたパリパリの食感がするイタリア独特のパンです。
なぜこんな変な名前なのかというとこのパンは姑の舌のように長いから。
なぜ姑の舌は長いのか?想像できますね、姑はよく喋るからです。

最後はテッラマードレ、母なる大地と題された会場にあるスローフード協会が保護する世界で消滅危機にある食や希少な食が集められたスタンド。
その中で日本から来られていた「雲仙高菜」を保護する方たち。


地域性のある食品を守るためには、作り手と買い手の保護意識が大切なんだと思いました。地域の特産物を守ることは、日々の食生活を大切にすることに繋がると思います。「食」=「人」大事です。

イタリア、トリノに住んで分かった「食」の大切さ。
こちらの人は本当に郷土食、地域の特産物を愛しています。

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イノシシ料理とバローロキナート

2008-11-12 | 食・ガストロノミーア・ワイン
先週の土曜日に市場の肉屋でみつけたイノシシ肉です。
イタリアで初めてイノシシ肉入りソース和えタリヤテッレ(卵入りのきし麺のような生パスタです。ピエモンテではタリヤリンと言います。)を食べてからイノシシの美味しさにほれ込んでいました。いつもはレストランで食べるか、市販のイノシシのソースを買ったりしていましたが、鮮度の良いイノシシだったので購入することにしました。
(1キロ当たり10ユーロ)

イノシシは煮込めば煮込むほど肉が柔らかくなり美味しくなるそう。
そうなると一番に頭に浮かぶのはワイン煮込み。

レシピ
イノシシ400グラムから500グラムぐらいを適当な大きさにブツ切り。
(*一晩ワインにつけて置くのが理想的)
にんにく、タイム、ローズマリーを好きな量だけ細かく刻み
オリーブオイルで香りがでるまで炒める。焦がしてはいけない。
イノシシを加え表面に焼き色が付いたら
ワイン2カップを入れ、アルコール分を飛ばす。
塩コショウで味付けし蓋をして弱火でことこと2時間煮る。

じゃーん、とっても簡単イノシシのワイン煮込み~!
ヴェルゼッと言うサラダを添えて出来上がり。



イノシシを黙々と平らげて満足満足。

こちらは「バローロ キナート」
ピエモンテ産ワインの王様と言われているバローロに砂糖を加えてから、キナをはじめ10種類のハーブで香り付けされた食後酒です。
もちろん食前酒(アペリティフ)としても飲まれていますが、甘みがあり16度とアルコール度も高いので食後の方が消化も促されいいかもしれません。


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言葉の習得は異文化理解

2008-11-06 | イタリア
イタリアに移り住んできて1年と2ヶ月。

去年から今まで語学力向上だけを意識し、イタリア人と対等なレベルになって初めてイタリア社会を理解し始めることができると思っていました。職場では当然のごとく、母国語と同レベルのイタリア語を要求され、がむしゃらにビジネスイタリア語に立ち向かってきましたが、今日はもう立ち止まった方がいいかなと思う出来事がありました。

仕事ではイタリア語と英語の両方を使って文書作成やEMAILを送ったりするのですが、先日イランのある会社からの依頼を受け、それをイタリア語に訳したり、イランの方に報告するために、英語の辞書で何度も確認しながら、ふさわしい言葉を選んで返信メールを完成させました。
しかし、上司のチェックで、ことごとくだめだしをされてしまい、ダイレクトにいろいろ言われてしまいました。
言い方さえ違えば、頭に血が上ることはなかったのですが、学生のころは英語を専攻していたこともあって、頭に血が上って口論してしまいました。
彼女も専門は外国語、しかも英語、仏語、ドイツ語、スペイン語、スウェーデン語を巧みに操るツワモノなので、グローバル語である英語は完璧に話せる自信があるようです。
しかし、私も英語を専攻していた身、明らかにレベルは彼女の方が上ですが引き下がれませんでした。英語を母国語とする人からのだめだしなら素直に受け入れられるのですが、イタリア人に言われたくない!という感情が応戦してしまったと思います。

しかし、口論したところでイタリア人女性、特にピエモンテの女性は恐ろしく強いので勝敗は目に見えていました。後先考えずに反論してしまったために(O型の性分です)だめだし以上にののしられてしまいました。
私にも人としての権利があるのに・・・。あまりにダメージを受けたのでさっさと帰宅することしかできませんでした。

ここまで暴走してしまったので、私の見たイタリアの労働社会を少し語らせてもらうと、少なくともイタリアの労働社会には、下の者への配慮はありません。使って使って使いまくるのが普通なのです。もちろん感謝の言葉もありません。上司の特権は、責任をとらずに、好きなだけ部下を酷使し、わがまま放題に思ったことを言い、出張ではデラックスルーム、スパにマッサージ、高級レストラン、そして家族や愛人を予算を使って同行させる事です。そして雇用するときは、知らない人を一切信用しないのがイタリア人なので、自分の知っている人やコネで人を雇い、周りを自分ワールドで固めます。とても保守的です。

これを今まで黙って見ていた部下たちが出世した時には、今まで服従的だった人が天下を取ってたちまち大暴れです。

上司の数が多いのも特徴で、上司間に格差があり、上司がもっと上の上司に、上の上司はもっともっと上の上司に胡麻を擂るシーンは何度も見ました。

悪循環なのです。今の組織では外国人を正規雇用することはないので契約終了までずっと下のまま。また新たに契約してもらえたとしても下のまま。賃金も微々たるもの。時給にするとマックバリューも買えません。 

このままイタリア社会に挑戦し続けるべきか、夫に扶養してもらいながら、好きなことだけをするスローライフ生活を送る方が心身の健康にはいいのか・・・・。

どっちにしてもイタリア人の「かまうもんか」精神で乗り切るしかない!
「CHI SE NE FREGA!」(キセネフレーガァァァ!)

ご飯作る気力がないので、今日の夕飯は大好物の「クワットロ アッシ」のピザとファリナータを持ち帰りです。

キッコ社のバルベーラダルバワイン

2008-11-05 | 食・ガストロノミーア・ワイン
今日は大事な日本からのお客様とのビジネスランチでした。

どんなワインがお好みか上司が尋ねたところ、バルベーラワインをご希望されたのでレストランのソムリエのお薦め赤ワイン、
CASCINA CHICCO社のバルベーラ ダルバ2005年産を注文しました。

普段飲むバルベーラとはまったく違う口当たりが印象的だったので
帰宅後、ワインガイドで調べてみたところ、品質はオッティモ、イタリア語で最高の質のワインでした。
レストランでは1ボトル31ユーロしていましたが、エノテカなどで買うと15ユーロから20ユーロするワインです。お客様がバルベーラをご希望されたお陰で新たなバルベーラを発見することができました。

実にまろやかで口当たりがよく、ほんのりオークの樽の香りもし、
なんとなくバローロに似ているなと感じました。
2005年のバルベーラ ダルバをまた飲みたいワインにリストアップ。


ラベルは2003年度産になってますが、お薦めは2005年度産です。



Lプロジェクト in チャイナ 

2008-11-04 | イタリア
上からの依頼であるプレゼンの普及業務、主に雑用などの仕事に関わっていました。

今日は会場での受付係り。
在中国のイタリア人と一緒にやってきた中国人女性と思った参加者がいたかもしれませんが、これも上の希望通り、国際化のイメージ戦略? いえいえ、上の本当の思惑はイタリア人の嫌がる細かくて時間のかかる上、事業成果の責任のかかってくる仕事は外国人の私にやらせてしまえというものです。ここでは責任は一番立場の弱いものが取ると暗黙で決まっているので、責任が発生しそうな仕事は上司は着手したがらず、一番立場の弱い者にさっさと委託してしまいます。イタリアの労働社会はカースト制だという本が出版されて話題を呼びましたが、まさか自分がこのカースト制度の一番下を味わうことになるとは・・・。
今日のために、事前に総務から借りたノートPCをしまっておいたロッカーの鍵を勝手に同僚が私の引き出しに入れていたのを目撃してしまいました。それでも、これが当たり前なんだと言い聞かせて気にしないようにするのが、カーストの一番下にいる者の役割。もし月曜日にPCが盗まれていたら私の責任にしようという同僚の行為、今となっては慣れっこですが、平然と当たり前のようにやってのけるイタリア人に最初はひきました。慣れたとは言っても、以前に事務所で盗難が何件か発生したことがあったので気になっていました。今日は朝一番にPCの無事を確認しました。

受付では、申込書の手書き文字が乱筆、または癖のある筆記体なので解読するのに時間がかかった事を思い出し、同僚や上司からからどんどん仕事を頼まれてパンク状態の時にどんなヤツ(失礼!)が書いてるのか顔が見てみたいもんだとイライラを募らせていましたが、参加者はみな感じのいい人ばかりでした。

プレゼンテーションによると、中国では特に若い国際的な交流をしている女性たちの間で豊胸手術が流行しているそうです。今日、一番多く聞いた単語は「ピアット」です。想像できるかもしれませんが、イタリア料理屋でも耳にする単語です。つまりアジアン女性はお皿のように平らな子がほとんどだけど、中には欧米人化している人もいますよという報告や、参加者たちの間でアジアの人はバストもヒップもピアットだからかわいそうよねという会話でピアット、ピアットが連発されていました。体の作りが違うというのは明らかですが、ピアットでも本来の人体的な機能性は十分なんだからいいじゃないかと思っていました。イタリアでは外見は良くても、産後粉ミルクに頼らなければいけない人が多いのです。

イタリアのランジェリーはデザイン性も高くおしゃれですが、機能性には欠けます。なんだかイタリア人バストとイタリアの車に似てるなと思ってしまいましたが言葉にはしないでおきました。カースト制ですから。

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11月1日

2008-11-01 | イタリア
「今年の栗はトリノの丘で拾ったものです。ワインはトリノの丘で生産されたキエリのフレイザワインですよ。
どうぞ、ゆっくりくつろいで行ってくださいね。」



ピエモンテの一部の地方で言い伝えられている習慣があります。
それは11月1日の夜中にご先祖様たちが子孫の家を訪れるので
テーブルの上に茹でた栗と赤ワインを用意しておくというもの。

夫のおじいさんの出身地、ピエモンテ州の丘陵地帯モンフェラートではこの習慣を守っていたので、今は夫の両親と夫が引き継いでいます。
ピエモンテのすべての家庭がこの習慣を知っている訳ではないようですが、
なんだか日本のお盆に似ていませんか。
ちなみに11月1日はイタリアでは国民の休日です。すべての聖人の日というカトリックの祝日になり,お墓参りをする日です。
栗とワインをご先祖様に用意する習慣は、さかのぼること古代ローマ時代から続いていると言われています。

ご先祖様あっての私たち。この習慣を大切にしている夫のお陰で、私が会ったことのない夫のおじいさんやおばあさんの思い出話を聞いて
自分の知らない過去の出来事の一点一点をつなぎ合わせる事ができます。

今朝は、テーブルクロスもしっかりアイロンで糊付けしました。
トリノの丘で生産された2007年度産のキエリのフレイザ発泡性赤ワイン、アルコール度は14度。トリノの丘の栗は、スーザ渓谷の栗に比べると小ぶりですが甘くて日本の栗に似ていました。
ワインと栗を気に入ってもらえることを願って。
それではおやすみなさい。

オリゾンドゥイタリア ドゥトリノ 

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