京都検定合格めざして!

京都検定受検を口実に、京都のあちこちにいきます。2級は合格しました。v(^^)v

四条烏丸界隈  その4   京料理 木乃婦

2014年06月27日 12時35分49秒 | 旅行
あちこち父母と歩いてきましたが、今日のメインイベント お昼ご飯です 

京料理 木乃婦(きのぶ)です


        




こんなとこ、親と一緒じゃないとぜ~~~ったいに来ることはありません 

ありがたいことです 


案内されたお部屋はこんな感じ  父以外はすべて女性客です


     


天井も凝ってます


     



窓の外はさっき行ってきた菅大臣神社 お客さんはみんなそちらを向いて坐っています


     




で、いただいたのは懐石料理です


        


        



        

     

もう、どれもこれも上品で美しく、もちろん美味しく、感動的でした

とうがんの煮物なんかとても薄味なんですが、なんであんなにおいしいんかなあ 

こんなに細い大根のケンは初めて見たし   千切りというより、極千切り

細かい細かい氷を詰めた器に、少し大粒の氷を乗せ、その上にお刺身が・・・芸が細かいね 

当然、器も素敵です 





いろいろええもんを食べたことがあるはずの父も「大満足」と言ってました




で、一品ずつは量が少しなんですが、こんだけ出てくるとおなかいっぱいや

と思ったら、このあとデザートがどんと豪華に 


     


私  こりゃ無理無理~~ 

母  いや、甘いもんは別腹やからね・・・ 

私  そっかなあ 

で、結局、もちろん、全部いただきました 




こんな会話も 

母  こういうお店のナプキンはもろてもええんやで 

私  うっそ~~ 


お店の方に伺うと、どうぞどうぞとのことで、やっぱり私も貰って帰りました

布製のしっかりしたナプキンです


     





お店を出てからのお見送りも丁寧で、母は「こんなん初めてや」といたく感動してました




さて、ここから地下鉄の駅への途中にありました

「与謝蕪村宅跡」の石碑です


     


蕪村は1768年には四条烏丸東ヘ入町、1775年には仏光寺烏丸西へ入町に住んでいたことがわかっているので

この石碑の場所にはその間に引っ越したことがわかります

有名人になると、こんな細かい引っ越しまで記録に残るんですね 

蕪村は1783年に亡くなるまでここに住みました

  辞世の句  しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり



これで今回の京都歩きはおしまい

距離的にはそう長くはないですが、見るところはいっぱいありました

おなかもいっぱいやし、非常に有意義な散策となりました 


「おいしいところ」の計画はまだまだあり  、次は妹も一緒に・・・の予定です 







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四条烏丸界隈  その3  繁昌神社と菅大臣神社

2014年06月26日 22時49分47秒 | 旅行
平等寺をあとにし、烏丸通を西に渡ってすぐ、繁昌神社です

ちいさなちいさなお社ですが、全国で唯一の「繁昌神社」なんだそうです 

たしかに、ありそうでなさそうな名前や 


     

繁昌神社とはいいながら、あんまり繁昌してないみたいやなあ ・・・と思ったんですが

考えてみると、参拝者が儲かるための神社であり、神社が儲かる必要はないな 

神社の始まりは、平安時代にさかのぼるようです




こんなお守り売ってました


     


そろばん玉です 

儲かるようにってね(アイデアがちょっと大阪っぽいような気もする  )

300円、なかなかかわいいです 




続いては菅大臣神社


       




菅大臣とは、菅原道真のこと

ここは道真の邸や学問所のあったところで、誕生の地とも伝えられています

あの有名な「東風吹かばにほいおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれたのもここだといわれています 

神社の創立は、道真の没後間もなくだったそうです






     

    

左の狛犬は、なぜか右足を上げています

ずっとやで   疲れるで・・・ 




ご朱印をいただきました


     



ところで、先ほどの繁昌神社の住所は「繁昌町」、こちらの菅大臣神社は「菅大臣町」

そのまんまです 

このように、お寺や神社がそのまま地名になってるところはとても多いです

大徳寺町とか、金閣寺町とか、妙心寺町とか・・・

そういう視点で調べてみるのもおもしろいかもしれません


さて いよいよお昼ご飯だ 









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四条烏丸界隈  その2  平等寺

2014年06月25日 21時12分08秒 | 旅行
父母との散策、佛光寺に続いて、平等寺へ


     



997年、因幡国司橘行平が京都へ帰るときに、薬師如来像があとを追って飛んできました

その像を祀ったのがこの寺の始まりとか・・・1000年以上前のお話です・・・

そのため、因幡堂とか因幡薬師の名前で親しまれています



薬師如来像は日本三如来の一つにかぞえられています

    あと2つは、嵯峨釈迦堂の釈迦如来と、信濃善光寺の阿弥陀如来

    う~ん、ともになかなかの大物です  





     


ここは病気の人の拠り所、特にがん封じのお寺として知られています

このずらりと並んだ旗(かな?)には奉納した人の名前が書いてあります

たくさんの人の気持ちがこめられていますね







     


境内にあった「贔屓(ひき)」

明治19年から本堂大屋根の巴蓋(ともえぶた)としてお堂を守ってきたと・・・・




「贔屓」は龍が生んだ9頭の神獣の1頭で、亀に似ており、重きを負うことを好む

「巴蓋」は屋根の上に置かれ、厄災から家屋を守るもの


知らない言葉ばかりだと、ちょっとへこみますが

わかってみると、なるほど~~、ちょこっと賢くなったかも  と自己満足です

あとは、忘れないことだな 


ご朱印をいただきました


     


他にもご朱印やお守りをお願いしている方が次々と来られてました

病気の方がみなさん元気になられますように 


お昼ご飯まで、もうちょっと歩きます 






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四条烏丸界隈  その1  佛光寺

2014年06月25日 20時54分31秒 | 旅行
梅雨の晴れ間、今日一緒に歩く人は、私の父と母です 

このブログにも、時々出演してくれてます

で、この二人と一緒のときは、必ず美味しいお食事つき 

ブログにあるだけでも、萬亀楼・わらじや・長楽館・京大レストラン などなど 




今日もそういううれしいイベントつきのお出かけですが 

その前にちょこっと散策




四条烏丸で地下鉄を降り、まず佛光寺へ


佛光寺は後醍醐天皇より寺号を賜り、最盛期には当時の本願寺を大きく上回る勢いがありました 

しかし、延暦寺の弾圧が強まり、応仁の乱によって次第に寺勢が衰えました 

そして1586年、秀吉により、現在の地に移されました



そういえば、佛光寺も本願寺も同じ浄土真宗で

ともに、御影堂と阿弥陀堂が並んで建っています


        


そのお堂、障子は閉まっているのですが、父母は開けて入っていきます

「えっ、勝手に入ってええのん」「だいじょうぶや」「ほんまにい

結局、私も中に入って拝んできました


        



帰ってからお寺のホームページを見ると

「お参りの際は、まず、ご開山親鸞様のご尊前にお座り下さい」

と、ありました

いつでも、親の言葉に間違いはない 







ご朱印をいただきました


     





ところで、境内にはたかーいクレーン車 

なんだろう? もしかして、文化財の重要な作業(?)を偶然見ることができるんやろか?


・・・で、ご朱印をいただくときにお寺の方にお聞きしたら

「エアコンの室外機の取り換えです」


     


     

あら~、なんか普通でした 



わたしたちの他にもちらほらお客さん、中国からの若者4人もなんだか賑やかに参拝してました

このような、そんなにメジャーじゃないところにまで、ようこそ 


枝垂桜がきれいだそうで、咲いてる時にまた来たいものです 


     


続いて、平等寺へむかいます 






















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京都水族館

2014年06月17日 09時02分57秒 | 旅行
梅小路公園の中に、今日の目的地 京都水族館があります


     


2012年開館だから、まだ2年しかたってなくて、ピカピカです 

ここは、日本最大級の内陸型水族館、日本初の完全な人工海水利用型の水族館です


この水族館の一番の特徴は、「オオサンショウウオ」

オオサンショウウオは最大の両生類で、3000万年前から姿を変えていない「生きた化石」です


   山椒(ウナギにかけるやつね)の匂いがするから、サンショウウオ って知らなかった・・・




さて、水族館に入って最初に見える12メートルの水槽には、オオサンショウウオが30匹ぐらいいます


     


     

隅っこの方は、なかなかの込み具合 


     

何匹も積み重なっていて、押しくらまんじゅう状態です



鴨川には国の特別天然記念物のオオサンショウウオが生息しています

しかし、1970年代に食用として輸入した中国のオオサンショウウオが逃げて(?)野生化し(実際 美味しいらしい ← by おとーさん)

鴨川で日本固有種の保護調査のために捕獲すると、ほとんどが外来種か交雑種

それらを川に戻すと日本固有種が絶滅する可能性があるため、水族館が預かっているようです


日本固有種かどうかは、DNA鑑定で調べるんだって

なかなか大変や 


この水族館の大水槽もとっても楽しく見られました


     


     


     



1~2階吹き抜けの高さ6メートル、水量500トン 





他にも、いろんなおさかな 


          




イルカショー なかなかの芸達者です 

お客さん いっぱいや 


          




最後にお土産ショップでは、やっぱりオオサンショウウオが一番人気 


     

たわしじゃないです  オオサンショウウオのぬいぐるみ いろんなサイズあり ふわふわやよ 


     

一番大きいのは、170センチもあります

車じゃないと持って帰れへん・・・




今日は平日で、昼すぎなので、ゆったりできました

車いすのお年寄りの団体さんや、ベビーカーを押したママさんたちも思い思いに見学されてました



けど、もしもさっき広場で遊んでいた遠足の子供たちと一緒なら、きっとなんも見えへんかったわ

この時間に来て、大正解でした


楽しかったな    また来ようね おとーさん 





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梅小路公園

2014年06月16日 07時05分41秒 | 旅行
お昼ご飯を食べてから、京都水族館のある梅小路公園へ

子供たちが小さかった時に、梅小路蒸気機関車館にきたことがありますが

今はすっかり様変わりしています






     



すざくゆめ広場です

遠足の元気な子供たちでいっぱい 







なんだこれは  とびっくりした建物


     

緑の館です

1階はレストラン、お客さんでいっぱいでした

2階は「朱雀の庭」への入り口です

一人200円、行ってみよう

入場券は自動販売機、それを電車の改札のような機械に通して入ります

入場券は機械にすいこまれ・・・

う~ん、せっかくの入場券、持ってたのは数秒でした 






平安遷都1200年を記念して、1993年につくられた朱雀の庭

池泉回遊式の庭園で、9000平方メートルあります

ホームページによると「伝統と創生が見事に調和したデザイン」だそうですよ 



   


この池がとっても印象的

インド原産の黒御影石が敷き詰めてあり、鏡のようになっています 




こんな石碑がありました


     

平清盛公西八条第(てい)跡です

このあたりは、6町にわたり平家一門の邸宅群でした

しかし、清盛死後2日で放火による火災にあい、またその2年後、平家都落ちの際には平家みずからの手で焼き払われました 

まさしく「おごれるものはひさしからず・・・」やなあ


平成4,5年の発掘調査では、ちゃんと(?)平安末期の土器や焼土などが出てきたそうです


そういえば、京都はどこを掘ってもなんか出てくるから、いろんな工事がなかなか進まないとか・・・ 




さて、「朱雀の庭」は「いのちの森」とつながっています



こういう回廊を通り、樹冠の観察ができるようになっています 


     



ここは壮大なビオトープで、生態系の継続調査が行われています

ビオトープだから、なるたけ人の手を入れないようにしているそうです

水の流れてるところでは、ウシガエルらしき声がきこえました 




「いのちの森」を出てふたたび「朱雀の庭」へ

池の中ほどの小さな石にお父さんカモ


     

そして、その向こうをよっく見ると・・・お母さんカモと子供たちが 


     

お父さんカモが家族を守っている感がひしひしと伝わってきます



朱雀の庭を出て、市電ひろばへ


     

ここには、なつかしい京都の市電が4両おいてあり、中はショップなどに利用されています


     


私が大学2回生の秋まで市電が走っていて、通学に使いました

バスがくるかなあ、それとも市電かなあ、と バス停からじっと眺めてて

市電が来たら、それっと道の真ん中の市電のプラットホームに走るんです 

(ちょっと危ないな  )

市電がなくなってからは、市バスだけになりましたが

そのころは全てのバスに冷房がついてたわけでなく

冷房つきのバスにはシロクマのマークが 

で、私の乗ってた201番は みぶー百万遍ーみぶ という循環バスなんですが

略して みぶみぶ(一般的な名称でなく、ごくごく一部の人間が使っていた呼び方)

で、夏は冷房バスにあたると「やった みぶみぶのシロクマや」と喜んだっけ・・・



という、今や誰も使わない呼び名を、ふっと思い出しました 





さてさて、ようやく京都水族館ですよ 










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七条千本あたり

2014年06月12日 22時08分47秒 | 旅行
先週末の休日出勤の振り替えで、おとーさんがおやすみ 

ということで、急に思い立ってバタバタと用意し、以前から行きたかった京都水族館へ行くことに 

今日は平日だし、すいてるんじゃないかな


七条大宮でバスを降り、水族館に行く前に、千本あたりでなにかあるかなあ・・・ときょろきょろしてると・・・



     


松尾神社朱雀お旅所

松尾大社は嵐山にありますが、その還幸祭の巡行の際、途中で神輿が立ち寄るところです

その存在は、平安末期の史料にすでに記されているそうです 




     


西鴻臚館(こうろかん)跡の案内板です

鴻臚館というのは、平安時代に設置された外交および海外交易の施設で

渤海使節団を迎賓しました

西鴻臚館 ということは、東もあったわけですが、そちらは839年に廃止

西も12世紀には使われなくなったそうです





     


「丹波口」 の石碑

丹波口は京の七口(ほかには、荒神口、鞍馬口などなど)のひとつ

現在はすぐ近くのJRの駅名に残ってます

「京に入るときは馬からおりるように」とかかれています






ちょっと歩くだけでいろんなものがあるもんだ・・・ 


お昼ご飯は七条七本松にある舞坂本店で もちろんうなぎをいただきます 

うなぎの舞坂といえば、私にとっては河原町店だったんですが、残念ながら一昨年に閉店したようです

そちらの舞坂から思い出すこと

もう15年も前のことです・・・

やっぱりおとーさんと一緒に、河原町の舞阪でお昼ご飯を食べ、あ~おいしかったなあと帰宅したその瞬間 

息子の通っていた京都の中学の先生から電話 

「お子さんがバスケで足を骨折して、救急車で運ばれました  」

即、京都へUターン 

それ以来、うなぎの舞坂というと「骨折」が思い浮かぶ私でした



今日は「骨折です」の電話はかからず、そろそろこの連想も断ち切れそうです 

さて、ここから東にもどります 
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