前回のブログに書いた2つの神社は、淀城跡公園にあります
淀城っていうと、秀吉が茶々の産所(鶴丸が生まれた)として築いたお城、というイメージがありますが、
そのお城(淀古城)はここから500mほど北にあり、のちに廃城となりました
で、今いる淀城は1623年、2代将軍秀忠の命で築城されました
廃城となっていた伏見城の資材を転用したとのことです
現在は本丸の石垣と堀の一部しか残っていません
石垣には工事に携わった大名の刻印がたくさん残っているらしいのですが、残念ながら見つけることはできませんでした
石垣の上からはお堀がみえます
すぐ横を京阪電鉄が通っています
水面近くの黄色い花はコウホネ、水面より上に咲いているのがキショウブ、かな
貴重なハスが7月ごろ咲くようですが、コウホネに負けてないか心配です
石垣から降りてくると、公園になかなか立派な休憩所があり、何か「警告」と書いてある
タバコ厳禁かなと近寄ってみると・・・・
野宿厳禁だって
さて、淀城跡公園をぐるっと一周したので、今度は500mほど離れた納所(のうそ)に向かいます
桂川のほとりで、このあたりが、淀君のいた淀古城のあったところです
納所は、京と大坂をつなぐ重要な港で、皇室に収める穀類の蔵があったのでそういう地名なんだそう
江戸時代、朝鮮通信使の上陸地でもあり、上陸用の階段(雁木)がありました
で、ここに「唐人雁木旧趾」の石碑があります
すぐ隣にお米屋さんがあるのは、「納所」の名残なのか、偶然なのかはわかりません
気になるけど、何も買わないのにお店に入って「どうなんですか?」と尋ねるほどの強心臓ではないし
ここで、おとーさんがスマホでちゃっと調べると、この石碑の前代(?)が淀城跡公園に移設されたという
(確かに、この石碑はとっても新しいわ)
そこで、また公園に戻り、移設後の写真を参考にしながら探しました
が
ないよ~
社務所のお姉さんにもきいたけど見つからないよ~
と、二人で探し回った結果、稲葉神社のすみっこに横たわっていました
唐の字が横向きになってるのが見えます
移設後、撤去されたようです
う~ん、確かにここに「唐人雁木」があったのではないけど、なんかちょっとかわいそうな気がするなあ
公園を出て、淀駅に向かう途中、古い道標がありました
途中で折れちゃったのを修理してあるようです
ここにずっと置いてもらえるといいね
駅の入り口に、浸水ステッカーがありました
もちろん「津波注意」ではなく、「洪水注意」です
「桂川が氾濫すると、4.1mまで浸水します」と書かれています
写真には写っていませんが、地面から4.1mの高さに線がひいてあり、なんとそこまで水がくるという
このあたり、現在の桂川、宇治川、木津川の三川合流地点に近く、昔からさかんに治水が行われてきた場所です
今でも、すごーい大雨が降ったら危ない、ということがわかるステッカーです
一番安全なのは電車のホームかな、高架だしな、なんて考えながら帰りました
今後、コロナが順調に落ち着いてくれて、また以前のようにあちこちふらふらと歩けるようになりたいなあ