イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

大栗川散策で、悠久のむかしからの防衛機制の在り方を考える!(縄文からの風 ① 10/10)

2015-01-20 | 第二章「五感と体感」

 マッサンも今週からは北海道余市。もう、お酒はしばらくウィスキー「余市」を楽しむしかないようだ。

 しかし、余市の熊さんの家では、予想外の出来事がつぎからつぎに。金を借りに来た人を棍棒をもって追い出す熊さん。それに対し驚き英語で反撃するエリーさん。その場をまるく治めるために、不思議な通訳をするマッサン。・・・

 身の危険が生じたり、都合が悪くなると、人は自分を守るために防衛機制を働かす。過剰な反応をする反動形成。カーテンをしめたりする逃避。場をなんとかつくろう合理化。・・・場が北海道ということもあり、何か縄文の祖先の防衛機制の所作を妄想したりしてしまった。

 フロイトの防衛機制というと、教科書でもかなりネガティブに表現されていることが多い。私も学生時代に本を読んだりして学んだが、ネガティブな印象を持ったし、一応学んだあとは忘れてしまう知識であった。

 だが、「生き甲斐の心理学」にU先生を通じて出会うと一変する。フロイトの14の防衛機制は、テキストでもかなり詳しく説明され、知らない知識も沢山。防衛機制の説明もただ、これはこういうものだ・・・というような定義のようなことだけでなく、こころの安定を促すポジティブな面など、きちっと説明されている。さらに、欧米の臨床心理の国家試験ではないが、自分の防衛機制の経験をしっかり学ぶ姿勢まで丁寧に書かれていたのだ。

 個人的には3年前に、フロイトさんの住まいであった記念館や、近くのウィーン大学のフロイト像を訪れる機会があり、それからフロイトの14の防衛機制は、より一層身近に感じるようになった。

 日々の感情生活を健全に保つためには、防衛機制をより理解し使いこなす必要があるのだと思う。さらに、意味深い人生計画を立てたり、日常の仕事や人間関係でも、この知識は極めて大事だと思う。U先生の生き甲斐の心理学ではエンカウンターをはじめ、防衛機制を使いこなす学びも上手く表現されていて、是非多くの方に触れてほしいと思う。

 さて、昨日は久しぶりに夕方、大栗川沿いを散歩した。もうじきダイヤモンド富士が観られる時期(有難いことにSさんから教えていただいた)なので、太陽の沈むところを見たかった。川には、いつものように鴨さんやセキレイが羽を休めたり、餌をあさったりしていた。今は多摩ニュータウン建設の影響で蛇行のない護岸工事きっちりの川となっているが、一昔前には良く氾濫し大変だったとの昔話を聴くことが多い。縄文時代には、海進があり、この川も、もっと大きく、祖先たちは違った大栗川で生活していたのだろう。

 しかし、川の上流方向には丹沢山系の最高峰蛭が岳が見え、ちょっと右には富士山が。景色は、きっと変わる所もあったらだろうが、変わらない所もあっただろう。日本人の防衛機制の特性。それも、変わらないところもあるに違いない。

 一万年以上にわたる縄文時代は、ユニークな国民性を産みだしたのではと私は内心思っている。国際比較するとすぐわかるが、日本人の自死比率は結構高いが、日本人の他殺(殺人)比率は著しく低い。そんなデータもあるようだ。日本人の特性ともいえる、いくつかの特徴はひょっとしたら一万年以上の時間で育まれてきたのかもしれない。

       

 大栗川の散歩で健全な「もののあはれ」や「幽玄の美」、「侘びと寂」を感じたりして・・・

縄文からの風① 10/10

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縄文時代の宗教はどうだったのだろうか?(縄文からの風 ① 9/10)

2015-01-19 | 第二章「五感と体感」

 「生き甲斐の心理学」を学んで15年になるが、まさか縄文の宗教やそれ以前の宗教について思索することになるとは考えもしなかった。しかし、日本人の心の仕組みや生き甲斐を考えたりするなかで、必然的にこんな風になってきたのだ。

 縄文時代の宗教について真面目に勉強するには、世界の民俗学や宗教学の知識が必要であるし、当然ながら日本の考古学や歴史、先輩の研究も必要になってくる。最近では遺伝子人類学などの科学の分野もとても重要だ。もう私のように還暦を過ぎた人間にとっては、まじめに研究するにはちょっと時間が足りない。

 しかし、日本人の宗教(自分もその一人)や宗教的情感を思索する上でもたぶん避けて通れない課題なので、風車に向かうドンキホーテのように関係書籍を読み、必要な活動(等身大の活動)ができればと思っている。だが、こうした研究を力ある人が真面目にやれば、今の宗教問題などへ随分貢献するのではと思うのだが・・・これは単なる私の妄想なのだろうか?

 今、相反するような極端な二つの文化の宗教について本を読んでいたのだが、西アジアで都市国家を形成する文化では神様が新旧合わせて2000とか3000リストアップされるらしい(主要な神様は6人とか10人とかと少ないが)。民族の統合や、複雑な人間社会(ヒエラルキーが厳しい)を投射しているようである。一方、狩猟採集型に近いと思われるある北米の部族の宗教は、神様が3人とか少なく、何か三位一体のような神様どうしの連関もあるようだ。

 縄文の神様も、様々な要素があるのだろうが、日本の研究者は比較的単純(北米の部族のような)に考えていらっしゃるようだ。他の部族を略奪したり戦争する文化は、当然ながら文字を持ち、複雑な統治システムを持つので遺跡などは豊富なようだ。一方平和でエコロジカルな部族は、その必要がないので複雑な統治システムや文字もなく宗教の内容を残す(口述伝承はあるが)ことも少ないようだ。ただ、どちらが良いのかと言われれば、どちらが幸せに暮らせるかと考えれば、何ともいえない。また、理論や体系を別にして宗教的感情という観点から考えると、とても似ているかもしれない。

縄文からの風① 9/10

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見えない月を観に!(縄文からの風 ① 8/10)

2015-01-18 | 第二章「五感と体感」

 今日は、某所で宮沢賢治の読書会があり、その中で『二十六夜』の課題があり朝読んでいたが、ふと今の月は如何なものかと気になり調べたら今日は月齢約27日。ひょっとして見えるかもしれないと早朝に起きだした。久しぶりの快晴で八王子も確実に氷点下であったが、月が・・・と寒い戸外に飛び出した。

 Google skyを見て太陽の近く、やや右上あたりに鎌形の月が見えればと眼を皿のようにして探したり、写真でとって拡大したりしたが、日が随分登っていたためか判らなかった。残念。

とは言え、幸せなことに、富士山は寒さにかかわらず一層美しく輝いていた。

 

大栗川沿いに観える丹沢山系と富士山のハーモニーもいつもに増して美しい。

    

大栗川が蛭が岳に向かっているところは感動的だ。この景色は近く(多摩境)の縄文晩期のストーンサークルからも見える景色だからだ。

 

 さて、縄文土器(八ヶ岳山麓の土器等)には、半人半蛙像などよく描かれるが、それは月を中心に蛙や水、女性をイメージしたもののようで、最近図像学的に解釈が進んでいるようだ。勉強していくと、縄文人には、かなり正確な月の観測に基づく知識があり、驚いてしまう。太陰暦的世界観がそこにはあるようだ。

 しかも、半人半蛙像は日本だけでなく、中国をはじめヨーロッパ等の世界の新石器時代の土器等にも描かれているのも興味がつきない。

 話は「二十六夜」に移るが、主人公が穂吉というフクロウであるが、新月の前の鎌形の月のイメージが穂吉という名前に繋がるのは驚きだ。そして、フクロウに象徴される他の命を殺して生きる禽獣の罪深さ、罪悪感のテーマは、死と再生の物語により解決されるようだ。

 それは賢治の仏教思想とのつながりが大きいと思うが、キリスト教の十字架の贖罪の思想も彷彿させ、さらに新石器時代の神話(例えばオオゲツヒメの話など)なども彷彿とさせる。宮沢賢治の童話が普遍的なんだなと思う。今の殺伐とした現状を賢治はどう思っているのだろうか。

縄文からの風① 7/10

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マッサンのウィスキーを飲みつつ、5000年前の信仰を妄想する!(縄文からの風 ① 7/10)

2015-01-17 | 第二章「五感と体感」

 マッサンもいよいよ北海道に行くようだ!マッサンの竹鶴政孝さんは、広島県竹原の生まれ。私の父をはじめ祖父、曽祖父までお世話になった町である。親戚によると、街はマッサンで活気づいているようで嬉しい限りだ。私も、応援してマッサンのウイスキーを時々飲むようになったが、その味覚の中に自分の故郷のほんのりとした香りを感じるようでついに3本目となってしまった(笑)。

 竹原は、一昔前は塩田、酒、葡萄で栄えた町で、特に塩田は江戸時代も赤穂と並んで盛んだったそうだ。そして、竹鶴さんだけでなく、池田勇人、江戸時代の頼山陽の実家もある。私も物心が付く前から再三両親に連れられて訪れたが、隣りが酒造工場、実家の生業が葡萄畑、葡萄畑までは一面の塩田。祖父も冬は杜氏の仕事。どっぷりと竹原的な生活を楽しんだようだ。大人になってからも、親戚縁者での飲み会は酒豪の集まりで、いつも記憶が途切れてしまった。

 さて、心に深く残るのは、実家・竹原の信仰であった。昨年和田竜さんの「海賊の娘」を夢中で読んだが、広島の安芸門徒が大阪城に支援にいくのだが、その出が竹原周辺である。街には浄土宗、浄土真宗のお寺があり、その伝統は今でも生き続けているようだ。私は、母の信仰の縁でカトリック(キリスト教)なのであるが、信仰の何であるかを知ったのは教義は違うかもしれないが、竹原の影響が甚大だ。

 宗教は教義も大切だと思うが、どのような神仏のイメージを持つか・・・そんなことも忘れてはいけない側面だと思う。

 5000年前(アイスマンの時代、縄文中期)のことをこのところずっと考えているが、縄文の遺跡や遺物を考えたりするときに宗教や宗教的感情は絶対に重要だと思う。残念なことに、縄文時代は宗教があることは確実だが、その内容については文章が残っていない。7-8世紀に古事記や日本書紀が作られたときに口述筆記をしたと思われるので、縄文の宗教のある部分は今に伝わっているようにも思うが、古い時代の文章が残っていないのは致命的である。

 しかし、世界を探すと文章で最も古いのは、4600年前のころのものが西アジアで見つかっている*1。そして、そのころの人々の宗教的心情なども残されているのだ。昨日から、その関係の本を有難くも教えていただき味読しているのだが、眼がひらかれる思いである。

 世の中では、よく多神教、一神教という単純な議論、あるいは教義理論で宗教を論じる人が多いが、どうもそんな単純なものではなく、グラディエーションをもつ不思議な世界だと思う。縄文のビーナスは何だったのか・・・いろいろ考えられる。四位一体の神という意見も傾聴しなければならないのだろう。

 自分の生育史を探り明るく解釈する旅は、どんどん深まり、今は5000年くらいのむかしに遡ってしまったが、決して手がかりがないわけでもなく、妄想は楽しい世界をもたらしてくれる。皆さんも、生育史を大切にして、ご一緒に5000年前くらい前まで行きませんか!

*1 シュメール語で書かれた文章であるが、その後古ヨーロッパ文字がさらに1000年遡るとされているが、まだ、解読されたりしていないようだ。

縄文からの風① 7/10

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5000年前の戦争と平和!(縄文からの風 ① 6/10)

2015-01-16 | 第二章「五感と体感」

 昨日は夜「WOOD JOB」(ウッジョブ! 神去なあなあ日常 三浦しおん原作)をDVDで観た。以前、NPOで奈良ツアーをしたときに、現地のタクシーの運転手の方から吉野の森の問題をお聴きしていたことがあり、それから忍び寄る林業の危機に関心を持つようになったのだ。

 今住んでいる八王子も東京都にありながら森林に恵まれた土地でもあり、住いの近くにも里山が結構ある。写真の小さな神社の祠には、賽の神、山の神が祀られている。これも実に縄文的であり、それを守ってきている住人達の信仰にも感動する。

 そんな中のDVDであり、また作品も良くできていたこともあり、DVDを楽しく鑑賞させていただいた。私の友人も、以前林業の資格を取るために研修に参加していて、こんなことをしていたのかな・・・など興味がつきなかった。最近観た日本映画の中では、一押しの映画だと思う。お時間のあるかたは是非。三浦しおんさんの原作も是非とも読みたい。

 さて、縄文中期に位置づけられる5000年前。その時期にアルプスで遭難したアイスマンのことを今日も妄想している。5000年前当時の日本は16000年前ごろから3000~2500年前までの縄文時代の真っただ中。そして、縄文時代には部族間の戦争などの痕跡(武器も含め)がなく、戦争が無かった文化が定説となっているようだ。しかし、外国はヨーロッパ、西アジア、インド、中国と(まあ、日本以外)は部族間戦争が当たり前だったようだ。

 そして、ヨーロッパ中部のアイスマン(エッツィと愛称されている)もどうやら47歳でアルプスの海抜3200mの地点で殺害されたのが定説化されている。詳細は判らないが、ヨーロッパではこの時代に部族間の戦いがあり、村人を皆殺しにし埋めた遺跡も見つかっているようだ。そんなことから、アイスマンも部族間の争いに巻き込まれたとの見方もある(背中を矢で射られ、頭にとどめを)。

 今の時代も、世界中で悲惨な殺害が起こったり、とんでもない事故や自然災害が起こっている。本当に悲しむべきことだ。そして、そんな現場に居合わせたり、あるいはそこまで行かなくても、こころが傷つくことが世の中満ち溢れている。そして、それゆえに心の病を招いたりする。

 今日は、たまたまU先生のDVD「元気に生きる」を拝見させていただいたが、南米での凄まじい体験の中で、「五感で傷ついた時は、五感で癒す」というブラウン先生の教えが正しかったことを述べられていた。わたしも、実感できる体験があり肯いてしまった。

 何となく、殺伐としていて五感がいつもと違うような時。富士山を観たり美しい芸術に接したり、静かにモーツアルトを聴いたり、おいしい食べ物を味わったり、美しい自然の中で土の匂いをかいたり、ペットに触れたり、・・・・五感を意識して癒すと元気をいただくようだ。

 アイスマンは、哀しく殺害され5000年の長い年月を氷の中に閉じ込められ続けた。それは、死体なのでしかたがないかもしれないが・・・しかし魂が天にのぼり、魂の五感で癒される。そんなことがあればと祈りたい。

縄文からの風① 6/10

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