マッサンも大人になったのか・・・自分の五感と体感を信じ、感情を大切にする。そんな生き方ができれば良いが、世の中は厳しい。マッサンの後のアサイチでも、信念を貫くのか長いものに巻かれるか・・・そんな大人でも頭を悩ます会話が印象的であった。
誰でも、子供のころは自分の感情をストレートに述べたりするものだが、周りからあれやこれやと言われたりし嫌になるものである。そのうち、そうした感情を持つこと自体に自己嫌悪をもったりし、自分の感情をすら否定的に捉えることが多くなる。
今は入試の季節が迫っているが、ふと受験の経験を思い出すことがある。受験時は当然だが、受験勉強の時や模擬試験でもいろいろ感情が蠢く経験だ。その中で、中学三年の時の模擬試験の思い出が印象的。苦手な国語の試験で、ちょっと風邪気味で風邪薬の影響もあったかもしれないが、問題を読んでも全く頭に入らないことがあった。そして、時計をみると時間がどんどん過ぎる。慌てる、慌てる自分に自己嫌悪を感じ、ますます問題が頭に入らない。そんな風にして手が付かない状態で試験の時間が終わった。
試験の結果は当然悪かったが、今から考えると感情の処理というのか、そういうものが本当に未熟であったようだ。今でも慌て者ではあるが、やはり、慌てる時に、慌てる感情を自己肯定的に捉えるかどうかがポイントかなと思う。
慌てるのは、時間が迫っているので当然。感情自体は悪くない。慌てる感情は正常だ。その中で自己嫌悪せず何をするのか・・・一呼吸できると随分違うように思う。そして、防衛機制をうまく使って心を安定させ、最善を尽くす・・・
ちょっと話は変わるが、5200年前のアルプスで遭難したアイスマンの所持品は実に貴重なものだったが、その中にアイベック(アルプス・ヤギ)の頸椎の骨や角があったようだ。獰猛なアイペックは当時食糧、医療などにも使われた貴重品だが、護符としても使われた可能性もあるようだ。アイスマンも様々な困難に遭遇したのだろうが、その時、自己嫌悪せずにアイペックの角を握りしめ歯を食いしばったりしたかもしれない。今も受験の大切なアイテムにお守りや合格鉛筆などもあるが、馬鹿にできないものだ。フロイト理論では防衛機制の摂取なのだろうが。
縄文からの風① 4/10