私は2年前に大手新聞社の購読を中止した。年間4-5万円とか支払い、購入する価値があるとは思えなくなったからである。また、必要な情報はインターネットを通して得られる時代になったからでもある。若いバリバリのビジネス・パースンで新聞を購読しない方もいらっしゃるので、新聞購読が社会人の常識ということも揺らぎ初めているかもしれない。その証拠に、全体的に新聞購読が減ったのか、地域の広報誌も新聞折り込みで配布することを辞めている市町村もでてきている。私の購読中止も、社会の流れの一コマに過ぎないようだ。
ただ、それが良いか悪いかは、簡単に言えない。お金を出し時間を削って購読新聞を読まされたというストレスは無くなったが、情報を選ぶことで、不安定になる可能性も増えたようだ(人間には、ますます情報を得て不安感が加速したり、心がかたくなになる傾向もあるようだ)。昭和30年台のように、皆が同じように新聞を読みテレビを見ていた時代が懐かしい。キューバ危機みたいな、子供から大人まで不安になることもあったが、野球や相撲を楽しんだり、鉄腕アトムを見たり。そうだ、当時は科学の進展、原子力平和利用に何の疑問も抱かなかった。
ちょっと脱線だが、深夜に原発のノンフィクション番組を見ていたら、日本テレビや読売新聞の正力松太郎氏がCIAエージェントだったことを知った。そんなことを、今さら言われても・・・しかし、当時は新聞やテレビを疑念を抱かず信じていたものだ。大好きだった鉄腕アトムも政治的に利用されていたのかもしれない。
今の時代は、自己責任が急に言われ、自分で物事を理解し判断しなければいけない時代になってきていることもある。3.11以降の原発の問題も顕著。事故後、直ぐに西日本や海外に疎開をした人々もいる。また、私のように地域に留まる人も沢山いる(それぞれの想いを秘めて)。原発事故情報。今では事故当時は明らかになっていなかった情報もかなり入手できる。西欧の国営メディアの福島原発事故のドキュメンタリーから、日本のマスメディアでは得られない専門家の情報もYouTube等で得られる。そして、個人的な様々なブログも。
そして、情報が溢れるほどある中、こころを平静に保ち自分を失くさない智恵も大事になっている。「生き甲斐の心理学」でいうと、そのポイントはカール・ロジャースの人格形成論の命題1に集約される。
個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界に存在する。
人が何と言おうと、ありのままの自分に戻る。そこに意外にも平安のオアシスがある。人から自分を信じなさいとか・・・そういうことと、ちょっとニュアンスが違う。平安のオアシスの中に、自分の回答もあるものだ。
さて、命題1はとにかく、自分の過去の拙い経験を振り返っても、ぶれている自分の時が何回もある。いつの間にか他者が中心で、自分が無くなるようになったり。自他混同、理想と現実の混同、感情喪失の不健全さの時でもある。では、ぶれている状態からの回復。それはどうするのか。万人向けの回答は残念ながら無いようである。しかし、そうしたぶれている時から、いつの間にか回復してきた経験は、意外と私も含め誰でももっているようだ。それは、どのようであったか?この思索が一番大切だと思う。私もしばらく考えてみたい。
のんびり暮らす 6/10