イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛のイメージが変わると世界が変わる!(個性の美 6/10)

2012-04-14 | 第十章「今ここでの恩寵」

 今年の正月は近年珍しく家族で病気の寝正月を迎えたが、その後は良い意味で刺激的な年となっている。生計を立てている仕事でも、配置転換があり、新しい出会いがあった。また、2月には中欧旅行でウィーンに行ったり、今度の5月も大叔父さんの墓標がある台湾に行く話も本格化する。おまけに弟の関係で夏にハワイという話も。

 この10年を振り返っても実に多彩な行動的な一年になりそうだが、内面的にも大きな変化の年である。

 そのきっかけは、厳寒の中欧旅行だったと思う。P.ネギシェギ神父やEgon Brunswikの生まれ故郷のブタベストを訪問したり、フロイト記念館や銅像のあるウィーン大学を訪れたり、フランツ・カフカの故郷プラハに行った。五感で体験することで、今まで理解できず留まっていたことが流れるようになったようだ。ロロ・メイの「愛と意志」は気になっていたが、今まで読んでも頭に入らなかったが、帰国後スイスイと頭に入り、自分の愛の概念が激変した。

 愛といっても、さまざまな愛がある。哲学的にもエロスの愛、イドの愛、カリタスの愛などもある。日常においても、親子の愛、共同体の愛、男女の愛、神仏の愛など、これも多彩である。ただ実際には、生まれ育った自分史から、自分の愛のイメージがなんとなくできてきて、それが生活を支配してしまうようだ。狭い愛のイメージというか。そして、思考範囲とか行動範囲を決めてしまう。

 私の場合は、どういうわけか政治などは愛の世界の対象外であった(つまり本気で興味がわかない)。それが何か繋がってくる感じなのである。

 狭い愛から広い愛へのアップグレード。それによって、何か見えてくるものが広がる。

 愛の概念が変わってくると、今まで感じられなかった人の愛が見えてきたりする。嫌な人の行動が何か愛らしいように感じることも。

 自己愛パースナリティ障害において、愛の概念の変化は大切だといわれている。ホントだなと思う。

 個性の美 6/10

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中国の田舎の生活を想う!(個性の美 5/10)

2012-04-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

 太極拳の師匠、A先生から教えていただいた小川空(おがわそら)さんの漫画、「中国いかがですか?」を楽しんでいる。特に興味深いのは延安という、毛沢東の生誕の地(農民の平均年収が800元-10,400円 1元13円とすると-に満たず、都市部の1/10以下の所得といわれる)での生活だ。日本ではふんだんにある水すら制限されている貧しさに驚いたり(計画停電は経験したが、計画給水は?しかも給水のタイミングが極めて厳しい)、作者の異文化体験、人間の愛の体験というかをなぞることができる。 

 日本も3.11で何かが変わり、何かありのままで素朴な本物志向が強まっているように私は感じている。しかし、3.11よりずっと前から中国に(それも延安などに)長期に住まわれている小川空さんのバイタリティには頭がさがる。

 極貧の生活。私は戦後生まれだが、食べ物に困った時代ではすでになかった。父母の世代からが、そうした本物の貧しさを経験したようだ。貧しい生活でしかも、兄弟が多い時代は、今と比べると随分違う。父母の話などを聴くと、そういう時代に生き抜いた楽しい話が思い浮かぶ。ある種の自己顕示が、漫画のようにおかしかったりだが、それは健全でむしろ美しい。

 しかし、今の世の中では、こうした健全でない自己顕示が存在し問題のようだ。誰でも(私を含め)、大なり小なり、そうした傾向があると思うのだが、自己愛パースナリティ障害の特徴のひとつに<絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度>がある。何かはだかの王様のような感じで、自慢話をちゃんと聞かないと不機嫌になったり、人に迷惑をかけることも。原因は深層での愛の孤独の対処のしかたのようだ。詳しくは左のU先生の「生き甲斐の心理学」の第一章を参照のこと。

 個性の美 5/10

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ありのままの等身大の世界はイイもんだ!(個性の美 4/10)

2012-04-12 | 第十章「今ここでの恩寵」

 9年前に会社を辞めると、28年かけて築き上げた習慣が身についてたこともあり、名刺がないのがとても気になった。職業訓練も終えて働き出すころには、名刺を携えていろいろ活動したが、以前のような会社をバックにした信用というか・・・そういうものは当然無く、自分の等身大の世界に気づくと同時に、今までの世界が何か誇大感を産む世界であることに気付いた。

 誇大感は逆の卑小感(愛の孤独だろうか)と裏腹で、今ここのリアルな自己自身の実感に基盤があるのではなく、何か根無し草的な観念的な世界に基盤があるようだ。

 例えば、他人からどうみられるか?どうも人は幼いころより、その点に敏感になるように育てられるところがあるようだ(多い、少ないはあり、また日本の恥の文化はそれを助長するところも)。

 さて、自分の愛の原型を思索すると、3歳のころに両親から積み木で褒められた甘い思い出が浮かんだり、アラスカで真冬の海岸で遊んでいて海に落ち母にバスタブに運び込まれた思い出が浮かんだり、アラスカで隣のBさんが登校中に側溝に落ちそうにになった時に助けてくれたり・・・こんな風に、愛の原型の中では、大人のエゴ(さきの例では、将来祖父のような建築家になってほしいとの願いが微かに感じられるが)が投影されているものもあれば、無償の愛といった理屈抜きの経験もある。

 そして厳しい世の中を生きる中で、、特定の愛の原型を抱きつつ逞しく生活をするようになる。その時に、他人から褒められることを優先志向したり、他人からの愛が判りにくくなったりで、ちょっと病的な領域な入ることもあるのではないかと思う。

 青年時代など生育史といろいろ関係するのだろうが、それが高じてくると、ありのままの等身大の自分を生きるのではなく、自分の重要性、ユニークさに対する誇大感で生きる傾向が加速するのではないだろうか。理想と現実の混濁もあるかもしれない。

 自戒をこめて思うが、世の中には上から目線で<自分は重要な立場・仕事をし、人間の器、性格、能力、個性の美もあり、あなたとは違う!>そんな雰囲気の人を時折見かけることがある。そして、さらにその人に否定的な言動をすると、信じられない反撃にあうこともある。

 職場で、こういう人がいると周りが何か暗くなり、時に精神的に参ってしまう人がでたりする。

 <自分の重要性、ユニークさに対する誇大感>。そういうものを感じたとき、変に自分を責めたり悩んだりするのではなく、ひょっとしたら自己愛の問題かなと気が付くと救われることがある。詳しくは、自己愛パースナリティ障害について述べてある、左の「生き甲斐の心理学」をご覧ください。

 また、私は<自分の重要性、ユニークさに対する誇大感>が自分の中に変に沸き起こる時は、ありのままの自分に戻るべく、身体を動かしたり(太極拳など)、静かに祈ったりする。また、ありのままの自分とは何か?愛とは何か?こうした思索も大切なようだ。

 個性の美 4/10

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つらい線引きに想いを寄せる!(個性の美 3/10)

2012-04-11 | 第十章「今ここでの恩寵」

 もう9年前になるが、長年勤めた外資系企業をやめ、「生き甲斐の心理学」の応用活動としてグループリビング建設をめざしたことがある。そして、真剣に公的訓練で福祉・介護の勉強をした。その中で、線引きの問題を身に染みて感じたことがあった。たとえば身障者に対する支援のための国の基準があるとする。それは、ないより良いかもしれないが、基準にてらして国のサービス(これをサービスといってよいやら?)が受けられるかが決まる。問題なのは、その基準から外れた場合である。特にボーダー線付近の方は何とも言い難いつらい経験をされるケースがある。

 こうした基準や線びきは、もう気が付かないほど世の中にはたくさんある。

 地球というイメージも、生まれてから何回もみた世界地図や地球儀のイメージがつよく。日本中心のあるイメージが自分の中に占められている。そして、最近の人口衛星や宇宙船からの地球映像を観ると、地球というのはこんな風なんだと逆に驚いたりする。

 私は学生時代、数理統計学を勉強したが、世の中の現象の多くは、基本的には分布(正規分布など)として考えられるもので、簡単に線引きできる性格をもつものは少ない。ところが、世の中は分布と線引きを混同しがちである。確かに線引きをすれば、判りやすく一刀両断で動きやすくなる(見ていても恰好がイイ)。でも線引き主義は危険と裏腹である。

 極端なケースであるが、ホロコーストのユダヤ人。ユダヤ人の定義一つで信じがたい人が亡くなった。ただ、今考えてみれば、現世人類は5-6万年前には同じアフリカを出立した種である。同じ現世人類という定義からすれば人類70億人全部がユダヤ人と言ってもよいかもしれない。適当に定義されたユダヤ人の血が1/4ならどうかとか・・・そういう定義で人の命が決められていく。

 線引きがすべて悪いとは思わない。それにより様々な恩恵が受けられるシステムが作られるからだ。私も60歳になり、いろいろ恩恵を受けることができ幸せである。ただ、線引きの負の面も知っておくことは大切。

 線引きの話題で気になるもう一つは、自己愛パースナリティ障害の特色に<対人関係が過度の理想化と蔑視の両極端の間で激しく揺れ動く>というものである。こういう傾向は誰にもあり、自分も自戒の意味でこの特色を時々思い出す。因みに、自己愛パースナリティ障害については、左にある「生き甲斐の心理学」第1章を参考にしている。ご興味のあるかたは是非アマゾン等で入手されたらと思う。

 個性の美 3/10

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「自己愛」の水仙に想う!(個性の美 2/10)

2012-04-10 | 第十章「今ここでの恩寵」

 もう10年以上読み込んでいる「生き甲斐の心理学」。理性的な愛「カリタス」を大事にしたU先生の心理学のテキストなのであるが、その冒頭の章は「自己愛パースナリティ障害」の話なのである。初めて出会った時、心理学の初心者の私にとって、高尾山登山を考えていたのに、突然ヒマラヤの絶壁を観るようで驚いたものだ。

 自己愛はフロイトがギリシャ神話のナルシスの話を取り上げ有名になったが、フロイトの時代にはそれほど事例は多くなかったようだ。ただ、時代の変化とともに「自己愛」の問題は大きくなり、現代はこの問題で苦しむ人はとても多いようだ(しかし、どういうわけか殆どこの問題は取り上げられない)。

 私は、社会人になってから、人と関わる仕事が圧倒的に多かった。営業やケアに関する職種など、人と関わる仕事を感情労働と言ったりするようであるが、そういう仕事を実際にしながら、ナルシスに接し疲れ果てるニンフの気持ち理解できるようになった。そして「生き甲斐の心理学」をU先生から学ぶようになり、世の中に蔓延る強烈な「自己愛」の問題がある程度理解でき、眼のうろこが落ちたようであった。

 さらに「生き甲斐の心理学」の勉強会を自分で8年前からやるようになってからも、このテーマはいつも手ごたえを感じ、このテーマがなぜ「生き甲斐の心理学」の冒頭にでてくるのか何となくわかってくるようになった。

 ナルシスは、ナルシスを愛するエコーやニンフの気持ちが判らず拒否してしまい、悲しいめに合わせてしまう(エコーなどは、それこそ木魂になってしまった)。そして、最後には復讐の女神により水に映る自分を恋するという罰がナルシスに与えられ水仙になってしまう。

 悲しい話ではあるが、ギリシャ神話の作者は、「自己愛」に病理のあるナルシスを美しい水仙にすることで、ナルシスを最後には美しく受容するようだ。そこがなんとも言えないギリシャ神話の美しさであり救いである。

 誰でも、私も含め自己愛の問題を起こしがちな世の中である。しかも「自己愛」に問題がある人は病識を持たず、さらに社会的地位が高かったりで、対処方法如何では致命的に傷つけられることもある。病理にたいする知識を持ち、自分も他者も幸せになっていけばと願う次第である。

 個性の美 2/10

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