宮城県の山元町に先日行き、つらい経験をされたBさんの案内を受けて津波の被害現場に行ったり、大変なつらい目に会われたNPOの方々のお話を頂いた。そんなことで、やまもと民話の会の冊子「小さな町を呑みこんだ 巨大津波」の語りが実にリアルに迫ってくるようになった。目の前で悲惨な光景を体験されたり、大切な方を失ったりされた方のお気持ちはどんなものなのだろうか?
今回の訪問では、子供さんの姿を見かけなかったが、子供さんも含めどんな心の傷をおったのか本当に心配である。
今日は、自分のことを語りたくなった。心の傷は、さまざまな感情世界の中で体験することで、それこそ現世人類70億人一人ひとりが違うので、対応も70億人分の多様性があるのだと思う。私も小学校一年の6歳の時に、目の前で友達がオートバイにひかれ倒れ亡くなった。別にそれが、傍目には特に問題はないように思われたが、今考えてみれば50年くらい引きずった。生き甲斐の心理学をU先生やNPOの仲間から12年学んで自己分析をしているうちに、初めてその時の傷から開放されたようである。
その時の心の傷で、具体的には車に乗るのが嫌いになったり、いやいや免許をとった車の運転にも何となく自信がなかったりした。しかし、一番問題は、エリクソンでいうと目的志向性の時期でのことでもあり、人格形成にもく暗い影を落としているようでもある。まあ、50年近くひそかに沈殿していた大きな問題だった。今は、そのメカニズムをほぼ解明し楽になったのだが。もっと早く、心のケアが、たとえば小学校の段階できちっと行われていたら、私の人生も変わったかもしれない(もちろん、そうでない今の自分の人生も不思議な意味もあるようで、今日ブログを書いているのはその出来事のお蔭かもしれない)。
6歳の時の出来事を語ってみよう。A君とB君と私の3人で朝小学校に登校する時におこった。新しいランドセルを背負い、交通安全用の黄色い帽子をかぶり3人で通学していた。ただ、3人は外堀通りを自動車やオートバイが結構通る中、道路を横切る怖い遊びをしていた。A君がリーダシップをとり、猛スピードで迫る車の合間を駆け抜ける遊びをしていた。私も、そんなA君について道路を横切っていた。そんな中で、A君が急に道路に飛び出し、かけ抜けようとしたもののオートバイにひかれ倒れた。
その時の私とB君の反応は、大慌てで倒れたA君に近寄ることもなく、小学校にかけて行き職員室の教員に説明したがうまく伝えることができなかった。そして、いつものように授業をうけた。
その後、A 君がなくなってから、A君のお母さんとお話したことは覚えているが、私も特に健康を害したわけでなく、そのままになった。それが問題だったようだ。
50年後、生き甲斐の心理学を学んだ私は、この出来事を考えるときに、A君がひかれたとき、どんな感情をもったかを思い出そうとしていた(通常、感情が一番のカギになるので)。そして、外堀通りの事故現場を通りがかったとき、ある感情が沸き起こった(本当に不思議だった)。それは、悲しいとか怖いとかではなく、嬉しいという感情であった。50年前のことなのでちょっと怪しかったが、よく考えてみれば、私はA君に道路横切り遊びで、半分いじめられていたのである。体が小さかった私に対し、A君は体も大きく速く走れた。道路横切り遊び以外でも、A君とは近所の友達とはいえ、私はB君は好きであったがA君はどちらかというと苦手だった。
そんなA君が交通事故にあったとき、自然な感情として嬉しかったのだと思う。しかし、錯乱の中で世の中の倫理道徳に縛られていた私は、その感情を抑制・抑圧し、小学校に駆けて行ったした。そして、そんな行為にどこかに違和感を感じて、少し病的な罪悪感を持ったのだ。
もし、私の周りに心の知識があり、対応してくれたら、きって50年も引きずることはなかったかもしれない。それはどんな対応なのか?生き甲斐の心理学では、ロジャースの6条件のこと、フォーカシングなどを教えてくれているが、まずは心と心をつなぐための基本について明日お話をしたい。
心と心をつなぐ 4/10
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