イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自由に祈る楽しさを大聖堂で学ぶ!(心と心をつなぐ 8/10)

2012-02-14 | 第八章「魂と聖霊」

 今回の中欧の旅行では大聖堂を訪れることが多かったが、ハンガリーのブダペストが印象深かった。というのも、数年前からイエズス会の神学者ペトロ・ネメシュギ神父の著書を読んでいて、共産圏時代のハンガリーの信仰の自由等について想いを馳せていたこともある(私はカトリックの信徒でもあるので)。

 4枚以上のコピーをとるにも、許可が必要な社会。信仰の自由など、推して知るべしである。それが、私が30歳代のころまであったのである。

 ブダペストは、丁度寒波の真っただ中で、近くのドナウ川も大きな氷が流れている状態で、ガイドさんによると7年ぶりのことだとのこと。観光の当日は、車が凍結して動かないトラブルがあったが、それで、じっくり聖イシュトヴァーン大聖堂を訪れることができた。

 厳寒の朝で、訪れる人も少なく、大聖堂を一人占めといった感じであったが、心を惹かれたのは、地元のお年寄りの女性だろうか、静かに一人祈っていた姿を観て感動した(ここはカトリックの教会で、入場料はとらない)。

 そして、自分も彼女の位置から、祭壇を眺めると次のようであった。天国を一人占め・・・そんな感じである。こんな教会が身近にあれば幸せだなあ。

 

 日本では自分を大切にするというと、身体を大切にすることは浮かぶが、自分の歴史や魂の領域というか信仰の世界を大切にすることまで考える人は少ない。でも、本来大切なことではないのだろうか(もちろん、奈良や京都を訪れる時に、地元の信徒の方々の祈りに触れることも沢山あるが)。特に、震災や津波など悲惨な経験をされた方には、こうしたケアがあることを忘れてはならない。

 そして、自分を大切にする中で、人と人の繋がりも深まる気がする。ハンガリー語はできないが、片言でマーチューシャ教会の売店で葉書を買った時に、日本人かなどと訊かれ交わした言葉は暖かった。

 

 夜には、昼訪れた聖イシュトヴァーン大聖堂のライトアップを観たり、近くのドナウ川の夜景も観たりした。しかし、大きな氷が流れてくるドナウ川は寒かった!

 心と心をつなぐ 8/10

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フロイトさんは傾聴の元祖!(心と心をつなぐ 7/10)

2012-02-13 | 第八章「魂と聖霊」

 中欧のブタペスト、ウィーン、プラハに昨日まで約一週間還暦記念?旅行を楽しませて頂いた。寒波到来で心配だったが、交通の混乱もなく、気合いを入れて防寒対策もしたこともあり予想外に快適な旅であった。

 さて、生き甲斐の心理学の恩師のU先生やKさんから教えていただいたウィーン大学にあるフロイトの銅像を見学に行った。生き甲斐の心理学では、直接的にはフロイトの14の防衛機制を勉強するが、そのほか、カールロジャースやエリクソンにも大きな影響を与えているので、生き甲斐の心理学もフロイトなしでは語れない。一度見学したいと思っていた。

 個人的には初めてのヨーロッパ旅行で、慣れない地下鉄にのってウィーン大学近くの駅で降り、何となくウィーン大学の構内に入る。中庭に銅像があるはずだが、館内で迷い途方に暮れていると、親切な人が英語で言葉をかけてくれ正面玄関から入ればすぐに判るということで辿りつけた!

 ウィーン大学にゆかりのある名士を記念して、沢山の銅像等があったが、地味で余り目立たない場所にフロイトの像があった(フロイトはウィーン大学では講師の地位だったとかで、マイナーな位置に置かれているのだろうか?)。しかし、その前に一人の学生がずっと像に見入っていた(感動するほど)。私も、生き甲斐の心理学で難関の14の防衛機制の理解が深まるよう祈りつつ、銅像を眺めた。

 

 次に、地図で見つけた、二つの尖塔で有名なヴォティーフ教会の前のシグモント フロイト公園を訪れ、記念に公園の看板を撮影した。看板は、残念ながらSigumund Freud Parkの文字の大半が張り紙によって見えなくなっていた。ただ、これも世の中全体にフロイトが行きわたり、世界がポスト・フロイト化したためかもしれない。気にすることはない!

 

 ヴォティーフ教会で有名なステンドグラスを観たかったが、見学時間外ということで見られず、さらに、フロイト記念館に向かう。そこは、ベルクガッセ19番地にあり、35歳から82歳までのウィーンでの本拠地で、多くの著作や臨床経験をされたところである。教会方面から道を曲がると急な坂があり、ちょうど雪道で車いすで難儀する方を助けたりしつつ、坂を下り目印の赤看板のFreidを見つけた。記念館はドアが閉まっていて開館しているのかも判らず茫然としていると、通りがかりの人が、ブザーを押し、ドアのノブを押して入れとアドバイスをしてくれて、やっと中に入ることができた。

 記念館の中では、学生の集団で混雑していたが、有名な治療に使った長椅子があった。フロイトは自由連想法を36-40歳ころに、暗示療法や催眠療法等を放棄して編み出していくが、長椅子は催眠療法等の名残を示しているとも言われているが、観ていると14の防衛機制を研究しつつ、心理療法を発展させたフロイトの画期を感じることができる。フロイトはやはり心理療法、傾聴、・・・の元祖なのだろう。

 なおフロイト記念館には、珍しフロイトの晩年の動画映像、そしてミニ古代博物館のような、フロイトの収集したエジプト、ギリシャ等の遺物もあり、いろいろ考えさせられた。丁度、当日は美術史博物館やゲーテの像なども観たので、こうした文化の中で、フロイトが育まれたことも感じた。

 

 参考文献:フロイト 無意識の扉を開く ピエール・ババン著 小此木啓吾監修  創元社

 心と心をつなぐ 8/10

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嫌いな人が好きになることはあるか?(心と心のつながり 6/10)

2012-02-12 | 第八章「魂と聖霊」

 好き嫌いは、感情の中でも基本的な原初感情ではないかといわれている。確かに、湧いてくる感情から、好きか嫌いを判断してみると、意外に判別できるようだ。そして、毎日あっている人に対して、自分はその人が好きか嫌いか自問自答してみると、意外な発見をしたりする。

 過去にトラブルがあり、嫌いになった人がいるとする。それが、たとえばAさんとすると、Aさんにどこか似ている初対面のBさんも嫌いになったりする。Bさんにとっては申し訳ないのだが、人間のこころの動きというのは意識化しにくい部分もあるので、しかたがない。他者をどこかで混同するのだ。

 自分がある人をどう感じているか?結構難しい問題である。たとえば身近にいるAさんは、通常は好きなのであるが、ある状態になると嫌いになったりもする。しかし、すぐに仲直り。これは、基本的に好きな関係なのかもしれない。しかし、ウマが合わないというか、ずっと離れたいと感じているようなケースももある。そして、自分も嫌えば、敏感にそれが伝わるのか相手も自分を嫌う。

 こうしたときに、もうこの人を好きになることはないと思うのであるが、さまざまな世のしがらみの中で付き合う必要があり、ずっと付き合うことも世の中にはあるものだ。そうしたときに、まずは関係改善のために自分が相手をどこか好きになったらなあと思ったりする。しかし、そういう恩寵のような瞬間はなかなかこないようだ。 

 しかし、嫌いが好きになることは皆無ではないらしい。U先生の体験をきいたりして、思索をしたが、これは人間の五感と深いつながりがあり、時として可能ではと思う。やはり、U先生から聴いたことで、心理療法は言葉を中心にした言語療法がもちろんあるが、五感に対応して視覚を刺激する絵画療法、聴覚を刺激する音楽療法、臭覚を刺激する療法等すべての五感に対応する療法があるそうだ。そして、ケースによって、ある五感の中の感覚器が大切になることも。

 眼で見て視覚でどうしても嫌悪感が生じるなどの場合に、聴覚や臭覚などでふと我に返るように感情が変化することもあるようだ。

 感情は自分の意志でどうにもならないところもある。ただ、自己肯定・他者肯定の思想を信じ(たとえば、魂を愛そのものであり、だれでも心の奥には愛そのものが隠れていると信じる)、試行錯誤をしていると、恩寵のように変わることもありそうだ。

 心と心をつなぐ 6/10

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寒い国の暖かい愛!(心と心をつなぐ 5/10)

2012-02-03 | 第八章「魂と聖霊」

 厳しい状態に置かれたときに、どのようにケアをしていくか?その知識については、ロジャースの6条件(受容、共感、純粋と一致などが有名)や傾聴訓練法、フォーカシングなど「生き甲斐の心理学」をお読みいただいたり、勉強会に参加することで身につけることができる。

 しかし、よく考えてみると、そうした訓練も大切なものの、もっと基本があるのではと思う。心の問題は専門家だけがケアすれば良いというわけではない。

 昨日の6歳の時の私の友達の交通事故死の体験を振り返っても、専門家や心の知識を持っている人が周りにいたら、もっとよかったのにと強く思うものの、別の見方をすれば、私の場合は特に専門家が居なくても何とかなったのである(相応の健康的な生活が送れる)。

 では、何故、何とかなったのだろうか? 思い当たるのは7歳の時に父親の仕事でアラスカに家族で一年行ったことが大きかった。日本と違う文化の中で暮らすことは、プラスの面とマイナスの面があると思うが、私にはプラスの面が大きかった。

 アラスカは、米国の中でも人情の厚い地域だと聴いたことがある。理由は厳しい環境の中で生き抜くために、お互いを大切にするということが、身についているともいわれる。私も、一年の間に冬の海に落ちたことや、雪道の側溝に落ちそうになったこともあった。しかし、一緒に登校していた友達に助けてもらっりして今ここに居る。

 言葉が全く通じない中で、小学校のクラスに編入されたときのことも印象的だった。私の気持ちを十分つかみながら、うまくクラスに溶け込ませてくれた女の先生。両親以上の先生の愛に触れたようだった。

 また、私の家族も異文化の未知な環境下で、日本では経験できない団結というか、一致があり、それが、小学生のころとはいえ心地よかった。もちろん、学校ではイジメや喧嘩もあったが、それ以上に楽しく暮らした。

 こころのケアの知識は今の世の中必要だとは思うが、それ以上に、他人の身になって他人の気持ちを思いやる姿勢(お説教のスタンスではなく)、そして愛(好き嫌いを離れた理性的な愛)をもう一度自問自答してみることが、大切だと思う。

 さて、私はアラスカで暖かい心を感じたのだが、先日は東北に、そして明日から一週間、寒波の中欧に旅行します(妻との還暦記念旅行です)。大学生のころに興味をもった、カフカの故郷。フロイトやブルンスウィックの故郷に訪れたいという願望の実現なのです・・・ブログも約一週間お休みします。写真を沢山とってきますね!

 ヘッドは、50年前以上の小学校のクラスの写真(私も写っています)。

 心と心をつなぐ 5/10

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心の傷を癒していく・・・自分につながるために!(心と心をつなぐ 4/10)

2012-02-02 | 第八章「魂と聖霊」

 宮城県の山元町に先日行き、つらい経験をされたBさんの案内を受けて津波の被害現場に行ったり、大変なつらい目に会われたNPOの方々のお話を頂いた。そんなことで、やまもと民話の会の冊子「小さな町を呑みこんだ 巨大津波」の語りが実にリアルに迫ってくるようになった。目の前で悲惨な光景を体験されたり、大切な方を失ったりされた方のお気持ちはどんなものなのだろうか?

 今回の訪問では、子供さんの姿を見かけなかったが、子供さんも含めどんな心の傷をおったのか本当に心配である。

 今日は、自分のことを語りたくなった。心の傷は、さまざまな感情世界の中で体験することで、それこそ現世人類70億人一人ひとりが違うので、対応も70億人分の多様性があるのだと思う。私も小学校一年の6歳の時に、目の前で友達がオートバイにひかれ倒れ亡くなった。別にそれが、傍目には特に問題はないように思われたが、今考えてみれば50年くらい引きずった。生き甲斐の心理学をU先生やNPOの仲間から12年学んで自己分析をしているうちに、初めてその時の傷から開放されたようである。

 その時の心の傷で、具体的には車に乗るのが嫌いになったり、いやいや免許をとった車の運転にも何となく自信がなかったりした。しかし、一番問題は、エリクソンでいうと目的志向性の時期でのことでもあり、人格形成にもく暗い影を落としているようでもある。まあ、50年近くひそかに沈殿していた大きな問題だった。今は、そのメカニズムをほぼ解明し楽になったのだが。もっと早く、心のケアが、たとえば小学校の段階できちっと行われていたら、私の人生も変わったかもしれない(もちろん、そうでない今の自分の人生も不思議な意味もあるようで、今日ブログを書いているのはその出来事のお蔭かもしれない)。

 6歳の時の出来事を語ってみよう。A君とB君と私の3人で朝小学校に登校する時におこった。新しいランドセルを背負い、交通安全用の黄色い帽子をかぶり3人で通学していた。ただ、3人は外堀通りを自動車やオートバイが結構通る中、道路を横切る怖い遊びをしていた。A君がリーダシップをとり、猛スピードで迫る車の合間を駆け抜ける遊びをしていた。私も、そんなA君について道路を横切っていた。そんな中で、A君が急に道路に飛び出し、かけ抜けようとしたもののオートバイにひかれ倒れた。

 その時の私とB君の反応は、大慌てで倒れたA君に近寄ることもなく、小学校にかけて行き職員室の教員に説明したがうまく伝えることができなかった。そして、いつものように授業をうけた。

 その後、A 君がなくなってから、A君のお母さんとお話したことは覚えているが、私も特に健康を害したわけでなく、そのままになった。それが問題だったようだ。

 50年後、生き甲斐の心理学を学んだ私は、この出来事を考えるときに、A君がひかれたとき、どんな感情をもったかを思い出そうとしていた(通常、感情が一番のカギになるので)。そして、外堀通りの事故現場を通りがかったとき、ある感情が沸き起こった(本当に不思議だった)。それは、悲しいとか怖いとかではなく、嬉しいという感情であった。50年前のことなのでちょっと怪しかったが、よく考えてみれば、私はA君に道路横切り遊びで、半分いじめられていたのである。体が小さかった私に対し、A君は体も大きく速く走れた。道路横切り遊び以外でも、A君とは近所の友達とはいえ、私はB君は好きであったがA君はどちらかというと苦手だった。

 そんなA君が交通事故にあったとき、自然な感情として嬉しかったのだと思う。しかし、錯乱の中で世の中の倫理道徳に縛られていた私は、その感情を抑制・抑圧し、小学校に駆けて行ったした。そして、そんな行為にどこかに違和感を感じて、少し病的な罪悪感を持ったのだ。

 もし、私の周りに心の知識があり、対応してくれたら、きって50年も引きずることはなかったかもしれない。それはどんな対応なのか?生き甲斐の心理学では、ロジャースの6条件のこと、フォーカシングなどを教えてくれているが、まずは心と心をつなぐための基本について明日お話をしたい。

 心と心をつなぐ 4/10

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