イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

こうして邪馬台国を想像できることに感謝<感謝の価値>!

2010-02-13 | 第四章「愛とゆるし」

 卑弥呼は何処にいたのか?九州か畿内か、それとも・・・いろいろな説があるが、邪馬台国の所在地論争で、最近の有力候補は箸墓古墳の再評価で畿内説が有力なようである。

 近くの黒塚古墳の展示館で出土した多数の三角縁神獣鏡鏡や発掘模型も見られ、邪馬台国の夢を膨らませた。そして、箸墓古墳を見なければと、車で周囲をめぐり、写真を撮った。中高年の団体が、近くに熱心に資料を片手にして、箸墓古墳(写真)を眺められていたのが印象的であった。

 箸墓古墳は卑弥呼の墓であってもおかしくないとする学者も現れており、歴史が好きな方にとっては、憧れの地なのだろう(私もその一人)。

 さて、昨日書いた安倍文殊院の境内の一角に、ウォーナー博士慰霊塔があった。第二次世界大戦で、知日家のランドン・ウォーナー氏の作成し当時の政府に進言したとされる日本の文化財リストが、役立ち京都や奈良等の文化財の損失を最小限に抑えたというものである。

 石碑に「ウォーナーおじさんありがとう」とあり。感動した。京都や奈良をこうして旅したり(若いころも含め・・)、素晴らしい文化財に触れることもできることを、深く感謝しなければと素直に感じた(ウォーナー氏だけに限定するのでなく)。

 後日触れたいと思っているが、薬師寺で平山郁夫氏のシルクロードの絵画を見た時も、平山郁夫氏が広島の原爆体験を胸に秘め、そして古都を大切にされていることを感じた。文化財は今あるのが当たり前と思いがちであるが、人の生と同じように、今現存する存在そのものが奇跡だと考えた方のが良いかもしれない。

 感謝のこころは、カール・ロジャースのパーソナリティ理論19の命題の第一領域にあたり、ここを大切にすることで、こころの健康に非常に良い結果をもたらすようだ。不安が一杯の世の中、感謝の視点を回復し大切にするのは、大きな智恵である。

 今回の旅で「ウォーナーおじさんありがとう」を見たのは、嬉しかった。

(感謝の領域<日本の歴史>26/60)

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人間の心の本質は不安・・・祈祷を考える旅!

2010-02-12 | 第四章「愛とゆるし」

 心の本質は平安か不安か?どうも、不安そのものという学説が本当のようだ。以前は本当にそうかと疑った時期もあったが、最近は全くそうだと納得している。

 不安感が現実と理想のギャップと考えれば、人間生きている限り、不安が基調であるのだろう。ただ、不安が基調と考えると、なにかそれだけで安定するようなところもある(自分だけが不安ということでないことが判り)。カウンセリング勉強会でも、この認識については、いつも盛り上がる。

 さて、飛鳥から車で20分くらいのところに、安倍文殊院があり、そこの本尊文殊菩薩像を是非とも拝見したいということで、お参りさせていただいた。快慶の作といわれる文殊菩薩も良かったが、丁度受験シーズンでもあり、合格祈願の絵馬などがぎっしりで、驚いた。

 こころの平安をもたらす、心理学でいう防衛機制を大事にしているという見方もでき、微笑ましく思った。受験生の皆さん頑張ってくださいね。自分の大学受験のころは、大学紛争の時代であったが、妙に神仏に頼ることをせず(粋がってか?)、それが深層心理によかったか疑問であった(受験で苦労した)。

 人の力ではどうにもならないことというのは確かにある。どう考え行動するかは重要で、祈りを大切にすることもとても大切だ。祈りは現世利益もあるが、もっと深い祈りもあるので、祈りについても思索するのも良いかもしれない。

 安倍文殊院は、大化の改新で新政府側の安倍倉梯麻呂公によって創建されたとされ、その古墳とされる、立派な文殊院西古墳もあり、また安倍仲麻呂の誕生の地とされている。安倍清明の誕生地として異説もあるが、清明堂などもあり、高台から二上山などが望める。

 飛鳥に近く、また卑弥呼の里?と言われる大和の地でもあり、日本人の祈祷とは何か・・・とても考えさせられた。1000年以上、古代から祈祷を大切にしてきた文化に感謝である。

(感謝の領域<日本の歴史>25/60)

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(立派な西古墳の石室の中から)

(二上山を展望台から望む)


ワシは死んだらどうなる・・・・

2010-02-11 | 第四章「愛とゆるし」

 人は死んだらどうなるか?この問いは科学が進んだ現代でも、回答が困難な問いである(神仏や魂の存在を肯定したり否定したりする)。誰もこうだと断言できない(科学的に証明することは困難)。

 現代でも、神仏や魂を信じる人がいる反面、信じない人もいる。あるいはどう信じたらよいか判らない人も沢山いる。死んでみないと判らない世界なのだろう。

 さて、現代も生きるのに、結構大変な時代である。毎年3万人以上日本では自殺者がいる。しかし、父母の戦中派の時代、祖父母の時代も大変な時代だった。その祖先も・・・

 自分の祖先を32世代遡ると、大体1000年前になるが、祖父母の数は理論上2の32乗となり現在の人口67億人を超えてしまう。当然祖父母が重なることになるが、1000年前の日本は、私たちの血の繋がる祖先に溢れていたと想像できる。古代は遠いが、血縁関係がたしかな時代だ。

 現代も、生きるに大変な時代かもしれないが、1000年前もかなり困難な時代だったろう。そして、当然ながら、その時代の人にとっても、死んだらどうなるかは、今と同様はっきり判らない世界であっただろう。

 古代の祖先は死後の世界をどう考え、どう死を迎えていたか?その回答の一つが、前日の平等院の素晴らしいイメージであった。

 そして、その甘い幸福感を持ちながら、次の日、奈良県の飛鳥を久しぶりに訪れ、朝一番に高松塚古墳の素晴らしい壁画の模写を見た。被葬者に関しては古墳が発見されて30年くらいたつが、まだ解明されていないようだ。しかし、文武天皇陵や天武・持統天皇陵のそばにあることもあり、当時の権力者であったことは間違いない。

 壁画の玄武像等(四方を守る像)、女子・男子群像、などは有名であるが、4面と天井の原寸大の美しい模写を一望で見ることで、どのように篤く葬られたかがよく判った。

 自分が被葬者と想像すると、天井には北極星を中心に美しい星ぼし(星宿図)を見。右手側には月像と西側の白虎、そして男子・女子の各々の群像。左手には日輪と青龍、そして男子・女子の各々の群像。頭側は北の玄武。南は盗掘で失われたが朱雀像があったに違いない。四方を守られながら、美しい宇宙を見つめる。

 それが、当時の人にとって何を意味していたかは、今となっては正確に判らないが、のんびりと眺めていると、幸福感がふつふつと湧きおこる。残された人の想いや、当時の哲学や科学時術の粋を集めての埋葬。死後の世界と魂の存在の信仰。熱いものが胸を込み上げた。

 死んだらどうなるか?冷たく、そんなことは判らないと答えたり、身体が土に戻るように無くなると答えた人も当時でもいたと思う。ただ、こうして篤く葬る人々も存在し、1000年以上の時を越えて、その想いが伝わる。

 写真は、高松塚古墳。眺望の良い丘の上にある。隣には文武天皇陵、近くには、ちょっときつい斜面を登ったところに天武・持統天皇陵がある。

 7世紀、今と比べものにならないほどの複雑で命をかけた政治状況。その中であっても、人は死後を肯定的にイメージし幸福感を持つことができたに違いない。その姿勢は現代でも、より良く生きるためのヒントだと思う。高松塚古墳に感謝であった。

(感謝の領域<日本の歴史>24/60)

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次の写真は天武・持統天皇陵(険しい斜面を登ると到達できる御陵で、ひときわ神々しい御陵でした)


日本人にとっての天国!

2010-02-10 | 第四章「愛とゆるし」

 私が高校3年生の時、日本史の授業があった。熱心なK先生のお話は大変面白く、また発表授業で楽しく日本史の勉強したことを覚えている。

 その中で、平等院鳳凰堂のお話があり、藤原某が亡くなる時に、阿弥陀如来から引いた紐を握りしめて臨終を迎えたという話をしてくれた。

 2月6日に雪の関ヶ原を越え、やっと辿り着いた宇治の平等院。昔来た時と異なり、立派な展示場(鳳翔館)もあったりし以前と随分変わっていた。小雪が時折ちらつく中、ご朱印をいただき、そして、鳳凰堂に並んで橋を渡り、参らせていただく(以前は非公開)。

 阿弥陀如来像は予想以上に巨大でその美しさにひたすら感動。鳳翔館で、CGでの再現映像展示などもあり、幸福感をますます感じさせていただく(雪の暗い道を通っただけに有難かった)。見事な来迎図があり、その中で、高校の時のK先生のお話を思い出したりした。

 当時の日本の最高権力者であった、藤原家の人々のすがった天国(極楽)のイメージ。阿弥陀如来の優しいお姿。日本人も、素晴らしい天国のイメージを持っているのだと、つくづく思った(新年にテレビで見た、イスラム寺院の天国やミケランジェロの壁画などより自分にはぴったり)。

 イザナミ・イザナギの神話も冥界は穢れの世界。そういう影の世界を何処かに記憶しつつ、こうした阿弥陀如来の光の世界を信じる当時の貴族はどうだったのか?興味がどんどん湧いてきた。

 CGはNHKで放映されたそうであるが、インターネットで写真も見られる。

 お土産で、雲中供養菩薩のトランプが販売されていたが、買おうとして、妻にまたカルタ(等価カード、啄木かるたと最近続けて買っている)かと揶揄され、買わなかったのが今となっては悔やまれる。

 翌日は飛鳥方面に向かったが、ここでも別の素晴らしい死後の世界があった。

(感謝の領域<日本の歴史>23/60)

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(雪の名神)


冬の奈良・京都にひかれる!!!

2010-02-09 | 第四章「愛とゆるし」

 6日から8日(昨日)まで、奈良・京都を車で回ってきた。車の行動力を生かして(カーナビも有難かった)、宇治、平等院をスタートに、飛鳥の高松塚古墳、天武・持統天皇陵、文武天皇陵、桜井の安部文殊院、箸墓古墳、黒塚古墳、薬師寺、東福寺、東寺と回った。

 昨年一年、京都、奈良を訪れなかったこともあったが、最近、日本神話やギリシャ神話の冥界のイメージが、ちょっと不健康に広がったり、亡くなった方のことを思い浮かべたりして、こころの大黒柱の揺らぎを感じていたこともあった。

 歴史や昔の人のことを知ることで、こころの平安を得ることもできる。Aさんからお教えいただいた、ご朱印帳を携えての神社・仏閣周りは、こころの静けさをもたらした。私の祖先もきっと、お参りをしたと思うと何とも言えない。すがすがしい気分で帰ることができた。感謝である。

 さて、先日U先生の勉強会でお話をしたときに、福祉施設て、「ワシが死んだらどうなるのだろうか?」と聞かれたときに、どうするかという雑談が気にかかっていた。死んだらどうなるかは、不可知論のテーマであり、基本的には判らないことである。ただ、その回答をどう持つか、何を信じるかは極めて大切な人生のテーマであり、誰も避けては通れない。

 日本の神話、日本人の長い長い期間語り継がれた、イザナミ・イザナギの冥界の話は私を含めた日本人に大きな影響を与えているに違いない(今でも)。それが、何か私を飲み込んでいるようで、このところちょっと変であった。

 さて、今回の旅行の最初に行った、平等院(拾円玉のデザインで有名でもある)。今まで、3度行ったことがあった。今回は、初めて深く感動し、驚き、何か吹っ切れて幸せな気分になってしまった!(続く)

(感謝の領域<日本の歴史> 22/60)

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