イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ほめる、と役割遂行!

2010-02-08 | 第四章「愛とゆるし」

 NHKのクローズアップ現代で報じられたことが発端で、「褒める」をこれで11回書かせていただいた。

 何故、今褒めるが話題になるのだろう。いろいろなことが重なっていることは確かだと思う。

 企業等で、何故「褒める」が話題を集めているのか。企業研修の中心はは昔のように単なる知識を与えるものから、欧米が先鞭をつけた心理学的に参加者の態度や意識を変容するものに変わってきているのだろう。その一つの表れと言えるかもしれない。

 私も、企業にいるときは、ありがたいことに、本当に沢山の研修を受ける機会に恵まれた。今でも感謝している。ただ、よく考えると、態度変容を狙う研修の多くは、現代の心理学の一部をいろいろ形を変えて見せていただいたように思えてならない。「生き甲斐の心理学」を10年学んでの実感である。

 「褒める」も、エンカウンターの智恵(「生き甲斐の心理学」の第7章)を意識して書かせていただいた。ほぼ項目だけはカバーしたが、最後の項目の「役割遂行」が残っている。今日はここを中心にしたい。

 組織でも、家庭でも、趣味の集まりでも、人と関係あるところ、自ずと自分の役割がある。この役割を淡々と遂行するのが、結局重要なのだ。父として、夫として、弟子として、理事として、講師として・・・ぶれないで、その役割を誠実に行える人は、こころもとても健康な人なのだろう。

 私も、ぶれていた時は数限りなくあり、自戒を込めて役割遂行の何たるかを再考した。今年の目標の一つ(新年の目標では少し遅くなってしまったが)にしたい。日々の活動の良きチェックポイントだと思う。

 さて、「ほめる」ことも、きっと私たち人間の基本的な役割なのだろう。幼い赤ちゃんでも、にこっと笑ってくれる。

 (感謝の領域<褒める>21/60)

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他者受容の感覚、を持つ訓練!

2010-02-07 | 第四章「愛とゆるし」

 40歳前半だったころであろうか、当時の仕事場が西新宿で、十二社の神社の前をいつも通っていた。

 ある早朝、神社を通り過ぎるときに、いつもは誰もいない神社に、熱心に一人の男性が祈っているお姿があった。何を祈っているかは当然判らないが、その姿に何か神聖さを深く感じたものだ。

 自分以外の他人を、私たちは自分のように、知ることはできない。ただ、偶然他人の本音にぶつかることがある。そして、その方の世界(生育史があり、個性があり・・・)をひたすら理解しようとすると、何か神聖なものに触れ、畏れを感じる時がある。ちょうど神社の前で祈っていた人に覚えた感覚のように。人はものではなく、魂をもった存在だ。

 自分の浅い理屈の世界では、賛同できなくとも、その人の世界の一端(ほんのちょっと)を理解し、そしてもう一つ深く納得することはできる。このようなことを、心理学用語で他者受容というのだろう。

 他者受容は理屈では教科書に書いてあるとおりであるが、その受容感覚とはどんなものか、そんなことをふと思った。理論はむなしいが。実感は嬉しいものだ。日常の中で受容する体感を意識してみると、良い訓練になるかもしれない。

 他者受容は、深くほめるための必要条件の一つだと思う。勿論、他者受容があっての信頼。ということでもある。

 写真は、鎌倉、鶴岡八幡宮境内。このお話では直接関係ないが、小学生のころから時どき訪れた神社で、きつい階段が好きである。

(感謝の領域<褒める>20/60)

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信頼せずに、ほめることなど出来ません!

2010-02-06 | 第四章「愛とゆるし」

 世の中いろいろ悲しいことがあるが、信頼されないことも一つである。こんな中、自分を信じて欲しいという人も多い。H首相も昨年末「信じて欲しい」と語り有名になった。

 H首相で思い出したが、先日国会中継をテレビで見た。地デジ放送で微妙な表情を捉えてることもあり、また、答弁が質問者も回答者も自分の言葉で話すのでとても迫力がある。つまらないやり取りもあるが、本当に魂の会話と思われる質疑もあった。人間の何たるかを知ることができる。

 閑話休題

 信じて欲しい、信頼して欲しいと、時どき思う場面が自分にもあるが・・・

 ある時、逆にあなたは他人をどの程度信頼しているかと聴かれて、はっとさせられたことがあった。

 福祉の世界で働いたことがあったが、利用者の一貫性に信頼を寄せることは、本当に重要であった(心理学のカールロジャースの人格形成理論の第4の命題を知っていることがどれだけ宝だったことか)。どんな病気や障がいをもっていても、その方の置かれた世界と一貫性を信頼することは基本であり、信頼すると不思議に人間関係は繋がってくるものだ。

 家族でも、親しい間柄でも、信頼することは極めて大切である。そして、これも訓練を要することなのだろう。

 かつて、自分にとって大切なAさんが混乱していた時期があった。その時は、自分の防衛機制から、後から考えると、Aさんを基本的に信頼していない時期だったようだ。人を信頼しなければ、その人も信頼してくれない。当たり前なのだが、意外と忘れてしまう。

 バリアを張り巡らすより、信頼は大切なのだろう。信頼はほめるの必要条件のひとつ。

(感謝の領域<褒める>19/60)

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素晴らしい自己主張ができればなぁ!

2010-02-05 | 第四章「愛とゆるし」

 「話せばわかる!」。そう信じて、気おって出向いて行って失敗したことは山ほどある。理屈を通そうとしても通らずあきらめたことも山ほど。人は各々の生育史を背負っているので、違って当たり前、通らなくて当たり前と気がついたのは、意外と年をとってからだ。ちょっと陽明学を読んで、気合いを入れても、無理なものは無理であった。

 ただ、自分の感情・体感の現実も含めた、本音・真実をうまく表現できたら、もっと結果が違っていたのにと最近思うようになった。利害関係(普通大なり小なりある)があると、本音も言いづらいのは判るが、不思議にも本音を主張すると、周りも自分も幸福になることがある。魂の叫びといったらよいか、何か違うのだ。

 自己主張がうまくなる。これは厳しい修行の世界かもしれない。ただ、この自己主張の訓練は、テーマである「褒める」達人になるための一歩であり、そして「愛とゆるし」、「平和と和解」のための一歩なのだろう。

 外資系企業に勤めていたころは、ディベートを勉強したこともあった。ただ、今考えると異文化の環境の中では大切かもしれないが、日本人の社会の中ではちょっと違うようにも思う。健康で創造的な社会になるためにも、ロジックの世界だけでなく感情の世界も取り入れた訓練が必要かもしれない。

 これはNPOの活動にもなるかもしれない・・・そんな妄想がむらむらと。

 (感謝の領域<褒める>18/60)

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ほめる、と暗い暗い感情たち!

2010-02-04 | 第四章「愛とゆるし」

 若いころ愛読した庄司薫氏の「赤頭巾ちゃん気をつけて」を再読している。まだ、始めのところであるが、主人公が幼馴染でもある由美への感情が書かれているところがある(中公文庫 17ページ)。

 「・・・ぼくは小さい時から彼女と一緒に過ごすたんびに、百回のうち九十九回までは、腹を立てたり苛いらさせられたりして帰ってきたものだし、そのうち五十回は、もう合うものかと思ってきたにちがいない。ただ問題は、その残りの一回なのだ。・・・中略・・・ただ、なんていうんだろう、どうしようもないおかしな魅力を見せる残りの一回があるので困ってしまうのだ。・・・」

 日々の感情に気をつけて、それを思い出してみたり、誰にも見せないノートに感情を書き連ねてみると、何と暗い感情が日々駆け巡っているかを思い知ることができる。大切な人との感情だって、百回に九十九回は極端かもしれないが、調べると意外と暗い感情が多い。

 庄司薫氏も、こうした感情生活のありようを的確に捉えていて凄いと思った。気になる方は、ご自分の感情を一日振り返ってみると、意外な発見をするのではないか。私は、朝の感情を特に大切するように、生活を変えたりした。

 そして、他者との関係も感情ということから考えるといろいろ発見がある。薫ちゃんが由美さんの百回に一回の不思議な個性に気付くのも本当に大切なのだろう。本当にほめること、はそうした発見から始まるように思える。

 ほめる達人とお話したりしているときに気づくのは、この九十九回を乗り越えられるタフさと、貴重な一回に気がつく心の健康さだ。

 写真は、先日の雪の夜に帰宅途中で撮った写真。雪が降る中、街路灯がまぶしかった。

(感謝の領域<褒める>17/60)

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