一つの出来事は事実かもしれないが、その解釈は多様である。
昨晩も、ちょっとした思い違いで電車の回数券を二重に買ってしまった。本の二重買い(これはと思って購入して読み始めると、どこかで読んだかなと思い、良く見ると書棚にあったり)はあったが、回数券は初めてであった。
ちょっと悲しかった。「お金を無駄にした。もう年かも」と考えていたが。考え方を修正して、「これも何かの恵み、休日にこれを利用して、見聞を広めよう。」と考えるようにした。いつもの仕事場を単純に行き来するより、何かもっと楽しくなるきっかけを見つけられるかもしれない。
これは、ちょっとしたことであるが、大きなことも同じようなものである。私の好きな聖人コルベ神父はアウシュビッツの飢餓室で絶望するのではなく、友のために祈り讃美歌を歌った(本人でないと判らないが、ひょっとしたら素晴らしい至福の時だったかもしれない)。
嫌なことも考え方次第である。解釈の仕方は個人に与えられた束縛されない、自由である。別に常識にとらわれる必要もない。
このことは、「生き甲斐の心理学」の大きなテーマであるが、このことを日々応用するだけで、自分の人生は明るくなった経験がある。世の中、全て思い通りにいくものではない。必ず世間的な妥協も必要になってきたりする。その時明るく解釈し、時を待ったり受容したりするのは、大きな智恵である。
(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず> 35/60)
人気blogランキングへ <- 1クリックで燃えます!感謝しています!!!