東寺に初めて行ったのは、まだ20歳台のころであった。仕事で上司と共に、海外からのお客様を接待した。何かごちゃごちゃと仏像が暗い建物の中に沢山あった・・・その程度の認識であった。また東寺が空海によって建立された寺であったこと。あるいは講堂の国宝が大変貴重な曼陀羅を示しているとの認識もなかった。
6年前に28年務めた企業を退職し、その後高野山に行ったのが、空海が好きになる第一歩であった。特定の宗派にとらわれず(宗教までかもしれない)、受容的な日本的な宗教という感じであった。そして先日、東寺を訪れた。実にすばらしかった。時間があれば、一日でも仏像を眺めていたかった。妻は帝釈天さんがお気に入りで、ポスターまで買い求めていた。
奈良時代、最澄と徳一など、大論争があったようだ。湯浅泰雄著の「日本古代の精神世界」に戒律論争や仏性論のことが出ていて大変面白かった。
特に興味が湧いたのは、法相宗、天台宗、華厳宗、真言宗の仏性論の考え方である。私はカトリック信徒であるが、聖霊とは別にしても、魂をどう考えるかについて、大変興味を持っている。
人間の基本的な魂というか本性をどうとらえるかは、一見抽象的な話に見えるが、日常の様々な人間関係をどう考えるかの重要な視点につながり、様々な人とどう接するかの基本哲学に繋がる。
聖パウロは新約聖書の中で人の身体は神の神殿と言っている。これは、生き甲斐の心理学で大切にされている。また、魂についても、カトリックの神学者ジーン・ドージャも「神のめぐみとは」(カトリック全集23)に貴重な論を展開している。
この大事な論議を、奈良時代から平安時代にかけ、この奈良・京都などで、大議論がされたかを考えると、何か胸が熱くなる。
多くの人が身体を病み、そして心を病む。その中で、暮らしの中のカウンセラーはどういう人間観を持つのか。全ての人の中に愛そのものが隠れていると考えるのか否か。当然私は信じる立場であるが、それを揺らぎないものとして日々送りたい。
尚、人間観はカウンセラーに必要な基本の一要素である。
(感謝の領域<日本の歴史>28/60)
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