イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

カタストロフィーにも負けず!

2010-02-18 | 第五章「和解と平和」

 日本の古代の専門書をたまたま読んでいたら、中国の信用が置ける歴史書を研究すると、2世紀後半と7世紀後半に日本で、大きな変化が起こっているように読みとれるという記事があった。

 歴史の断層である。先日まで書いてきた奈良・京都の紀行文はちょうどその二つの断層に触れるところだったようだ。箸墓から始まる文化はどうだたのか?天武天皇の時代はいったい何だったのか・・・興味は尽きない。

 さて、歴史からはちょっと離れ、自分の生育史を辿ってみると、やはり幾つかの断層があるように思えてならない(その前に、何か重大な意味をもった事件(カタストロフィーといったようなもの)もあった。

 そして、その断層を、日本の歴史と同様に、自分は生き抜いてきている(ちょっと例えが悪いかもしれないが)。それを、こころの問題の智恵袋である、生き甲斐の心理学をベースに考察したらどうか。67億人の人類が今生きているが、その中のたった一人の自分ケースしか基本はないので、どこまで有効か判らないが。世の中、社会も、そして個人レベルでも大きな変革期に突入しているので、ちょっとした、参考になればと思っている。

 自分の生育史の断層は、いくつかあるが、特に青年期以降をベースに考えてみたい。

 写真は雪に埋もれたパンジー

(感謝の領域<カタストロフィーにも負けず>31/60)

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北斗七星・雪の東福寺は見られなかったが・・・

2010-02-17 | 第四章「愛とゆるし」

 Rさんに冬の東福寺は良い!と教えられて訪れた京都の東福寺。一日遅かったので雪の東福寺は見られなかったが、緑の勢いもなく、また紅葉しているわけでもなかった東福寺は静かで良かった。

 前回春に訪問した時に感激した場所から見たお庭にはちょっと失望したが、新しいビューポイントといったところが確実に存在し、ワー素晴らしいと思える場所がいくつかあった。雪の東福寺は見られなくても、かえって良かったところも(ちょっとやせ我慢)と思い、ゆったりとした(ちょっと残念ではあったが)気分で東福寺を後にした。

 奈良・京都の冬の旅は59歳をやがて迎える私にはとても有意義であった。帰ってからブログを書いたり、また四神の庄司薫氏の小説を読んだり・・・これも良かった。

 大きな歴史の、日本の歴史の流れの中に、ちょっと自分が浮かんでいるように実感ができた。庄司薫氏の4部作も1969年の話で、これも既に日本の過去の歴史の一地点という実感も得ることができた。

 そして、自分の生育史も、単に過去のことであるとふと思った。1969年の時点で見えたこと、見えなかったこと。2010年の今の時点で見えたこと、見えないこと。そんなことを想った。

 自分のこころの奥の奥にあると思われる、ちょっとキザかもしれないが愛そのものの魂。何を望んでいるのだろうか?

写真は東福寺、八相の庭の東庭(北斗七星)。

(感謝の領域<日本の歴史>30/60)

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いかに生きるか<現代の四神>!

2010-02-16 | 第四章「愛とゆるし」

 奈良・京都に車で旅してから、はやいもので一週間がたってしまった。帰ってきてからもブログで旅行記を書いてきたので、まだ、奈良・京都の余韻が充分残っているようである。

 2-3日前から、丁度高校を卒業するころに、芥川賞で有名になった庄司薫の、小説を読み始めている。薫ちゃん4部作といわれる、「赤頭巾ちゃん気をつけて」、「さよなら怪傑黒頭巾」、「ぼくの大好きな青髭」、「白鳥の歌なんか聞こえない」の4作である。

 この小説は、今度訪れた奈良でお馴染みであった、四方を守る四神の朱雀、玄武、青龍、白虎をなぞっている。それと、自分の高校・大学時代に影響を受けた小説を通し(時代もよく判るので)、生育史を再検討してみたいという野望があるためだ。

 小説の主人公、薫は1950年生まれ、5人兄弟の末っ子。私と一つ違いであり、東大入試中止の年に日比谷高校を卒業した1969年を舞台にしている。私は、一年下で学力とは別に、抽選運もなければ入学できなかった学校群入学初年度で、薫ちゃんの経験しない高校紛争も経験した。

 小説の舞台は、場所的にも時間的にも本当に身近であった。そんなことで、中央公論で発表されてから、友達の影響もあるが何回も読んだ記憶がある。今となっては、小説のテーマ自体は、「生き甲斐の心理学」を学ぶ私にとって興味深々でもある。

 今、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読了し、さらに「さよなら怪傑黒頭巾」まで読み終えた。自分にとって、馴染みの小説であるが、著者もいみじくも、四半世紀後にあとがきで書いているが、随分当時と時代が変わってしまったとしみじみ思った。浦島太郎の気分をちょっと味わったりしている。

 当時は世界人口が40億人(今は67億人)だったんだ・・・とか

 ホテルニューオータニも当時は華やかだった(ご存じ、その後大火災等で変に有名に)

 東大医学部の紛争から発展した全共闘運動・・・(今は、ベルリンの壁も崩れ。毛沢東語録なども今では誰も読まなくなってしまった。)

 鈍い・・という表現にケーコートーが使われるが、今では瞬時に点滅するLEDがぼちぼちと・・・

 都心のネオンでの社名・ブランドも、今では変わってしまった名前もある。ナショナル、フジサワ・・・

 こうした変化を感じつつ、1970年ごろの時代を生きた自分を、ちょっと高見から考察する。

 今改めて感じるのは、庄司薫氏の鋭い時代感覚だったのかなと思う。黒頭巾では東大医学部紛争等の心の痛みの話がでてくる。

 日本では当時、甘えの構造という心理学の本がベストセラーになったりした。故・土居健朗氏の1970年代初めのころのことだ。フロイトの防衛機制でいうと同一化が、日本人の大きな特徴というようなことが、いろいろ述べられている。

 自分のことを振り返ってみても、学園紛争(特に高校)で見たものは、同一化で甘えの構造の中で生きた学園が崩壊していく姿(同一化ができなくなること)であったのではなかろうか。

 そんな中で、社会人として民間企業に勤めるようになる。厳しい中にも甘えの構造が健在であり、楽しく仕事をし始める。社会全体でみれば甘えの構造を育む土壌が充分残っていたようである。

 今の世の中は、核家族化、企業も欧米化して様変わりし(従業員より株主重視など)、日本人が元気がなくなってきている。薫ちゃんシリーズでの1969年すら懐かし時代になってしまった。

  しかし、考え方一つで、今の時代は絶好のチャンスということになる。今まで埋もれていた宝を磨き、再生のチャンスでもある。黒頭巾の最後は、薫ちゃんが酔いから覚めて、まだ二日酔いの気持ち悪さの中で、朝の牛乳配達を待つところで終る。

 この牛乳配達も、今ではなくなってしまったが、私たちも皆、自転車で瓶を鳴らしながら走る牛乳配達を別の形で出来るのだと思う。

 写真は浜松サービスエリアの近くで撮った写真。

(感謝の領域<日本の歴史>29/60)

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日本古代の精神世界を楽しむ(2/2)!

2010-02-15 | 第四章「愛とゆるし」

 東寺に初めて行ったのは、まだ20歳台のころであった。仕事で上司と共に、海外からのお客様を接待した。何かごちゃごちゃと仏像が暗い建物の中に沢山あった・・・その程度の認識であった。また東寺が空海によって建立された寺であったこと。あるいは講堂の国宝が大変貴重な曼陀羅を示しているとの認識もなかった。

 6年前に28年務めた企業を退職し、その後高野山に行ったのが、空海が好きになる第一歩であった。特定の宗派にとらわれず(宗教までかもしれない)、受容的な日本的な宗教という感じであった。そして先日、東寺を訪れた。実にすばらしかった。時間があれば、一日でも仏像を眺めていたかった。妻は帝釈天さんがお気に入りで、ポスターまで買い求めていた。

 奈良時代、最澄と徳一など、大論争があったようだ。湯浅泰雄著の「日本古代の精神世界」に戒律論争や仏性論のことが出ていて大変面白かった。

 特に興味が湧いたのは、法相宗、天台宗、華厳宗、真言宗の仏性論の考え方である。私はカトリック信徒であるが、聖霊とは別にしても、魂をどう考えるかについて、大変興味を持っている。

 人間の基本的な魂というか本性をどうとらえるかは、一見抽象的な話に見えるが、日常の様々な人間関係をどう考えるかの重要な視点につながり、様々な人とどう接するかの基本哲学に繋がる。

 聖パウロは新約聖書の中で人の身体は神の神殿と言っている。これは、生き甲斐の心理学で大切にされている。また、魂についても、カトリックの神学者ジーン・ドージャも「神のめぐみとは」(カトリック全集23)に貴重な論を展開している。

 この大事な論議を、奈良時代から平安時代にかけ、この奈良・京都などで、大議論がされたかを考えると、何か胸が熱くなる。

 多くの人が身体を病み、そして心を病む。その中で、暮らしの中のカウンセラーはどういう人間観を持つのか。全ての人の中に愛そのものが隠れていると考えるのか否か。当然私は信じる立場であるが、それを揺らぎないものとして日々送りたい。

 尚、人間観はカウンセラーに必要な基本の一要素である。

 (感謝の領域<日本の歴史>28/60)

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日本古代の精神世界を楽しむ(1/2)!

2010-02-14 | 第四章「愛とゆるし」

 中学生の修学旅行は日ノ出号の夜汽車で、関西旅行に向かったが、奈良の薬師寺に行った覚えがある。東塔が美しく印象的であった。西塔は礎石しかなく、金堂も当時は江戸時代からの仮金堂だった。

 今は、創建当時をしのばせるように、金堂も西塔も再建され圧倒される。ただ、今回はしばらくぶりの訪問ではあるが、興味深々であった。それは薬師寺の歴史を勉強したこともある。天武・持統天皇により発願、本尊開眼、飛鳥の地に建てられ、平城京に移る。奈良時代の代表的な思想を育んだ法相宗のお寺であることだ。

 最澄、天台との関係、そして華厳や空海との関係など、日本史の思想史の源流を辿る上でも薬師寺はとても大切なのだ。そして、日本人のこころの世界を理解するうえで、とても重要だと思う(生き甲斐の心理学の学徒として)。

 最近であるが、故・湯浅泰雄氏の「日本古代の精神世界」(名著刊行会)を読んだが、日本の古代からの神話に代表される思想、中国経由の思想、空海の思想、源氏物語の世界、とても楽しく学べた。歴史を勉強することは、自分の中に柱を立てるような意味もある。自分は日々、思考・感情・行動の世界を生きている。その中の思考の領域で、歴史や哲学・宗教などを楽しむことはとても重要に思える。イキイキといきるためには歴史は重要ではないだろうか?

 さて今回、薬師寺に行って感動したのは、素晴らしい荘厳な建物、薬師如来等の仏像、お坊さんによる金堂でのお話、平山郁夫の絵画など沢山あったが、薬師如来台座の発見(自分にとて)があった。

 丁度、その日は高松塚古墳の素晴らしい四神の図の壁画を見。また天武・持統天皇陵、文武天皇陵に参った後でもあり、台座に四神が美しく描かれていることにまず感動した。 

 さらに、台座には、葡萄唐草文(ギリシャ)や蓮華紋(ペルシャ)、インドの力神に浮き彫りにされていて、しかもそれが薬師如来像の台座という象徴的なものに使われている。世界の様々な精神文化を昇華・受容し、この日本に新たな世界を開こうとする強い意思を感じてしまう。

 7・8世紀の当時の世界は、隋・唐の時代でもあるが、イスラム帝国の勃興などもあり、キリスト教、イスラム教、仏教等今の時代でもお馴染みの宗教が全て出そろった宗教の時代でもある(勿論その後いろいろな変遷を辿るが)。

 やがて、奈良時代から平安時代に変わっていく。この時代は、日本とは何か、日本人とは何かなど、楽しい思索ができる時代である。同時に、人間とは何か、魂とは何かなど今の時代を生きる上でも大切なことも勉強できる。

(感謝の領域<日本の歴史>27/60)

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