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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

祖先も感じた魂の痛み・・宗教的感受性を呼び起こすリモートの時代 (リモート時代と縄文と私 6/10) 

2020-07-11 | 第八章「魂と聖霊」

 緊急事態宣言下、そして今も感じる魂の痛み・・・

 さまざまな災害があるが、災害によって神社、仏閣、教会に行けなくなったときの悲しみというか魂の痛み。今回のコロナ禍の異常事態を皆様はどう感じていらっしゃるだろうか。私はカトリック信徒であるが、幼い頃から「日曜日はミサに行け、教会に行け」とは言われたものの、「ミサに来るな、教会に来るな」と言われたのは今回初めての経験であった。そして、復活祭の前の四旬節から教会に行き聖体拝領をするということが今に至るまでままにならなくなった。

 日本では1%にも満たないクリスチャンだけではなく、仏教、神道、イスラム教といったさまざまな伝統的信仰をもった方々も同じように魂の痛みを感じ異常な災害の苦しみを味わっているのに違いないと思う。また、宗教者の方々も安全と信仰心の間に立たされてさぞかしつらい思いをされているのではないか。

 人は身体と成育史からくる心、そして宗教の領域とされる魂からなるという欧米の比較宗教学を取り入れた心理学から考えると、災害の痛みは決して身体の痛みだけではなく心や魂の痛みにも及ぶ。球磨川の氾濫の報道を見ていたら、氾濫で何日も命の危機にさらされていた高齢者がいらした。いったんは救護所に到着されても、さらに30Km先の避難所に向かわねばならない、その姿に涙が出てしまった。村の神社仏閣、家の仏壇・神棚、大切な人の墓から離れていく痛みは、ほとんど報道されないが実は大変なことではないか。

  (クリックで拡大)

 今年の初めに九州、そして世界遺産に最近登録された長崎の観光地を訪れた。大浦の天主堂には初めて訪問した。そこは1865年春のプティジャン神父の信徒発見の地でもあり、記念碑の前で感動の記念写真を撮った。禁教となり神父が日本にいなくなってから7代、約250年間神父不在の中で信仰を守り抜き、先祖の希望に後押しされて、この地の信徒が教会に足を踏み入れた場所である。本物の神父と本物の教会に出会えたうれしさ。それは、危険を冒して訪れた信徒の持っていた魂の痛みと分かちがたい。その何分の一かを奇しくも感じることができたのがこの数ヶ月のコロナ禍であった。

 さて、冒頭の写真は2020年2月に開催された秦野市稲荷木遺跡の見学会の時のものである。縄文後期の約4000年前から3000年前くらいには、関東甲信越では縄文中期の環状集落の時代が終わり(輪をなして隣人や祖先と暮らす)、夥しい河原からの石を使った敷石住居、墓域、配石遺構などが作られる時代である。縄文中期の環状集落は過去のものになったが、環状の墓域、配石遺構、盛土遺構で埋め合わせをするような時代。諸説はあるが昔のように一緒に住めなくなったリモートの時代と言ってもよいかもしれない。東京のストーンサークル、田端環状積石遺構もこの時期のものであり、大規模な東北のストーンサークル大湯遺跡もそうである。配石遺構はみつかっても、住民がどこから来たのか、どこに住んでいたのかよくわからない。

 石といっても、生命を暗示する緑の石とかの拘りがあり、配石遺構などはきちっと土地造成工事をした後に、時には何キロもある拘りの石を持ってくる拘りのモニュメントではないかと私は思う。重機も車も馬や牛のない時代、手軽な木などの素材を使わず、おそらく縁者などのネットワークを通じて時間をかけて構築していく。

 約3500年前。この時代は中国では夏王朝の青銅器文化が栄えていた時代である。西では地中海にミノア文明も栄えていた。青銅器とか土器とか材質は違っても、この時代になって急に現れる注口土器や壺形土器などと共通点を感じる遺品の数々。このあたりの時代に巨大火山爆発があり、世界的な大災害に結びついたとする説がある。日本列島は兵器が作られたり城塞のある文化とは異なるユニークな文化であるが、そのころを境に文化が大きく変わっていく。

 一つ一つの石は、どのような想いで運ばれ築かれたのだろう。木製品をはじめとする有機物は火山灰から来る酸性の土壌が多い日本列島ではすぐ腐ったり溶けてしまったりする。その中で無機物の石を選んだのはどういう想いがあったのだろうか。見えるより確かなものに、命をより削ってまでも駆けようとしたもの。

 

 この時期の発掘現場からはこうした石の他に、土偶、石棒、注口土器、石皿といった祭儀で使ったものが出てくる。昔、若い頃に奈良の明日香村に行き、ある神社に入ったら「うひゃー」と驚くようなオブジェがたくさんあった記憶がある。初めてこうした場に遭遇したら、それこそ「うひゃー」である。しかし、人間の一生をいろいろ考えたり経験したりし、聖書の雅歌が自然に感じたりする年になってくるとちょっと違ってくる。日本の古代には二人の著名な僧が理趣経の扱いでもめたりした。「うひゃー」はちょっと考えが足りなかったかなと今では思う。「うひゃー」と叫んだり、呪術とかシャーマンとかアニミズムとか難しい学術用語を使う前に、脳科学的には現代人も当時の祖先も変わらないのだから、同じ目線で感じてみるのはどうだろうか。リモートの時代。生きるために分かれなければならないときに、こころの3密を求める痛みと神秘。

リモート時代と縄文と私 6/10 

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