完全変態をする蝶は青虫から蝶に変身するが、その変化の時であるサナギの時期には、身体の要素がアミノ酸レベルまで分解し再構成されるという。再構成は、蝶という生命体の生殖の方向に定められるようだが、人間も同じ生命体であり外見は蝶のように変化はしないまでも大きな変化があるようだ。
1959年に日本に両親と帰国した私は、その後も今に至るまで大きく変わってきたところもあり、また変わらない部分もあったのだろう。その変わらない部分の一つにはアイデンティティというか個性というか、変わらない何かがあると思う。
そして、変化は特に青年期に集中するようである。もちろん、生涯をとおして宗教体験のような大きな変化もあると思うのだが。
私の青年期は、今の青年と大いに違って、青年の怒りが社会的にも炸裂していた時期だったようだ。高校紛争にはじまり大学紛争もあり、ロックアウトの時期は通算して1年以上はかるくあった。そして、学校や学科を選択したりで今の青年も大変だが、私たちも大変動の時期だったと思う。
私は大きな流れとしては、両親が願っていた建築家への道から外れ(受験の失敗や好みの変化も大きな要素ではあった)たものの、先生や同期の友達に恵まれ、理科系ではあるものの創造性や実験心理学の分野に興味を示し、職業もマーケティングの分野に向かった。宗教的には幼児洗礼のカトリックからは青年期には離れてしまったものの、創造工学の先達の影響を受けて東洋哲学などに興味を移し深めていったようだ(最終的には、カトリックに戻る)。
さて、エリクソンの人格形成論では、13歳から22歳までを忠誠心-アイデンティティ-自己混乱感の時期としている。私も、高校生の時などは強烈な自己混乱感を味わったが、その大きなポイントはカトリックから離れることだったようだ。冬にこたつの中で「ツゥラツーストラはかく語りき」を読んでいたときだった。もう生きるのは辛すぎるいう正直な感覚だった。
しかし、それでも生き続けることができたのは、アラスカ時代の体験も影響しているように思う。住んでいたシトカの国立公園で一人静かにトーテムポールを眺めていたときだったように思う。そこで感じた不思議な感じ。それは決して怖いものでもなく何か懐かしい感じであった。私が物心がついて初めて恐怖感をもったのは、日光東照宮だった。トーテムポールは仁王像のように怖くはなくじっと見つめていると懐かしい気持ちすらした。
今は、私はカトリックの三位一体の神を信じていて忠誠感をもっているが、それが何か錯乱的な自己混乱が起こったときに救いである。健康診断で引っかかり検査結果がわかるまでの不安な時期にも縄文小説を平静に書き続けられたのも(笑)、自分の信仰・アイデンティティのおかげだと思っている。
そして、自分の正中線(変わらないもの)を意識しつつ、正中線を維持するためにも、できれば一日一回は内省し「自分は何のためにいきているか?」を考えることが大事だと思う。青年時代のような大きな変化はないかもしれないが(今は)、生きている限りいろいろ変化があると思う。
未知の世界にこんにちは! 7/10
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