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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自然体になるためには (私は私? 1/10)

2019-11-06 | 第五章「和解と平和」

 先日、町田市の薬師池公園に立ち寄った。天候のせいか紅葉がここひとつであり、ちょっと淋しい気分で池の畔に佇んでいると、私の側に大きなカメラを持った7-8人の一団が近づいてきた。何かを撮ろうとしているようで、何がいるんですかと一人のかたにお訊きすると。「カワセミがあの棒の上に・・」と言われる。私もカメラを持っていたので、遠いところに美しいカワセミがとまっているのを見つけ、写真を撮らせていただいた。

 この角度が良いとか、絞りはどうだとか楽しそうに話しあっている。カワセミを見るとやはり心は躍るのだが、どうもその一団の人と比べると躍り方が違うようで、カワセミが素早く移動すると、とまった場所を見つけて熱心に移動される。さすが良い写真を撮る方は違うと思いつつ。私は後を追いつつも、何枚か撮って・・こんなものかなと妥協して立ち去った。清々しい気分で幸せだった。

 年をとっていくと、良い意味でも悪い意味でも、身の丈を意識するようになる。それは自分のこうありたいという理想の領域を、それまでの経験から身につけた現実吟味力で調整するのだ。40歳台だったら、ひょっとしたら日が暮れるまで追っかけていったかもしれない。しかし、理想が高すぎると、ストレスは高くなり、面倒なことになることもある。逆に理想が低すぎれば、理想と現実のギャップであるストレスはないかもしれないが、何の為に来たのか分からなくなり、これも問題である。

 適度な高さの理想を決めていく。これは大事なことだと思うのだが、理想の高さについて余り言われることもなく、若い頃ころは「少年よ大志を抱け」で高く持ちすぎて独り相撲をしたものだ。

 経済的に自立したりすることは、それだけで実に大変な苦労を伴うものである。そんな中で、過度に理想を更に高くし、それをのんびりと点検する知恵がなかったために、自然体ではなく防衛機制のかたまりでうまく行かなくなったりすた。何かへんだなというときに、自分の理想を点検する。別の視点も取り入れてみる。自分の正中線というか柱がふらふらしていては問題だが、ある程度定まっているときは、理想を変える勇気も大事だと思う。カワセミが自然体で生きているように。

私は私? 1/10

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