10人兄弟の末っ子の母とその上の伯母さんが、カトリックの洗礼を受けたいと祖父に申し出たとき、祖父は結局受け容れたそうである。祖父は日蓮宗の宗徒であるが、お能のお仲間でカトリックの信徒でもあったM教授とも親しく、カトリックを受け入れる素地があったのかもしれない。
そんな母の子供として、育ったが、隣に住む祖父母は日蓮宗。父は浄土真宗の家に生まれ、宗教は浄土真宗であった。そんな中で幼年時代、少年時代を送り、思春期を迎える。丁度思春期のころ、カトリックでは第二バチカン公会議が4年に渡ってあり、その後、例えばミサがラテン語から自国語に切り替わったりした。金曜日は肉が以前は食べられなかったが、食べられるようにもなったりした。そんな中、自分の宗教のアイデンティティは逆に揺らいだようだった。
尊敬していた祖父と同じ高校に運よく入学するが、その冬に(1968年)、祖父が亡くなる。早朝に亡くなった時に、丁度夢を見ていて、何か苦しんでいる祖父がスッと彼方に旅立つ感触で眼が覚めた。その体験は、科学では割り切れない一つの体験であり、宗教というか見えない世界に眼を向かわせた。
高校2年生~3年生(1968~1969年)は、今思い出しても激動の時代であった。東大の入試中止。学園紛争も本当に盛んで(私の通う高校は自由な校風だったこともあり、とても過激であった)、父も顧客の大学工事が学生運動で糾弾され頭を悩ませていた。そんな中、カトリック教会に行くと、呑気にギターを引いて歌っている神父を見て、カトリックなんてダメだと思った。
高校3年の時は、バリケードが築かれ、同級の友達の何人かはその中で活動をしていた。ある友達は、抗議のハンストをしたりしていたが、そんな中ぬくぬくと暮らしていた自分が惨めになった。やがて、学校当局がロックアウトを決行し、しばらく休校となる。先生がたも混乱されていたようで。沢山の先生方がおやめになる。そんな中、大学受験も失敗し(合格点の60%くらいしかとれなかった)、おまけにS予備校の試験まで落ちてしまった。
①何のために生きているのか?②生き甲斐は何か?③自分を大事にしているか?
自己実現を考える3つの重要な問いかけは、こういった中で本当に重要なのだろう。回答が無くても、考えることが大切だと生き甲斐の心理学で学んだが、本当にそうである。また、自己評価が低い時代に、具体的にやることがあった(受験勉強とか)のは救いであった。
大学に入ってからは、少し大人になり、ドイツ文学に触れたり、創造工学を勉強する中で、荘子や仏教などの東洋思想にも興味をもちながら、日本人として、足が地についてきた。
信仰をもつことは、人生を豊かにすると頭で判って、いつかそうなりたいと思いつつも、成育史の関係からか、始めから諦めるような病的な一面もあったようだ(教会の門を再度叩くようなことはしなかった)。それが、信仰を持つようになったのは、さらに20年以上してから、高校生の時よりももっと自己評価が下がった時代であり、何とも予期できない出来事からであった。
自己評価が低い時に、信仰を得るというのはラッキーかもしれない。ダメな私が救われたのだから、ちょっと宗教が違っていたり、様々な事情で悪人というレッテルを張られている人も、きっと救われるだろうと自然に想えるようになったのだ。青春時代に、どの宗教を選ぼうか、あるいはカトリックの洗礼を受けなかった祖父は、天国にいけたのだろうかなど密かに悩んだことが、今は問題にならない。因みに今はカトリックの信徒に戻った。
今日は、長くなってしまったが、最後までお読みになった方に感謝をささげたい。
自分との和解 4/10